2025年12月1日月曜日
2023年3月11日土曜日
映画『BLUE GAINT』
昨夜、「ららぽーと立川立飛」内の「TOHOシネマズ立川立飛」に行って映画『BLUE GIANT』を観てきました。
SNS上で私の友人・知人の3人がこの映画を観て、良かったと書いてあったので、興味を覚えたからです。
(一時、東京に戻っていたので、タイミング良く観ることができました。)
音楽は素晴らしく、音楽に絡まる映像も素晴らしかったです。ライブの演奏は情念を掻き立てられるような激しさで、圧倒されます。
音楽は世界的ジャズピアニスト、上原ひろみが担当し、ピアノも自ら演奏。サックスもドラムも素晴らしい奏者が揃えられています。
私にとっては今まで観たこともないような映画でした。
2017年9月22日金曜日
映画『伝説のギタリスト「マンゴレ」愛と芸術の果てに』の上映会を観る
9月12日(火)は中央高速バスに乗って、東京に出掛けて行き、日暮里サニーホールでの映画『伝説のギタリスト「マンゴレ」愛と芸術の果てに』上映会を観ました。
この映画は、パラグァイ生まれのギタリストで天才作曲家、アグスティン・バリオス、通称「マンゴレ」(グアラニー族の伝説的酋長の名前)の伝記映画です。
そして、映画のエンドロールには、再びバジェホス氏が登場し、バリオス作曲「パラグアイ舞曲」が演奏され、それに合わせて、主催者のギタリスト吉住和宏氏(この映画の字幕翻訳を行った)によりバリオス自作詩の朗読が行われました。
上映前後のバジェホス氏の演奏はバリオスを彷彿させる、美しい演奏でした。また、吉住和宏氏によるバリオス自作詩の朗読は映画の余韻を更に深めるもので、私にとっては東京まで出掛けて行った価値が十分にある、楽しいイベントでした。
さて、この映画はアグスティン・バリオスの伝記映画ですが、予想していた以上のフィクションが含まれています。1時間30分ほどの映画の中でストーリーを面白く組み立てるためには、伝記映画と言えどもフィクションが入ってくるのは止むを得ないのでしょう。
ところで、私は数年前から、謎めいた天才、アグスティン・バリオスの生涯や人間そのものに興味を持ち、時間のある時に、バリオスの英語での唯一(多分)の伝記本、Richard D. Stover 著「Six Silver Moonbeams: The Life and Times of Agustin Barrios Mangoré」(1992年)を読んだり、また、ネット上で入手できるバリオスに関する記事や小論などを調べて、目を通していました。この映画を見た私の友人、知人の中にもこの映画のフィクションと現実の堺がどこなのか、興味を持つ人がいました。そこで、バリオス・ファンの私としてはこの映画におけるフィクションと事実の違いについて、一言、言及したくなりました。
特に気になったバリオスの女性関係について、映画におけるフィクションと事実について以下に簡単に触れてみます。
(1)バリオスの最初の妻、「イサベル・ヴィジャルバ」
映画では、パラグァイで生まれたバリオスはパラグァイを出国する前に最初の恋人、イサベル・ヴィジャルバと事実上の結婚をし(婚姻届けは出していない)、二人の男の子をもうけます。
事実はどうだったでしょうか? 私が以下、「事実」として記載する内容は上記のRichard D. Stover 著の伝記本「Six Silver Moonbeams: The Life and Times of Agustin Barrios Mangoré」(1992年)の内容によります。Stover はこの本を書くにあたり、数年にわたって中南米各地を歩き、資料を集め、証言を得て、書いていますから、少なくともフィクションは含まれないと考えられます。
Stoverによれば、バリオスは母国、パラグアイを1910年(25歳頃)に最初に離れる前に、既にある女性にVirgilioという名前の息子を生ませています。その後、1926年(バリオス41歳頃)には同じくパラグアイで別の女性にNenequitaという名前の娘を生ませています。いずれの女性ともバリオスは結婚はしていません。(『Six Silver Moonbeams』の197頁による)
従って、バリオスがパラグァイにおいて「イサベル・ヴィジャルバ」に二人の男の子を生ませたというのはフィクションだと言えます。
(2)バリオスの晩年の事実上の妻、「グロリア・シルヴァ」
しかしながら、これらのフィクションが含まれていても、この映画の価値を引き下げるものではないと私は考えます。ともかく、クラシック・ギタリストの伝記映画が作られたということだけでも画期的です。バリオス・ファンにとっては、これは必見の映画だと私は思います。
なお、この映画でのギター曲はパラグァイ出身の世界的女流ギタリスト、ベルタ・ロハス(1966年~)が全て演奏しています。この映画の中に流れるベルタ・ロハスの演奏はとても美しく、効果的でした。中でも、バリオス作曲「ワルツ第3番」はBGMのように繰り返し流れ、私には印象に残りました。
************************
≪2017年10月24日追記 ~上の記事についての変更≫
上記の記事を書いて直ぐに、ギタリスト吉住和宏氏からの情報で、上述のアグスティン・バリオス・マンゴレの伝記本、Richard D. Stover著「Six Silber Moonbeams – The Life & Times of Agustin Barrios Mangore 」(1992年版~第1版)について、改訂版「 Paraguay – Edition 2012」が出版されていることを知りました。私は早速ネットで調べて、この改訂版を入手しました。
