2007年12月25日火曜日

Merry Christmas!

子供たちが成長して、何年か前から我が家は夫婦二人だけのクリスマスとなっています。

我が家のクリスマスツリー by Poran111

夫婦だけではありますが、家内は居間にクリスマスツリーを飾り付け、クリスマス用料理、もち米入りの中華風ローストチキンを作ってくれました。スパークリング・ワインで乾杯しました。

2007年12月19日水曜日

初冬の八ヶ岳

昨日は蓼科高原は午後雪が降っていましたが、今朝は気持ち良く晴れました。北八ヶ岳連峰や蓼科山がくっきりと、きれいに見えました。

初冬の縞枯山 07.12.19 by Poran111
初冬の縞枯山 07.12.19, a photo by Poran111 on Flickr.

縞枯山(2,403m)は北八ヶ岳にあります。そのすぐ北側に坪庭があり、また、その下にピラタス蓼科スキー場(http://www.pilatus.jp/)があります。

2007年12月18日火曜日

山荘の雪景色

11月下旬以来、ほぼ1か月ぶりに今日(12月18日)蓼科に戻ってきました。
11月に紅葉が終わってから、スノー・スポーツのシーズンが始まるまでは、蓼科は景色としてはなにもない時期です。それに東京での雑用が重なって、3週間以上蓼科を離れていました。今日、中央高速を走っている途中、山梨までは晴れで富士山がきれいに見えました。茅野市に入ると曇りで、山を登り始めると途中から雪になり、山荘ではしっかり雪が降っていました。もう周りは完全な雪景色です。いよいよ本格的なスノー・スポーツのシーズンが始まります。

12月夕方の山荘前道路 07.12.18 by Poran111

実は、今日は我が家の愛犬「ロッキー」(シェットランド・シープ・ドッグ)の命日でした。ロッキーは2年前の12月18日、東京の自宅の居間で、老衰のために13歳で息引き取りました。家族全員の一致した意見として、自分達に身近な蓼科に埋葬しようということになりました。当時同居していた次男と一緒に家族3人で、翌日車を飛ばして、蓼科にロッキーの亡き骸を運びました。雪が積もって、氷りついた山荘の林の中の土を次男と私とで掘って、埋葬しました。それで、今日夕方、家内と二人でロッキーの墓参りをしました。

ロッキー 2003年12月21日 by Poran111
ロッキー 2003年12月21日, a photo by Poran111 on Flickr.

2007年12月9日日曜日

六本木&東京タワー


12月6日(木)に六本木と東京タワーに行ってきました。

image from www.flickr.com                                                 国立新美術館 07.12.6

六本木に行ったのは、今年1月にオープンしたばかりの国立新美術館(→http://www.nact.jp/index.html)で現在開館記念として行われている「アムステルダム国立美術館所蔵、フェルメール『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展」を家内が見たいと言ったからです。
国立新美術館は先日亡くなった黒川紀章の設計で、洒落たデザインの大きな建物でした。美術の分らない私は女房に付いていったようなものですが、この「オランダ風俗画展」の絵では庶民の風俗が描かれていて、17世紀~19世紀当時のオランダの庶民の生活・風俗がうかがい知れるようで、そういう点では面白かったです。

image from www.flickr.com
                                  東京ミッドタウン庭のイルミネーション 07.12.6

東京ミッドタウンのクリスマス・イルミネーションが綺麗らしいと女房が言うので、そのあと、すぐそばの東京ミッドタウンに歩いて行きました。東京ミッドタウンの庭園は見事なくらい沢山のイルミネーションで飾られ、特に芝生広場はブルーのイルミネーションで敷き詰められていました。最近はあちらこちらでクリスマス・イルミネーションが飾られていますが、ここのは独特の雰囲気を出していて、見ごたえがありました。(→http://www.tokyo-midtown.com/jp/index.html


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                                    東京ミッドタウン樹木のイルミネーション 07.12.6

