2007年11月30日金曜日

私の愛用のギター/その後


せっかく買った、この良いギターも、5年ほど弾いて後、ばったり弾かなくなってしまいました。直接のきっかけは次のことでした。

30歳を過ぎて結婚し、長男が生まれました。週末のある日、会社の借り上げ社宅のマンションの居間で譜面台を置いて一人でギターを弾いていました。すると、漸くハイハイができるようになった長男がハイハイして寄ってきて、譜面台をひっくり返してしまいました。なにか息子は「ギターを弾いていないで、自分と遊んでほしい」と言っているような気がしました。ギターなど弾いていたら幼い息子と遊ぶ時期を逸してしまうような気がして、ギターを弾くのをピタッとやめ、それからは休みの日は、近くの公園に行ったりして息子と遊ぶようになりました。そのうち次男も生まれ、週末に子供達と遊ぶことは私の楽しみになりました。

30代、40代は公私ともに忙しくなり、20数年間ほとんどギターは弾かないままに過ぎました。中出阪蔵氏製作の名器に対しては、殆ど弾かずにしまい込み、可哀そうなことをしたと思います。


60歳の定年も数年後に迫った頃、家内から「またギターを弾いたらどう」と言われました。そうだ、自分にはギターがあったのだと思い、またギターを引っ張り出して、ギターを弾き始めました。やはりギターを引き出すと楽しい。まるで“自己陶酔”のように自分の演奏に没入してしまいます。やっぱり自分はギターを弾いている時が一番楽しいのだということに気が付きました。ただ、20数年間のブランクは大きく、指は錆ついてしまい、思うように動きません。若い時に弾いていた曲は殆ど弾けなくなっていました。

今は毎日ギターに触れ、練習することによって、自分の若い時の技術レベルにどれだけ戻れるか、近づけるか、そのチャレンジです。

2007年11月29日木曜日

私の愛用のギター


写真は私の愛用のギターで、私が30歳の時(昭和52年3月)に購入したものです。


このギターは中出阪蔵氏による昭和51年(1976年)製作のものです(Model No.3000)。明治39年(1906年)生の中出阪蔵氏は当時日本のギター制作の第一人者と言われていました。素材としてスプルース、 ブラジル産ハカランダ(胴・裏板)などを使用しています。

このギターは私のクラシック・ギターとしては2台目です。1台目は私が大学1年の時(昭和40年)に買った「信濃」という銘柄のギターでした。

私は大学に入学し、すぐにギター部に入部して、クラシックギターの基本を勉強し始めました。その時使っていたものは、演歌の弾き語りに使うようなスチール弦を張っていたギターを、とりあえずナイロン弦に張り替えて、これを弾いていました。しかし、これでは話にならないので、大学1年の夏休みに1か月アルバイトをし、稼いだお金から12,000円をはたいて、その年9月に銀座の日本楽器(ヤマハ)に行って、「信濃」という銘柄のクラシックギターを買いました。昭和40年(1965年)当時の大学卒新入社員の初任給は20,000円程度と言われていますから、それほど安物というわけではありません。この「信濃」ギターは値段の割には良い音が出ると自分では思い、気に入っていました。

しかし、所詮高級ギターとは程遠いもので、一生使えるようなしっかりしたギターが欲しいと思っていました。そこで、30歳で“独身貴族”最後の頃、お小遣いも少しは貯まってきた時に、良いギターを買うことにしました。

いろいろ調べて、渋谷区千駄ヶ谷にある「エスペランサ」というギター卸の店に行きました(この店は今はなくなっているようです)。その店で在庫の手製クラシックギターを2時間近くいろいろ試し弾きさせてもらいました。弾いてみて中出阪蔵氏のギターが気に入りました。店には中出阪蔵氏製作のギターが3本ありましたが、中でも、このギターが音の出方のバランスが良いと感じたので、これ(写真のギター)に決めました。買った当時はギターの箱としてはあまり鳴りませんでした。30年経った今の方がギターとしては鳴るようになったと思います。一般的に手製のギターは作製直後よりも、時間をかけて弾き込まれた方が良く音が出るようになると言われています。

(「私の愛用のギター/その後」に続く。)