著者Richard Stoverは1992年第1版を出版後も調査を続け、パラグァイのバリオス関係組織、Barrios Mangore Project Centerなどと協力し、その後約20年間の調査で分かった事実やデータ、写真を基に増補・改定した2012年版をパラグァイにて出版したものでした。この「Paraguay – Edition 2012」(全433頁)は「1992年版~第1版」(全271頁)の内容を含み、大幅に増補され、1992年版の内容も一部修正されています。特にバリオスの女性関係、家族関係については多くの新しい事実が分かり、「The Barrios Family」という一つの章を追加して、より詳しく記載されています。
<「Six Silber Moonbeams – The Life & Times of Agustin Barrios Mangore 」(Paraguay – Edition 2012)表紙>
それによりますと、
まず、(1)バリオスの最初の妻、「イサベル・ヴィジャルバ」については、
結論から述べますと、映画のストーリー、「バリオスは最初の恋人、イサベル・ヴィジャルバと事実上の結婚をし、二人の男の子をもうけた」というのは事実に即しています。
上述の「 Paraguay – Edition 2012」によれば、バリオスはイサベル・ヴィジャルバ(Isabel Villalba)に二人の男の子をアスンシオンで産ませています。長男、Pedro Virgilio(1908~1974)と次男、Reinaldo(1910?~?)です。
また、バリオスは、次にパラグァイに帰国した1925年にIsabel Valienteと恋愛関係に陥り、アスンシオンで一人の女の子を産ませました(いずれの女性もファーストネームがIsabelなのは偶然の一致)。その子の名はAda Ramona Elena Valiente(1926~1984)で、長じてプロ・ハープ奏者となり、“Nenequita” Caceres の名で知られ、長年フランスで住んでいました。
また、上に掲載の「1908年6月にバリオスが鉛筆で描いたIsabelの肖像画」については、伝記本「Six Silber Moonbeams 」(1992年版~第1版)ではそれ以上の詳しい記載がなく、具体的に誰を描いたものか不明でした。しかし、この「 Paraguay – Edition 2012」では、バリオスが描いたこの鉛筆画はイサベル・ヴィジャルバの肖像画だとはっきり述べられています。
映画の中でも、イサベル・ヴィジャルバに、バリオスが自分で描いた彼女の肖像画をプレゼントする場面が出てきます。
また、(2)バリオスの晩年の事実上の妻、「グロリア・シルヴァ」については、
伝記本「Six Silber Moonbeams 」(1992年版~第1版)では、その名を「グロリア・セバン(Gloria Seban)」と記載されていました。しかし、「 Paraguay – Edition 2012」では、その名を「グロリア・シルヴァ(Gloria Silva)」(1903年~1965年)と記載し、通称(pseudonym)が「グロリア・セバン(Gloria Seban)」だと記載されています(「 Paraguay – Edition 2012」の148頁)。
その後の調査で、本名が「グロリア・シルヴァ」で「セバン」は通称だという事が判明したと考えられます。
いずれにしましても、アグスティン・バリオスという人物は、新しい事実が分かれば分かるほど、また次の新しい興味、好奇心が湧いてくる、不思議な魅力のある人物だと私には思えます。
この映画は、パラグァイ生まれのギタリストで天才作曲家、アグスティン・バリオス、通称「マンゴレ」(グアラニー族の伝説的酋長の名前)の伝記映画です。
<アグスティン・バリオスを演じる俳優ダミアン・アルカサール>
クラシックギター音楽界においてアグスティン・バリオス(1885年~1944年)は、「近代ギター音楽の父」と称されるフランシスコ・タレガ(1852年~1909年)と並ぶ(ある部分ではタレガを上回る)、天才作曲家だと私は考えています。
しかし、モーツァルトやショパンと違って、クラシックギターのバリオスと言っても、一般の人で知っている人は非常に少ないので、この映画を普通の映画館で上映するのは難しいのでしょう。そこで、一般の小さなホールを借りて、小さな移動型スクリーンを使っての上映会となりました。その上、東京都内での上映は当面は8月11日(金・祝)とこの日の2回のみ。バリオス・ファンの私としてはこれを見逃すわけにはいかず、この日、蓼科から東京まで出掛けて行きました。
<バリオス/1923年(38歳頃)アルゼンチンのRosarioにて>
上映に先立ち、チリの名ギタリスト、アレクシス・バジェホス氏によりスクリーンの前で、バリオス作曲の「ビダリータ」、「ドン・ペレス・フレイレ」、「フリア・フロリダ」、3曲のギター演奏が行われました。
上映に先立ち、チリの名ギタリスト、アレクシス・バジェホス氏によりスクリーンの前で、バリオス作曲の「ビダリータ」、「ドン・ペレス・フレイレ」、「フリア・フロリダ」、3曲のギター演奏が行われました。
<映画・伝説のギタリスト「マンゴレ」・予告編>
そして、映画のエンドロールには、再びバジェホス氏が登場し、バリオス作曲「パラグアイ舞曲」が演奏され、それに合わせて、主催者のギタリスト吉住和宏氏(この映画の字幕翻訳を行った)によりバリオス自作詩の朗読が行われました。
<映画のエンドロールにてバジェホス氏の演奏と吉住和宏氏の詩の朗読>
上映前後のバジェホス氏の演奏はバリオスを彷彿させる、美しい演奏でした。また、吉住和宏氏によるバリオス自作詩の朗読は映画の余韻を更に深めるもので、私にとっては東京まで出掛けて行った価値が十分にある、楽しいイベントでした。
さて、この映画はアグスティン・バリオスの伝記映画ですが、予想していた以上のフィクションが含まれています。1時間30分ほどの映画の中でストーリーを面白く組み立てるためには、伝記映画と言えどもフィクションが入ってくるのは止むを得ないのでしょう。