夕食には、いつも使っている「アースクユー・レストランガイド」(→http://www.asku.com/rgj/)であまり高くなくて、評判の良いレストランを探したところ西麻布にある「HALE海‘S」(http://www.asku.com/RV/010R/?_item_id=6057283&area_id=13)という無国籍料理レストランがヒットしました。歩いて行ってみると、西麻布の裏通りの下町のような通りの中にありました。行ったら、予約でいっぱいでしたが、1時間だったらOKということでかろうじて座れました。魚介類、肉類などバラエティに富んだ創作料理で、味は濃い目でしたが、ビールや酒を飲むにはちょうど良く、どれもまずまず美味しいと私は思いました。しかし、女房は、味が濃いので、それほどのことはない、と言っていました。西麻布という場所を考えれば、コストパーフォーマンスはよい店です。


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                                                  東京タワー 07.12.6


食事のあとは、ライトアップされた姿がきれいだという東京タワー(http://www.tokyotower.co.jp/333/)に行って、大展望台(高さ150m)に登りました。私が東京タワーに登ったは、独身社員の時に、海外の子会社や取引先から来たお客をはとバスに乗せて、東京案内をした時に登って以来ですから、約30年振り。女房は小学校の遠足の時に登って以来、40数年振りだと言っていました。大展望台に登ったら、そこのホールでjaja(http://www.jaja.fm/index.php)というジャズバンドのライブをやっていました。このバンドの曲はジャズと言っても、バラードぽい、甘い、BGMでも使えそうな曲が多かったです。その中心となっているソプラノ・サックスの音がとても綺麗だったので、思わず帰りにCDを買ってしまいました。

2007年11月30日金曜日

私の愛用のギター/その後


せっかく買った、この良いギターも、5年ほど弾いて後、ばったり弾かなくなってしまいました。直接のきっかけは次のことでした。

30歳を過ぎて結婚し、長男が生まれました。週末のある日、会社の借り上げ社宅のマンションの居間で譜面台を置いて一人でギターを弾いていました。すると、漸くハイハイができるようになった長男がハイハイして寄ってきて、譜面台をひっくり返してしまいました。なにか息子は「ギターを弾いていないで、自分と遊んでほしい」と言っているような気がしました。ギターなど弾いていたら幼い息子と遊ぶ時期を逸してしまうような気がして、ギターを弾くのをピタッとやめ、それからは休みの日は、近くの公園に行ったりして息子と遊ぶようになりました。そのうち次男も生まれ、週末に子供達と遊ぶことは私の楽しみになりました。

30代、40代は公私ともに忙しくなり、20数年間ほとんどギターは弾かないままに過ぎました。中出阪蔵氏製作の名器に対しては、殆ど弾かずにしまい込み、可哀そうなことをしたと思います。


60歳の定年も数年後に迫った頃、家内から「またギターを弾いたらどう」と言われました。そうだ、自分にはギターがあったのだと思い、またギターを引っ張り出して、ギターを弾き始めました。やはりギターを引き出すと楽しい。まるで“自己陶酔”のように自分の演奏に没入してしまいます。やっぱり自分はギターを弾いている時が一番楽しいのだということに気が付きました。ただ、20数年間のブランクは大きく、指は錆ついてしまい、思うように動きません。若い時に弾いていた曲は殆ど弾けなくなっていました。

今は毎日ギターに触れ、練習することによって、自分の若い時の技術レベルにどれだけ戻れるか、近づけるか、そのチャレンジです。

2007年11月29日木曜日

私の愛用のギター


写真は私の愛用のギターで、私が30歳の時(昭和52年3月)に購入したものです。


このギターは中出阪蔵氏による昭和51年(1976年)製作のものです(Model No.3000)。明治39年(1906年)生の中出阪蔵氏は当時日本のギター制作の第一人者と言われていました。素材としてスプルース、 ブラジル産ハカランダ(胴・裏板)などを使用しています。

このギターは私のクラシック・ギターとしては2台目です。1台目は私が大学1年の時(昭和40年)に買った「信濃」という銘柄のギターでした。

私は大学に入学し、すぐにギター部に入部して、クラシックギターの基本を勉強し始めました。その時使っていたものは、演歌の弾き語りに使うようなスチール弦を張っていたギターを、とりあえずナイロン弦に張り替えて、これを弾いていました。しかし、これでは話にならないので、大学1年の夏休みに1か月アルバイトをし、稼いだお金から12,000円をはたいて、その年9月に銀座の日本楽器(ヤマハ)に行って、「信濃」という銘柄のクラシックギターを買いました。昭和40年(1965年)当時の大学卒新入社員の初任給は20,000円程度と言われていますから、それほど安物というわけではありません。この「信濃」ギターは値段の割には良い音が出ると自分では思い、気に入っていました。