2007年11月25日日曜日

能登半島へ一泊二日旅行


 11月20日(火)、21日(水)に奥能登に一泊二日旅行に行ってきました。
20日(火)朝7時頃蓼科の山荘を車で出発し、中央自動車道・長野自動車道・北陸自動車・能登有料道路を通り、1時頃に能登半島の真ん中辺にある七尾市のフィッシャーマンズワーフ能登食祭市場に着いて、そこで昼食にちらし寿司を食べました。その後、その近くの能登島ガラス美術館に行きました(→http://www.city.nanao.lg.jp/glass/)。この美術館は、ステンドグラス制作が趣味で、最近はガラス・フュージョンも習ったりしている家内が見たかった所でした。

image from www.flickr.com                               さんなみ旅館・門 07.11.21

 ここを見た後、予約してあった奥能登の「郷土料理の宿さんなみ」に向かい、5時少し前に到着しました(→http://www.noto.ne.jp/sannami/)。今回の旅行の一番の目的はこの旅館の料理を食べる事でした。この旅館は、全国の良い旅館・ホテルを特集して、リストアップした最近の本の中でランキング入りしていた所です。

image from www.flickr.com                                   さんなみ旅館の郷土料理 07.11.20

その日の夕食には、近くの宇出津(うしつ)港で朝揚がった新鮮な魚介類がふんだんに使われていました。味付けには、イカの内臓と塩だけで熟成させたという魚醤油「いしり」が使われています。この旅館では、この「いしり」は自家製、かつおぶしも自分で作り、野菜も自分の畑で栽培したもの、と全て手作りです。朝獲れたズワイガニの足は生(さしみ)で食べました。「いしり」の味付けの料理はおいしく、いろいろないきの良い魚が出て、蓼科から500kmも車を走らせて来た、甲斐がありました。
また、旅館のご主人が囲炉裏の食卓に来て、料理について一つ一つ丁寧に説明してくれました 
お話ししたところ、ご主人は私と同い年の昭和22年生まれの猪年で、父親のやっていた民宿を引き継いだとのこと。「郷土料理の宿さんなみ」は「和楽」などいろいろな雑誌に既に取り上げられ、有名な漫画「おいしんぼう」にもこの旅館とご主人の船下さんが取り上げられ、描かれています(私は読んではいませんが)。それだけ名前が売れても、いまだに一日3組しか客を取らないということに、ご主人の仕事に対する良い意味でのこだわりを感じました

image from www.flickr.com                         さんなみ旅館から見た富山湾 07.11.21

 翌朝、郷土料理の朝食を楽しみ、庭を歩いたあと9時過ぎに旅館を後にしました。まず輪島に行き、朝市を見て、そこで干物、輪島塗の箸などを買いました。

image from www.flickr.com                                   輪島朝市 07.11.21

その後、外海側にある白米(しろよね)の千枚田を見て、能登半島最北端の禄剛埼(ろっこうざき)に寄りました。

image from www.flickr.com                                       白米の千枚田07.11.21

image from www.flickr.com                                      禄剛埼灯台 07.11.21

次に内海側に行き、見附島(別名軍艦島)を見ました。見附島の近くの地元の寿司屋でカニちらし寿司を食べた後、一路帰途につきました

image from www.flickr.com                             見附島 07.11.21

二日間とも天気は雨時々曇りでした。輪島では雹(ひょう)も降りました。この時期の雹は地元では「鰤(ぶり)おこし」と言ってこの雹が降ると鰤がやってくるのだそうです。帰りは、北陸自動車道では激しく雹が降り、長野県に入ったら雪になり、妙高辺りでは既に雪が高速道路上に積もっていました。行く前にスタッドレスタイヤに履き替えていて良かったです。二日間で合計1,140kmのドライブでした。
やや強行軍で、天気にはあまり恵まれませんでしたが、料理を楽しむという目的は達することができました。 

2007年11月19日月曜日

山荘の新雪


11月18日(日)にマンドリンクラブ定期演奏会前の最後の練習が終わった後、夕方家内に練習場の公民館まで車で迎えに来てもらい、そのまま蓼科に来ました。途中、小淵沢辺りでは雪がちらつきました。夜8時頃山荘に着きましたが、山荘周辺では庭にも道路にも雪が積もっていました。

山荘庭の新雪 07.11.19 by Poran111
山荘庭の新雪 07.11.19, a photo by Poran111 on Flickr.