ところで、私は数年前から、謎めいた天才、アグスティン・バリオスの生涯や人間そのものに興味を持ち、時間のある時に、バリオスの英語での唯一(多分)の伝記本、Richard D. Stover 著「Six Silver Moonbeams: The Life and Times of Agustin Barrios Mangoré」(1992年)を読んだり、また、ネット上で入手できるバリオスに関する記事や小論などを調べて、目を通していました。この映画を見た私の友人、知人の中にもこの映画のフィクションと現実の堺がどこなのか、興味を持つ人がいました。そこで、バリオス・ファンの私としてはこの映画におけるフィクションと事実の違いについて、一言、言及したくなりました。
特に気になったバリオスの女性関係について、映画におけるフィクションと事実について以下に簡単に触れてみます。
(1)バリオスの最初の妻、「イサベル・ヴィジャルバ」
<映画での最初の妻「イサベル・ヴィジャルバ」(女優 ラリ・ゴンザレス)>
映画では、パラグァイで生まれたバリオスはパラグァイを出国する前に最初の恋人、イサベル・ヴィジャルバと事実上の結婚をし(婚姻届けは出していない)、二人の男の子をもうけます。
事実はどうだったでしょうか? 私が以下、「事実」として記載する内容は上記のRichard D. Stover 著の伝記本「Six Silver Moonbeams: The Life and Times of Agustin Barrios Mangoré」(1992年)の内容によります。Stover はこの本を書くにあたり、数年にわたって中南米各地を歩き、資料を集め、証言を得て、書いていますから、少なくともフィクションは含まれないと考えられます。
Stoverによれば、バリオスは母国、パラグアイを1910年(25歳頃)に最初に離れる前に、既にある女性にVirgilioという名前の息子を生ませています。その後、1926年(バリオス41歳頃)には同じくパラグアイで別の女性にNenequitaという名前の娘を生ませています。いずれの女性ともバリオスは結婚はしていません。(『Six Silver Moonbeams』の197頁による)
従って、バリオスがパラグァイにおいて「イサベル・ヴィジャルバ」に二人の男の子を生ませたというのはフィクションだと言えます。
<1908年6月にバリオスが鉛筆で描いたIsabelの肖像画>
Stover の伝記本にもイサベルと言う名前の女性が取り上げられています。Stover よれば、バリオスは1908年6月3日(バリオス23歳の時)に「Isabel」という名の女性の肖像画を鉛筆で書いています。そして、その絵には「To my beautiful friend Isabel. ~A.Barrios」と記されています(上の写真)。このIsabelがどのような女性かについてはこの伝記本には記述がなく、分かりません。Isabelがバリオスの初恋の女性だと唱える人もいますが、その信憑性は定かではありません。
(注:この記事の内容についての変更を下に追記してあります。)
(注:この記事の内容についての変更を下に追記してあります。)
<映画での晩年の妻「グロリア・シルヴァ」(女優 アパレシーダ・ペトロウキー)>
また、映画ではバリオスの晩年の事実上の妻、「グロリア・シルヴァ」が登場します(上の写真)。映画では、グロリア・シルヴァはダンサーで、バリオスはグロリアとブラジルのキャバレーで出会います。その後、グロリアはバリオスと行動を共にし、演奏活動のために中南米各地を転々とするバリオスを癒やし、 最期まで一緒でした。
<グロリアとアグスティン/1932年12月Bogotaにて>
事実はどうでしょうか? 上述の伝記本によれば、バリオスには晩年、事実上の妻となり、生涯行動を共にしたグロリア・セバン(Gloria Seban)と言う女性がいました(上の写真)。
バリオスはグロリア・セバンとは1929年(バリオス44歳頃)に知り合いましたが、その頃にはバリオスの長年の奔放な女性遍歴はようやく影をひそめていたそうです。バリオスはこのGloria Sebanとも正式(法的)には結婚していませんが、グロリアは伴侶となり、1944年8月にバリオスがエルサルバドルにて59歳で心不全で客死するまで生涯行動を共にしました。
しかし、グロリアがダンサーだったというのはフィクションだと考えられます。
Stover によれば、グロリアは教養はあまりなかったが、実際的で、料理がとても上手な、家庭的な女性でした。音楽に詳しかったわけでもなく、芸術家でもありませんでした。伝記本にはダンサーだったという記述は全くありません。彼女はバリオスを愛し、バリオスの日々の身の回りの世話を良くしたそうです。
バリオスはグロリア・セバンとは1929年(バリオス44歳頃)に知り合いましたが、その頃にはバリオスの長年の奔放な女性遍歴はようやく影をひそめていたそうです。バリオスはこのGloria Sebanとも正式(法的)には結婚していませんが、グロリアは伴侶となり、1944年8月にバリオスがエルサルバドルにて59歳で心不全で客死するまで生涯行動を共にしました。
しかし、グロリアがダンサーだったというのはフィクションだと考えられます。
Stover によれば、グロリアは教養はあまりなかったが、実際的で、料理がとても上手な、家庭的な女性でした。音楽に詳しかったわけでもなく、芸術家でもありませんでした。伝記本にはダンサーだったという記述は全くありません。彼女はバリオスを愛し、バリオスの日々の身の回りの世話を良くしたそうです。
しかしながら、これらのフィクションが含まれていても、この映画の価値を引き下げるものではないと私は考えます。ともかく、クラシック・ギタリストの伝記映画が作られたということだけでも画期的です。バリオス・ファンにとっては、これは必見の映画だと私は思います。
<ベルタ・ロハス演奏、バリオス作曲ワルツ第3番>