しかし、所詮高級ギターとは程遠いもので、一生使えるようなしっかりしたギターが欲しいと思っていました。そこで、30歳で“独身貴族”最後の頃、お小遣いも少しは貯まってきた時に、良いギターを買うことにしました。

いろいろ調べて、渋谷区千駄ヶ谷にある「エスペランサ」というギター卸の店に行きました(この店は今はなくなっているようです)。その店で在庫の手製クラシックギターを2時間近くいろいろ試し弾きさせてもらいました。弾いてみて中出阪蔵氏のギターが気に入りました。店には中出阪蔵氏製作のギターが3本ありましたが、中でも、このギターが音の出方のバランスが良いと感じたので、これ(写真のギター)に決めました。買った当時はギターの箱としてはあまり鳴りませんでした。30年経った今の方がギターとしては鳴るようになったと思います。一般的に手製のギターは作製直後よりも、時間をかけて弾き込まれた方が良く音が出るようになると言われています。

(「私の愛用のギター/その後」に続く。)

2007年11月25日日曜日

能登半島へ一泊二日旅行


 11月20日(火)、21日(水)に奥能登に一泊二日旅行に行ってきました。
20日(火)朝7時頃蓼科の山荘を車で出発し、中央自動車道・長野自動車道・北陸自動車・能登有料道路を通り、1時頃に能登半島の真ん中辺にある七尾市のフィッシャーマンズワーフ能登食祭市場に着いて、そこで昼食にちらし寿司を食べました。その後、その近くの能登島ガラス美術館に行きました(→http://www.city.nanao.lg.jp/glass/)。この美術館は、ステンドグラス制作が趣味で、最近はガラス・フュージョンも習ったりしている家内が見たかった所でした。

image from www.flickr.com                               さんなみ旅館・門 07.11.21

 ここを見た後、予約してあった奥能登の「郷土料理の宿さんなみ」に向かい、5時少し前に到着しました(→http://www.noto.ne.jp/sannami/)。今回の旅行の一番の目的はこの旅館の料理を食べる事でした。この旅館は、全国の良い旅館・ホテルを特集して、リストアップした最近の本の中でランキング入りしていた所です。

image from www.flickr.com                                   さんなみ旅館の郷土料理 07.11.20

その日の夕食には、近くの宇出津(うしつ)港で朝揚がった新鮮な魚介類がふんだんに使われていました。味付けには、イカの内臓と塩だけで熟成させたという魚醤油「いしり」が使われています。この旅館では、この「いしり」は自家製、かつおぶしも自分で作り、野菜も自分の畑で栽培したもの、と全て手作りです。朝獲れたズワイガニの足は生(さしみ)で食べました。「いしり」の味付けの料理はおいしく、いろいろないきの良い魚が出て、蓼科から500kmも車を走らせて来た、甲斐がありました。
また、旅館のご主人が囲炉裏の食卓に来て、料理について一つ一つ丁寧に説明してくれました 
お話ししたところ、ご主人は私と同い年の昭和22年生まれの猪年で、父親のやっていた民宿を引き継いだとのこと。「郷土料理の宿さんなみ」は「和楽」などいろいろな雑誌に既に取り上げられ、有名な漫画「おいしんぼう」にもこの旅館とご主人の船下さんが取り上げられ、描かれています(私は読んではいませんが)。それだけ名前が売れても、いまだに一日3組しか客を取らないということに、ご主人の仕事に対する良い意味でのこだわりを感じました