今年は9月、10月と暖かかったわりには、新雪は例年より早かったです。写真は今朝、19日(月)の新雪の様子です。

朝、そのあと写真の道路に狐が現れ、道路を下の方に走って行きました。わりと大きな狐でしたが、写真は撮りそこないました。

2007年11月16日金曜日

映画『ALWAYS 続・三丁目の夕日』


11月15日(木)にイオンモールむさし村山ミュー(HP→http://musashimurayama-mu.aeonmall.com/)の中のシネマコンプレックス「ワーナーマイカルシネマ」に行って、映画『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(HP→http://www.always3.jp/)を見てきました。 
今回の物語は昭和34年の春からスタートしています。ローラーの間に洗濯物を挟んで手で回して搾る洗濯機や、東海道線の特急「こだま」(新幹線はできていない)、プロペラ式の飛行機が飛ぶ羽田空港、竹馬遊びなど懐かしい光景が満載。小物もよくこれだけ昔のものを揃えたと思うくらいで、感心します。昭和34年(1959年)と言えば私が小学校6年生の時で、まさに映画に描かれているような風景の中で毎日遊んでいました。
しかし、しばらく前の日本経済新聞夕刊の映画評論欄では、この『続・三丁目の夕日』には厳しい評点がついていました。ストーリーがわざとらしく、先が読めてしまうような展開が多いので、映画評論家の先生としては辛い点をつけたくなることは分ります。それでも、娯楽映画としては見ていて面白く、十分楽しめました。一緒に見た家内は前回の『三丁目の夕日』よりも今回の『続』の方が面白かったと言っていました。
因みに、ブログ・プロフィール(TypePadブログの時)の私の写真(下に添付)は昭和31年、小学校3年生の時のもので、言ってみれば、私にとっての「三丁目の夕日」の時でした。

2007年11月13日火曜日

晩秋の蓼科


11月11日(日)夜、2週間振りに蓼科に戻って来ました。

image from www.flickr.com                            晩秋の蓼科高原 07.11.13


もうこちらは、東京で言えば冬の気温です。12日(月)の午後からは一時みぞれが降りました。八ヶ岳や蓼科山の上の方は既に雪を冠っています。


image from www.flickr.com                           蓼科と車山 07.11.13

標高1,600mの我が家の山荘の周辺では、唐松林も既にほとんど落葉してしまいました。しかし、標高1,000m~1,100mの里山辺りまで降りてゆくと、オレンジ色のきれいな紅葉がまだ見られます。

image from www.flickr.com                                          蓼科里山の紅葉と新雪の八ヶ岳 07.11.13

2007年11月6日火曜日

柴又帝釈天と矢切の渡し


静岡から東京に出てきて40年以上経つのに、私はまだ柴又という所に行ったことがありませんでした。11月5日(月)は天気も良さそうだったので、柴又に行って、その周辺を歩いてきました。


image from www.flickr.com                        柴又帝釈天参道 07.11.5

中央線、東西線、都営浅草線などを乗り継いで、1時間半以上かかって京成金町線柴又駅に着きました。駅前の広場にはフーテンの寅像が立っていました。駅からすぐに帝釈天参道が続き、寅さん映画そのものの土産屋、だんご屋など、懐かしい感じの店が並んでいました。その正面の二天門を抜けると総けやき造りの帝釈堂がありました。400円の入場料を払って、帝釈堂外壁のたくさんの木彫りと、裏に続く庭園を見物しました。木彫りは法華経の説話を彫ったものなどで、見ごたえがありました。

image from www.flickr.com                     柴又帝釈堂 07.11.5

その後、大正から昭和の初めにかけて造られたという邸宅「山本亭」を見物し、歩いて江戸川の河原に行きました。河原から矢切の渡しに乗りました。渡しは片道100円、この辺りは江戸川の流れは非常にゆっくりで、電車の音も、車の音も聞こえず、静かで、天気も良く、船に乗っていると気持ち良かったです。

image from www.flickr.com                        矢切の渡し 07.11.5

対岸の千葉県松戸市側に降りた後、また渡しに乗って戻ってきました。その後、川沿いにある大きな川魚料亭「川甚」で鰻重を食べました。

近くの「葛飾柴又寅さん記念館」を見物し、帰りに参道の亀家で草だんごを買って、帰って来ました。この草だんごは、本当に生のお餅で、意外と美味しかったです。店の見える所で餅を作っていて、注文してから目の前で箱詰めしてくれましたから、最近問題になってりるような賞味期限のインチキはなさそうです。
いろいろ歩いたので結構くたびれましたが、一度は見てみる価値はあると思いました。


柴又帝釈天HP→ http://www.taishakuten.or.jp/

2007年11月2日金曜日

ミュージカル映画『ヘアスプレー』


11月1日(木)にイオンモールむさし村山ミュー(HP→http://musashimurayama-mu.aeonmall.com/)の中にあるシネマコンプレックス「ワーナーマイカルシネマ」に行って、ミュージカル映画『ヘアスプレー』(HP→http://hairspray.gyao.jp/)を見てきました。
1960年代のアメリカ・メリーランド州Baltimoreが舞台で、60年代の旋律、リズム、ファッションは懐かしく、最初から最後まで歌と踊りで溢れていました。人種差別という重いテーマを扱いながら、明るく、楽しい映画に出来上がっていました。中でも、ジョン・トラボルタが演じるデブの母親役はユーモラスで、踊りは立派、さすが役者だという感じです。
音楽も良く、娯楽映画としては十分楽しめました。


ヘアースプレー by Poran111
ヘアースプレー, a photo by Poran111 on Flickr.