なお、この映画でのギター曲はパラグァイ出身の世界的女流ギタリスト、ベルタ・ロハス(1966年~)が全て演奏しています。この映画の中に流れるベルタ・ロハスの演奏はとても美しく、効果的でした。中でも、バリオス作曲「ワルツ第3番」はBGMのように繰り返し流れ、私には印象に残りました。
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≪2017年10月24日追記 ~上の記事についての変更≫
上記の記事を書いて直ぐに、ギタリスト吉住和宏氏からの情報で、上述のアグスティン・バリオス・マンゴレの伝記本、Richard D. Stover著「Six Silber Moonbeams – The Life & Times of Agustin Barrios Mangore 」(1992年版~第1版)について、改訂版「 Paraguay – Edition 2012」が出版されていることを知りました。私は早速ネットで調べて、この改訂版を入手しました。
著者Richard Stoverは1992年第1版を出版後も調査を続け、パラグァイのバリオス関係組織、Barrios Mangore Project Centerなどと協力し、その後約20年間の調査で分かった事実やデータ、写真を基に増補・改定した2012年版をパラグァイにて出版したものでした。この「Paraguay – Edition 2012」(全433頁)は「1992年版~第1版」(全271頁)の内容を含み、大幅に増補され、1992年版の内容も一部修正されています。特にバリオスの女性関係、家族関係については多くの新しい事実が分かり、「The Barrios Family」という一つの章を追加して、より詳しく記載されています。
<「Six Silber Moonbeams – The Life & Times of Agustin Barrios Mangore 」(Paraguay – Edition 2012)表紙>
それによりますと、
まず、(1)バリオスの最初の妻、「イサベル・ヴィジャルバ」については、
結論から述べますと、映画のストーリー、「バリオスは最初の恋人、イサベル・ヴィジャルバと事実上の結婚をし、二人の男の子をもうけた」というのは事実に即しています。
上述の「 Paraguay – Edition 2012」によれば、バリオスはイサベル・ヴィジャルバ(Isabel Villalba)に二人の男の子をアスンシオンで産ませています。長男、Pedro Virgilio(1908~1974)と次男、Reinaldo(1910?~?)です。
<イサベル・ヴィジャルバ ~「 Paraguay – Edition 2012」の289頁より>
また、バリオスは、次にパラグァイに帰国した1925年にIsabel Valienteと恋愛関係に陥り、アスンシオンで一人の女の子を産ませました(いずれの女性もファーストネームがIsabelなのは偶然の一致)。その子の名はAda Ramona Elena Valiente(1926~1984)で、長じてプロ・ハープ奏者となり、“Nenequita” Caceres の名で知られ、長年フランスで住んでいました。
<Isabel Valiente ~「 Paraguay – Edition 2012」の291頁より>
また、上に掲載の「1908年6月にバリオスが鉛筆で描いたIsabelの肖像画」については、伝記本「Six Silber Moonbeams 」(1992年版~第1版)ではそれ以上の詳しい記載がなく、具体的に誰を描いたものか不明でした。しかし、この「 Paraguay – Edition 2012」では、バリオスが描いたこの鉛筆画はイサベル・ヴィジャルバの肖像画だとはっきり述べられています。
映画の中でも、イサベル・ヴィジャルバに、バリオスが自分で描いた彼女の肖像画をプレゼントする場面が出てきます。
また、(2)バリオスの晩年の事実上の妻、「グロリア・シルヴァ」については、
伝記本「Six Silber Moonbeams 」(1992年版~第1版)では、その名を「グロリア・セバン(Gloria Seban)」と記載されていました。しかし、「 Paraguay – Edition 2012」では、その名を「グロリア・シルヴァ(Gloria Silva)」(1903年~1965年)と記載し、通称(pseudonym)が「グロリア・セバン(Gloria Seban)」だと記載されています(「 Paraguay – Edition 2012」の148頁)。
その後の調査で、本名が「グロリア・シルヴァ」で「セバン」は通称だという事が判明したと考えられます。
<グロリア・シルヴァ(通称グロリア・セバン) ~Edition 1992(第1版)より>
いずれにしましても、アグスティン・バリオスという人物は、新しい事実が分かれば分かるほど、また次の新しい興味、好奇心が湧いてくる、不思議な魅力のある人物だと私には思えます。
2017年1月30日月曜日
映画『沈黙 - サイレンス - 』
先週、26日(木)に家内と岡谷スカラ座に行き、映画『沈黙 - サイレンス - 』を観てきました。
遠藤周作の1966年書き下ろしの小説『沈黙』をアメリカ人、マーティン・スコセッシ監督が映画化したものです。
2時間45分の長編映画が休憩なしで上映されました。テーマが重く、暗いものなので、途中でダレたりしないのかなと思いましたが、見始めると引き込まれ、長さを全然感じさせませんでした。それだけ脚本が良く、映画に力があったということでしょう。何年か経っても名作の一つとして残る映画だと思われます。
小説を映画化する時には、当然、シナリオの作り方によって与える印象、訴え方は違ってきます。この映画のシナリオは良かったと思いますが、見終わって、原作の小説はどうだったのかな、もう一度読み直してみたいという気持ちが湧いてきました。私が小説『沈黙』を読んだのはもう40年以上前のことだからです。