image from www.flickr.com                         さんなみ旅館から見た富山湾 07.11.21

 翌朝、郷土料理の朝食を楽しみ、庭を歩いたあと9時過ぎに旅館を後にしました。まず輪島に行き、朝市を見て、そこで干物、輪島塗の箸などを買いました。

image from www.flickr.com                                   輪島朝市 07.11.21

その後、外海側にある白米(しろよね)の千枚田を見て、能登半島最北端の禄剛埼(ろっこうざき)に寄りました。

image from www.flickr.com                                       白米の千枚田07.11.21

image from www.flickr.com                                      禄剛埼灯台 07.11.21

次に内海側に行き、見附島(別名軍艦島)を見ました。見附島の近くの地元の寿司屋でカニちらし寿司を食べた後、一路帰途につきました

image from www.flickr.com                             見附島 07.11.21

二日間とも天気は雨時々曇りでした。輪島では雹(ひょう)も降りました。この時期の雹は地元では「鰤(ぶり)おこし」と言ってこの雹が降ると鰤がやってくるのだそうです。帰りは、北陸自動車道では激しく雹が降り、長野県に入ったら雪になり、妙高辺りでは既に雪が高速道路上に積もっていました。行く前にスタッドレスタイヤに履き替えていて良かったです。二日間で合計1,140kmのドライブでした。
やや強行軍で、天気にはあまり恵まれませんでしたが、料理を楽しむという目的は達することができました。 

2007年11月19日月曜日

山荘の新雪


11月18日(日)にマンドリンクラブ定期演奏会前の最後の練習が終わった後、夕方家内に練習場の公民館まで車で迎えに来てもらい、そのまま蓼科に来ました。途中、小淵沢辺りでは雪がちらつきました。夜8時頃山荘に着きましたが、山荘周辺では庭にも道路にも雪が積もっていました。

山荘庭の新雪 07.11.19 by Poran111
山荘庭の新雪 07.11.19, a photo by Poran111 on Flickr.

今年は9月、10月と暖かかったわりには、新雪は例年より早かったです。写真は今朝、19日(月)の新雪の様子です。

朝、そのあと写真の道路に狐が現れ、道路を下の方に走って行きました。わりと大きな狐でしたが、写真は撮りそこないました。

2007年11月16日金曜日

映画『ALWAYS 続・三丁目の夕日』


11月15日(木)にイオンモールむさし村山ミュー(HP→http://musashimurayama-mu.aeonmall.com/)の中のシネマコンプレックス「ワーナーマイカルシネマ」に行って、映画『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(HP→http://www.always3.jp/)を見てきました。 
今回の物語は昭和34年の春からスタートしています。ローラーの間に洗濯物を挟んで手で回して搾る洗濯機や、東海道線の特急「こだま」(新幹線はできていない)、プロペラ式の飛行機が飛ぶ羽田空港、竹馬遊びなど懐かしい光景が満載。小物もよくこれだけ昔のものを揃えたと思うくらいで、感心します。昭和34年(1959年)と言えば私が小学校6年生の時で、まさに映画に描かれているような風景の中で毎日遊んでいました。
しかし、しばらく前の日本経済新聞夕刊の映画評論欄では、この『続・三丁目の夕日』には厳しい評点がついていました。ストーリーがわざとらしく、先が読めてしまうような展開が多いので、映画評論家の先生としては辛い点をつけたくなることは分ります。それでも、娯楽映画としては見ていて面白く、十分楽しめました。一緒に見た家内は前回の『三丁目の夕日』よりも今回の『続』の方が面白かったと言っていました。
因みに、ブログ・プロフィール(TypePadブログの時)の私の写真(下に添付)は昭和31年、小学校3年生の時のもので、言ってみれば、私にとっての「三丁目の夕日」の時でした。

2007年11月13日火曜日

晩秋の蓼科


11月11日(日)夜、2週間振りに蓼科に戻って来ました。

image from www.flickr.com                            晩秋の蓼科高原 07.11.13


もうこちらは、東京で言えば冬の気温です。12日(月)の午後からは一時みぞれが降りました。八ヶ岳や蓼科山の上の方は既に雪を冠っています。


image from www.flickr.com                           蓼科と車山 07.11.13

標高1,600mの我が家の山荘の周辺では、唐松林も既にほとんど落葉してしまいました。しかし、標高1,000m~1,100mの里山辺りまで降りてゆくと、オレンジ色のきれいな紅葉がまだ見られます。

image from www.flickr.com                                          蓼科里山の紅葉と新雪の八ヶ岳 07.11.13

2007年11月6日火曜日

柴又帝釈天と矢切の渡し


静岡から東京に出てきて40年以上経つのに、私はまだ柴又という所に行ったことがありませんでした。11月5日(月)は天気も良さそうだったので、柴又に行って、その周辺を歩いてきました。


image from www.flickr.com                        柴又帝釈天参道 07.11.5

中央線、東西線、都営浅草線などを乗り継いで、1時間半以上かかって京成金町線柴又駅に着きました。駅前の広場にはフーテンの寅像が立っていました。駅からすぐに帝釈天参道が続き、寅さん映画そのものの土産屋、だんご屋など、懐かしい感じの店が並んでいました。その正面の二天門を抜けると総けやき造りの帝釈堂がありました。400円の入場料を払って、帝釈堂外壁のたくさんの木彫りと、裏に続く庭園を見物しました。木彫りは法華経の説話を彫ったものなどで、見ごたえがありました。

image from www.flickr.com                     柴又帝釈堂 07.11.5

その後、大正から昭和の初めにかけて造られたという邸宅「山本亭」を見物し、歩いて江戸川の河原に行きました。河原から矢切の渡しに乗りました。渡しは片道100円、この辺りは江戸川の流れは非常にゆっくりで、電車の音も、車の音も聞こえず、静かで、天気も良く、船に乗っていると気持ち良かったです。

image from www.flickr.com                        矢切の渡し 07.11.5

対岸の千葉県松戸市側に降りた後、また渡しに乗って戻ってきました。その後、川沿いにある大きな川魚料亭「川甚」で鰻重を食べました。

近くの「葛飾柴又寅さん記念館」を見物し、帰りに参道の亀家で草だんごを買って、帰って来ました。この草だんごは、本当に生のお餅で、意外と美味しかったです。店の見える所で餅を作っていて、注文してから目の前で箱詰めしてくれましたから、最近問題になってりるような賞味期限のインチキはなさそうです。
いろいろ歩いたので結構くたびれましたが、一度は見てみる価値はあると思いました。


柴又帝釈天HP→ http://www.taishakuten.or.jp/

2007年11月2日金曜日

ミュージカル映画『ヘアスプレー』


11月1日(木)にイオンモールむさし村山ミュー(HP→http://musashimurayama-mu.aeonmall.com/)の中にあるシネマコンプレックス「ワーナーマイカルシネマ」に行って、ミュージカル映画『ヘアスプレー』(HP→http://hairspray.gyao.jp/)を見てきました。
1960年代のアメリカ・メリーランド州Baltimoreが舞台で、60年代の旋律、リズム、ファッションは懐かしく、最初から最後まで歌と踊りで溢れていました。人種差別という重いテーマを扱いながら、明るく、楽しい映画に出来上がっていました。中でも、ジョン・トラボルタが演じるデブの母親役はユーモラスで、踊りは立派、さすが役者だという感じです。
音楽も良く、娯楽映画としては十分楽しめました。


ヘアースプレー by Poran111
ヘアースプレー, a photo by Poran111 on Flickr.

2007年10月28日日曜日

紅葉の蓼科



しばらく蓼科に滞在していましたが、10月28日(日)から東京で用事が続くため、27日(土)夜、近づく台風20号の雨の中を中央高速を走って、東京の家に戻って来ました。

image from www.flickr.com                                            紅葉の王滝 07.10.25

25日(木)午前までは秋晴れが続きましたので、所々紅葉の写真を撮ってみました。やはり、今年の紅葉は全体に例年よりも1週間程度遅れ、山荘のある標高1,600m辺りでは、この頃は紅葉はまだ7分位でした。台風一過の今日(28日)、明日(29日)くらいが蓼科高原の紅葉はピークになっていることでしょう。

image from www.flickr.com
                                    横谷峡の紅葉07.10.25

image from www.flickr.com                                     秋の蓼科山 07.10.24

image from www.flickr.com
                                      秋の蓼科高原別荘地 07.10.24

2007年10月27日土曜日

明治温泉


10月24日(水)に前から行こうと思っていた明治温泉旅館に始めて行って、温泉に入りました。明治温泉旅館は渋川沿い、標高1,500mの所にある、割と小さな、古い旅館です。湯船は室内に温泉と冷泉があり、露天風呂はベランダのような形になっていて、半露天風呂といった感じです。男湯の露天風呂からは、真っ赤になったカエデなど紅葉の渋川渓谷が前に広がり、とても奇麗でした。しかし、女房の話では、女湯の露天風呂はスダレが掛っていて、見にくく、イマイチだったと言っていました。露天風呂の湯船は小さく、4人も入れば一杯です。どちらかと言えば、秘湯と言った感じです。
温泉に入った後、旅館の下の渋川渓谷を少し歩いてみました。赤や黄色などで色づいた渓谷は、新鮮な空気で、気持ち良かったです。
夕方の逆光で写真が撮れませんでしたので、写真については旅館のホームページをご参照ください。HP→http://www.meijionsen.jp/