遠藤周作(1923年~1996年)がこの小説を書いた直後は、神が沈黙し、司祭が踏絵を踏み、棄教するという衝撃的なストーリーからカトリック教会の中の一部からは反論や反発の声が上がったことを覚えています。
これに対する遠藤周作の思いは、1974年の著書『切支丹の里』における、弱者たる棄教者に向けた自身の次のような言葉から読み取れます(ウィキペディアによる)。
ところで、小説『沈黙』は出版の3年後、1969年にウイリアム・ジョンストン師によって英訳されました。この英訳本『Silence』はすぐにヨーロッパを中心に海外で広く読まれ、反響を呼んだそうです。
『第三の男』を代表作に持つイギリスの小説家、グレアム・グリーンは、英訳された『沈黙』を読み、その年度のベスト3の一つに挙げています。グリーンは、『沈黙』をいち早く認め、遠藤に対して作品を絶賛する手紙を送るだけでなく、「20世紀のキリスト教文学で最も重要な作家である」とまで断言しているとの事です。
海外からの評価が高いことは、『沈黙』が2009年の英ガーディアン紙が選ぶ「死ぬまでに読むべき必読小説1000冊リスト」に選出され、海外の読書好きが投票形式で決定する「日本文学ランキング100」では37位(2016年4月現在)にランクインしている事でも明らかです。
また、映画監督のマーティン・スコセッシは1988年に『沈黙』の英訳本を読み、大きな衝撃を受け、映画化を固く決意したそうです。それから28年を経て、昨年ようやく映画化、上映に漕ぎ付けました。
当然、翻訳本においては訳の出来不出来は大きく影響し、英訳者、ウイリアム・ジョンストン師の貢献は大きかったと私には思われます。しかしながら、ネット上で調べても、翻訳者については全くと言っていいほど触れられていません。
私はジョンストン師とはかつて若干の個人的交流があり、それなりの思い入れがありますので、ここにあえて彼を紹介しておきたいと思います。
遠藤周作の1966年書き下ろしの小説『沈黙』をアメリカ人、マーティン・スコセッシ監督が映画化したものです。
2時間45分の長編映画が休憩なしで上映されました。テーマが重く、暗いものなので、途中でダレたりしないのかなと思いましたが、見始めると引き込まれ、長さを全然感じさせませんでした。それだけ脚本が良く、映画に力があったということでしょう。何年か経っても名作の一つとして残る映画だと思われます。
<映画『沈黙 - サイレンス - 』のチラシより>
小説を映画化する時には、当然、シナリオの作り方によって与える印象、訴え方は違ってきます。この映画のシナリオは良かったと思いますが、見終わって、原作の小説はどうだったのかな、もう一度読み直してみたいという気持ちが湧いてきました。私が小説『沈黙』を読んだのはもう40年以上前のことだからです。
<『沈黙 - サイレンス - 』予告編>
遠藤周作(1923年~1996年)がこの小説を書いた直後は、神が沈黙し、司祭が踏絵を踏み、棄教するという衝撃的なストーリーからカトリック教会の中の一部からは反論や反発の声が上がったことを覚えています。
これに対する遠藤周作の思いは、1974年の著書『切支丹の里』における、弱者たる棄教者に向けた自身の次のような言葉から読み取れます(ウィキペディアによる)。
こうして弱者たちは政治家からも歴史家からも黙殺された。沈黙の灰のなかに埋められた。だが弱者たちもまた我々と同じ人間なのだ。彼等がそれまで自分の理想としていたものを、この世でもっとも善く、美しいと思っていたものを裏切った時、泪を流さなかったとどうして言えよう。後悔と恥とで身を震わせなかったとどうして言えよう。その悲しみや苦しみにたいして小説家である私は無関心ではいられなかった。彼等が転んだあとも、ひたすら歪んだ指をあわせ、言葉にならぬ祈りを唱えたとすれば、私の頬にも泪が流れるのである。
私自身は遠藤周作の小説家としてのこの立場に共感を覚えます。
ところで、小説『沈黙』は出版の3年後、1969年にウイリアム・ジョンストン師によって英訳されました。この英訳本『Silence』はすぐにヨーロッパを中心に海外で広く読まれ、反響を呼んだそうです。
『第三の男』を代表作に持つイギリスの小説家、グレアム・グリーンは、英訳された『沈黙』を読み、その年度のベスト3の一つに挙げています。グリーンは、『沈黙』をいち早く認め、遠藤に対して作品を絶賛する手紙を送るだけでなく、「20世紀のキリスト教文学で最も重要な作家である」とまで断言しているとの事です。
海外からの評価が高いことは、『沈黙』が2009年の英ガーディアン紙が選ぶ「死ぬまでに読むべき必読小説1000冊リスト」に選出され、海外の読書好きが投票形式で決定する「日本文学ランキング100」では37位(2016年4月現在)にランクインしている事でも明らかです。
<英訳本『Silence』表紙>
また、映画監督のマーティン・スコセッシは1988年に『沈黙』の英訳本を読み、大きな衝撃を受け、映画化を固く決意したそうです。それから28年を経て、昨年ようやく映画化、上映に漕ぎ付けました。
当然、翻訳本においては訳の出来不出来は大きく影響し、英訳者、ウイリアム・ジョンストン師の貢献は大きかったと私には思われます。しかしながら、ネット上で調べても、翻訳者については全くと言っていいほど触れられていません。
私はジョンストン師とはかつて若干の個人的交流があり、それなりの思い入れがありますので、ここにあえて彼を紹介しておきたいと思います。
ウイリアム・ジョンストン(William Johnston)師は1925年7月30日にアイルランドで生れ、1943年、18歳の時にイエズス会に入会し、1951年、26歳の時に来日しました。日本において司祭叙階し、以後長年にわたって上智大学で英語、英文学、神学の教鞭をとられました。
彼の第一の専攻はmystical theology(神秘神学)で、東西の宗教思想の研究を長く行ってきました。特に禅の研究には造詣が深く、自ら禅寺で座禅の修行をしたこともあります。彼には、「The Cloud of Unknowings」、「Christian Zen」、「Silent Music」などの多くの英文の著作があり、世界で広く読まれています。
カトリック作家の遠藤周作とは長く親交がありました。洗練された文章を書く文学者であり、日本文化に造形の深いジョンストン師は『沈黙』の英訳には最適任だったと私には思えます。
<ウイリアム・ジョンストン師と家内と私/彼の著作出版記念パーティーにて 2005年1月29日>
さて、人間としてのジョンストン師は感性がとても豊かで、人を暖かく包み込む包容力がありました。私にとっては忘れることのできない人物の一人です。
2016年9月30日金曜日
映画『パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト』
一昨日、28日(水)夜、まつもと市民芸術館小ホールで上映された映画『パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト』を見てきました。
この映画は、2014年に66歳で急逝したスペインの天才フラメンコギタリスト、パコ・デ・ルシアの音楽ドキュメンタリーです。
この映画は首都圏では何か所かでロードショーが行われていますが、長野県での上映はNPO法人、松本CINEMAセレクトが主催するこの日のここでの1回だけでした。そこで、何としても見たいと思い、松本まで車を飛ばして家内と見に行きました。
監督クーロ・サンチェスはパコ・デ・ルシアの実の息子で、映画では7歳でギターを始めて、12歳でプロのフラメンコギタリストとしてデビューしてから亡くなるまでの60年間の軌跡を多くの音楽映像と伴に辿っています。
パコ・デ・ルシアの演奏は、どんなに早く激しく弾いても全ての音が美しく、一つ一つの音が生きています。その音は時に哀愁を帯びていて、激しく心に迫ってきます。
パコはジャズなどフラメンコ以外のジャンルにも活躍の場を広げ、そのため、当時のクラシックギターの巨匠、アンドレス・セゴビアからは「パコはフラメンコギタリストではない」とまで批判されました。しかし、パコは自分の音楽を探求し、パコが「フラメンコに革命を起こした男」と言われるのは、その通りなのだと思えます。
映画を見て、一度彼の生演奏を聴いてみたかったなと思います。
この日の映画終了後、元ギタリスト、高橋章氏と松本CINEMAセレクトの方とのトークショーがありました。高橋章氏は、約27前にパコ・デ・ルシアの松本でのコンサートを企画招聘した人で、当時の思い出話などが披露されました。
私はフラメンコギターは習ったことはありませんが、90分にわたる映画でのパコのたくさんの演奏を聴いて、やはり現代クラシックギターはフラメンコの大きな流れを汲んでいる、と感じました。特に、「現代クラシックギター音楽の父」と言われるスペインの天才ギタリスト兼作曲家、フランシスコ・タレガ(1852~1909)の作品にはフラメンコの味わいが感じられる曲は多く、また、フラメンコの演奏テクニックが取り入れられているところもあります。
この機会を逃さず、松本まで見に行った価値は十分あったと思えますし、自分にとっては印象に残る映画の一つになりそうです。
この映画は、2014年に66歳で急逝したスペインの天才フラメンコギタリスト、パコ・デ・ルシアの音楽ドキュメンタリーです。
この映画は首都圏では何か所かでロードショーが行われていますが、長野県での上映はNPO法人、松本CINEMAセレクトが主催するこの日のここでの1回だけでした。そこで、何としても見たいと思い、松本まで車を飛ばして家内と見に行きました。
<映画『パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト』予告編>
監督クーロ・サンチェスはパコ・デ・ルシアの実の息子で、映画では7歳でギターを始めて、12歳でプロのフラメンコギタリストとしてデビューしてから亡くなるまでの60年間の軌跡を多くの音楽映像と伴に辿っています。
パコ・デ・ルシアの演奏は、どんなに早く激しく弾いても全ての音が美しく、一つ一つの音が生きています。その音は時に哀愁を帯びていて、激しく心に迫ってきます。
パコはジャズなどフラメンコ以外のジャンルにも活躍の場を広げ、そのため、当時のクラシックギターの巨匠、アンドレス・セゴビアからは「パコはフラメンコギタリストではない」とまで批判されました。しかし、パコは自分の音楽を探求し、パコが「フラメンコに革命を起こした男」と言われるのは、その通りなのだと思えます。
映画を見て、一度彼の生演奏を聴いてみたかったなと思います。
<元ギタリスト、高橋章氏(右)とのアフタートーク@まつもと市民芸術館小ホール 21:08>
この日の映画終了後、元ギタリスト、高橋章氏と松本CINEMAセレクトの方とのトークショーがありました。高橋章氏は、約27前にパコ・デ・ルシアの松本でのコンサートを企画招聘した人で、当時の思い出話などが披露されました。
私はフラメンコギターは習ったことはありませんが、90分にわたる映画でのパコのたくさんの演奏を聴いて、やはり現代クラシックギターはフラメンコの大きな流れを汲んでいる、と感じました。特に、「現代クラシックギター音楽の父」と言われるスペインの天才ギタリスト兼作曲家、フランシスコ・タレガ(1852~1909)の作品にはフラメンコの味わいが感じられる曲は多く、また、フラメンコの演奏テクニックが取り入れられているところもあります。
この機会を逃さず、松本まで見に行った価値は十分あったと思えますし、自分にとっては印象に残る映画の一つになりそうです。
2012年3月5日月曜日
映画『禁じられた遊び』
映画『禁じられた遊び』のDVDをレンタルショップから借りてきて、見ました。
この映画はルネ・クレマン監督の1952年公開のフランス映画で、アカデミー賞外国映画賞やヴェネツィア国際映画祭サン・マルコ金獅子賞などを受賞した、言わずと知れた名画です。
「禁じられた遊び」DVD, a photo by Poran111 on Flickr.
私がこの映画を前回見たのはもう半世紀近くも前でしょう。私の年代で若い時にギターを弾いた人達は、この映画の中で流れるナルシソ・イエペス演奏の名曲「愛のロマンス」に魅せられ、自分でも弾いてみたくなって、ギターを習い始めた人が多かったはずです。私もその一人です。
<映画『禁じられた遊び』:Jeux interdits>
今、再びこの映画を見ると、イエペスの演奏するギター曲の数々は哀愁を帯び、映画の雰囲気を深めています。また、イエペスの演奏するギター音楽もこの映画によって生かされています。
映画を見たら、自分でもギターで弾きたくなって、久し振りに「愛のロマンス」を弾きました。
ところで、私は去年から、ギタリスト・小原聖子先生が蓼科にいらした時に、仲間と一緒に聖子先生から時々レッスンを受けられるようになりました。聖子先生は、ナルシソ・イエペス(1927年~1997年)が来日した際にその才能を認められ、17歳の時に一緒にスペインに渡り、イエペスから直接指導を受けられた、謂わば、イエペスの愛弟子です。レッスンの中で聖子先生は時々イエペスの演奏技術の話もして下さいます。
そうすると、聖子先生から今レッスンを受けている私はイエペスの「孫弟子」と言えるのでしょうか?もっとも、私の演奏レベルでは、そう言っても、誰もまともに話を聞いてくれないとは思いますが・・・。
2011年9月27日火曜日
ヘンリー・マンシーニ作曲「ひまわり」
ヘンリー・マンシーニ作曲「ひまわり」を今練習しています。
ヘンリー・マンシーニが作曲した映画「ひまわり」のテーマ曲を江部賢一がギター・ソロに編曲したものですが、これが名編曲です。
私が持っている、福田進一さんのCD「CINEMA DREAMS」の中にこの曲が収められていますが、さすが「世界の福田」と言う感じで、福田さんはとてもかっこう良く弾いています(下の動画ご参照)。福田さんの演奏を聴いているうちに、自分でも練習してみたくなりました。
自分で練習してみると、意外と指使いの難しいところが多く、うまく弾けないところ、納得の行かないところが何箇所かありました。小原聖子先生による「蓼科臨時ギター教室」で、8月と9月の2回にわたって私はこの曲で個人レッスンを受けました。聖子先生は問題点やうまく弾けない部分を解決するための技術的な練習方法を的確に教えて下さいました。アドバイスを受けると、「なるほど、そう練習すれば良いんだ」と納得し、感心することばかりです。あとはそれに従って練習するだけです。
ところで、この映画「ひまわり」はヴィットリオ・デ・シーカ監督、マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレン主演の1970年公開のイタリア映画です。第二次世界大戦中の悲恋を描き、反戦映画とも言われる傑作です。美しいひまわり畑と共に映画の中で繰り返し流れるこのテーマ曲は映画音楽の中の名曲中の名曲だと私は思います。映画に流れるオリジナル曲のように、クラシックギターでもしっとりと弾くことができたら、素晴らしいだろうと思っています。
ヘンリー・マンシーニが作曲した映画「ひまわり」のテーマ曲を江部賢一がギター・ソロに編曲したものですが、これが名編曲です。
私が持っている、福田進一さんのCD「CINEMA DREAMS」の中にこの曲が収められていますが、さすが「世界の福田」と言う感じで、福田さんはとてもかっこう良く弾いています(下の動画ご参照)。福田さんの演奏を聴いているうちに、自分でも練習してみたくなりました。
自分で練習してみると、意外と指使いの難しいところが多く、うまく弾けないところ、納得の行かないところが何箇所かありました。小原聖子先生による「蓼科臨時ギター教室」で、8月と9月の2回にわたって私はこの曲で個人レッスンを受けました。聖子先生は問題点やうまく弾けない部分を解決するための技術的な練習方法を的確に教えて下さいました。アドバイスを受けると、「なるほど、そう練習すれば良いんだ」と納得し、感心することばかりです。あとはそれに従って練習するだけです。
ところで、この映画「ひまわり」はヴィットリオ・デ・シーカ監督、マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレン主演の1970年公開のイタリア映画です。第二次世界大戦中の悲恋を描き、反戦映画とも言われる傑作です。美しいひまわり畑と共に映画の中で繰り返し流れるこのテーマ曲は映画音楽の中の名曲中の名曲だと私は思います。映画に流れるオリジナル曲のように、クラシックギターでもしっとりと弾くことができたら、素晴らしいだろうと思っています。
2010年3月6日土曜日
映画「アバター」
この映画は第67回ゴールデングローブ賞の「作品賞」と「監督賞」を受賞し、第82回アカデミー賞では作品賞、監督賞、美術賞、撮影賞、編集賞、作曲賞、音響効果賞、録音賞、視覚効果賞の計9部門にノミネートされています。アカデミー賞は現地時間3月7日(日本時間では明後日)には発表される予定になっています。
しかし、3Dを使った映像は迫力があり、リアルで、なるほどと納得します。 映画は過去半世紀にわたって、白黒映画→カラー映画→70ミリ映画→シネマスコープ→デジタル・サラウンド音響と進歩してきました。ここしばらくは目立った進歩はなかったように思います。しかし、この映画は今までとは全く違った映画でした。向上した3D技術によって、映画は新しい段階に入ったのではないか、と感じました。
ジェームズ・キャメロン監督はこれからはもう3Dでしか映画は作らない、と言っているそうですが、それも頷けます。
3D用メガネ/アバター 2010年3月, a photo by Poran111 on Flickr.
通常私は洋画は字幕で見ますが、この映画は吹き替えで見ました。映画を既に見た人のブログに吹き替えの方が良いと書いてあったので、そうしたのですが、これは正解でした。3Dですと字幕は読みにくく、吹き替えの方が画像に集中できる感じがしました。
トータルで考えれば、見ておく価値は十分ある映画だと思いました。
<3月8日(月)追記>
3月7日発表の第82回アカデミー賞で、「アバター」は視覚効果、美術、撮影の3冠にとどまりました。順当な結果と言えるでしょう。
トータルで考えれば、見ておく価値は十分ある映画だと思いました。
<3月8日(月)追記>
3月7日発表の第82回アカデミー賞で、「アバター」は視覚効果、美術、撮影の3冠にとどまりました。順当な結果と言えるでしょう。
2009年3月5日木曜日
映画「マンマ・ミーア!」
3月3日(火)に家内とイオンモールむさし村山にあるシネマ・コンプレックス「むさし野ミュー」に行って、映画「マンマ・ミーア!」を観ました。
娯楽映画としてはなかなか楽しめる映画でした。この映画のホームページ によると“ミュージカル映画史上、世界No.1興行収入を記録更新中!”だそうです。テーマが母子家庭の娘の結婚式とその父親捜しという、どの国の人にとっても共通する親子と結婚がテーマになっているということもあるのでしょうか。
Wikipediaによるとこの映画は「ミュージカル用に新曲を書き下ろすのではなく既存のヒット曲を並べてストーリーを構成する、ジュークボックス・ミュージカルといわれるスタイルを、ポップミュージックで復活させた現代版カタログ・ミュージカル作品」だそうです。
映画「マンマ・ミーア!」, a photo by Poran111 on Flickr.
しかし、私としては一つだけこの映画に不満な点がありました。それは主役とも言える、花嫁の母親役にメリル・ストリープを使っていることです。ストーリーでは花嫁は20歳ですから普通に考えれば母親は40歳代位です。しかし、実際のメリル・ストリープは今年60歳になりますから、どう見ても歳を取り過ぎています。メリル・ストリープは熱演し、頑張ってダンスをしていましたが、私には一寸しんどそうに見えました。メリル・ストリープの歌は女優としては上手ですが、やはり本格的な歌手と比べると、声の質などちょっと見劣り(いや、聴き劣り)します。
メリル・ストリープは演技派の大女優ですが、ミュージカルですから、矢張りここは本格的な歌と踊りのできる人を使ってほしかったです。
2009年2月27日金曜日
映画「おくりびと」
MOVIX昭島に着いたら、切符売り場は長蛇の列です。午前の部はもう満席だと、係りの人が説明していました。我々は二日前にNETで席を予約してあったので、真ん中のベストの席で問題なく見ることができました。MOVIX昭島はヒット映画を見にいっても、いつも席はすいていて、これまで満席になったことなど見たことがありませんでした。しかし、アカデミ-賞外国映画賞を取った効果は絶大で、満員で切符を買えない人が大勢いました。
内容は新聞などで報道されている通りですが、やはり見て良かったと思います。沢山の賞を取るのも納得できます。最後の場面では、涙もろくはない私ですが、いつの間にか涙がにじんできました。
2007年11月16日金曜日
映画『ALWAYS 続・三丁目の夕日』
11月15日(木)にイオンモールむさし村山ミュー(HP→http://musashimurayama-mu.aeonmall.com/)の中のシネマコンプレックス「ワーナーマイカルシネマ」に行って、映画『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(HP→http://www.always3.jp/)を見てきました。
今回の物語は昭和34年の春からスタートしています。ローラーの間に洗濯物を挟んで手で回して搾る洗濯機や、東海道線の特急「こだま」(新幹線はできていない)、プロペラ式の飛行機が飛ぶ羽田空港、竹馬遊びなど懐かしい光景が満載。小物もよくこれだけ昔のものを揃えたと思うくらいで、感心します。昭和34年(1959年)と言えば私が小学校6年生の時で、まさに映画に描かれているような風景の中で毎日遊んでいました。
しかし、しばらく前の日本経済新聞夕刊の映画評論欄では、この『続・三丁目の夕日』には厳しい評点がついていました。ストーリーがわざとらしく、先が読めてしまうような展開が多いので、映画評論家の先生としては辛い点をつけたくなることは分ります。それでも、娯楽映画としては見ていて面白く、十分楽しめました。一緒に見た家内は前回の『三丁目の夕日』よりも今回の『続』の方が面白かったと言っていました。
因みに、ブログ・プロフィール(TypePadブログの時)の私の写真(下に添付)は昭和31年、小学校3年生の時のもので、言ってみれば、私にとっての「三丁目の夕日」の時でした。
2007年11月2日金曜日
ミュージカル映画『ヘアスプレー』
11月1日(木)にイオンモールむさし村山ミュー(HP→http://musashimurayama-mu.aeonmall.com/)の中にあるシネマコンプレックス「ワーナーマイカルシネマ」に行って、ミュージカル映画『ヘアスプレー』(HP→http://hairspray.gyao.jp/)を見てきました。
1960年代のアメリカ・メリーランド州Baltimoreが舞台で、60年代の旋律、リズム、ファッションは懐かしく、最初から最後まで歌と踊りで溢れていました。人種差別という重いテーマを扱いながら、明るく、楽しい映画に出来上がっていました。中でも、ジョン・トラボルタが演じるデブの母親役はユーモラスで、踊りは立派、さすが役者だという感じです。
音楽も良く、娯楽映画としては十分楽しめました。
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