2007年10月23日火曜日

蓼科の紅葉

昨日、今日と蓼科は秋晴れが続きます。空気が澄んでいるため、八ヶ岳連峰、車山、遠く乗鞍岳、南アルプスなどをくっきりと、鮮やかに見ることができます。
昨日、10月22日(火)はメルヘン街道(国道299号)沿いの標高1,500mの所にある横谷観音に行き、周辺を散策しました。下の写真は横谷観音展望台から見た横谷峡と蓼科市街地方面です。今年の紅葉は遅れていますが、それでも所々、赤く鮮やかに色づいています。

横谷峡の紅葉 07.10.22 by Poran111
横谷峡の紅葉 07.10.22, a photo by Poran111 on Flickr.

今日、23日(火)は湯みち街道沿いの標高1,520mの所にある御射鹿池(みしゃかいけ or みさかいけ)に行ってみました。御射鹿池はようやく色づいてきたところですが、池に映る紅葉がきれいでした。


2007年10月19日金曜日

蓼科の秋


10月17日(水)に3週間振りに蓼科に戻ってきました。3週間も蓼科を空けたのは6月にイタリア旅行に行って以来です。蓼科はだいぶ気温が下がっていました。夕方からは山荘では暖房を入れています。

image from www.flickr.com           八ヶ岳連峰と紅葉 07.10.18


今年は9月まで暑かったせいか、紅葉は例年に比べて、1週間から10日程度遅れています。18日(木)にメルヘン街道(国道299号)を北八ヶ岳の麦草峠(標高約2,100m)までドライブしてみました。紅葉は標高1,800m~1,900m位の所が真っ盛りでした。私の山荘のある標高1,600m辺りでは広葉樹はだいぶ赤くなってきましたが、唐松はまだ殆ど色づいていません。しかし、昨日今日とだいぶ気温が下がってきていますので、紅葉は一日一日、山を下に降りてくるでしょう。


image from www.flickr.com              蓼科山と蓼科高原 07.10.18

話は違いますが、今朝、山荘で朝ごはんを食べていると、前のベランダで物影が動きました。見ると、そこにリスが一匹いました。リスはベランダを歩いたあと、前の唐松に飛び移り、唐松を上ったり下りたりした後、山荘の屋根に飛び移り、姿を消しました。リスは庭には時々姿を現しますが、こんな目と鼻の先に現れることはめずらしいです。

image from www.flickr.com                    紅葉し始めた山荘 07.1018

2007年10月7日日曜日

東海道五十三次之内 丸子名物茶店 「丁子屋」

今日、10月7日(日)の日本経済新聞の文化欄に「戯作の時代②―東海道中膝栗毛」と題する2頁にわたる記事があり、その中で歌川広重の名作「東海道五十三次之内 丸子名物茶店」の錦絵(下)が大きく掲載されていました。

歌川広重/丸子名物茶店 by Poran111

実は9月24日(月)~26日(水)に私の実家の静岡市に家内と二人で里帰りし、その時にこの広重の絵で描かれた丸子(まりこ)名物茶店である「丁子屋」(ちょうじや)に行って、名物のとろろ汁を久し振りに食べてきました。(HP→http://www.asobiba.jp/asobiba/contents/asobiba073_mariko.htm


丸子(まりこ)は私の母の実家であり、私が子供の頃、実家に遊びに行った時など時々この丸子の丁子屋でとろろ汁を食べたものです。当時はこの写真に写っている建物だけで営業していましたが、今は奥に大きく増築し、観光名所になっており、9月25日(火)に食べに行った時にも大型バスが2台ほど停まっていました。しかし、とろろ汁の味は私が子供の頃とあまり変わっていないと思いました。美味しく、いただきました。

2007年10月4日木曜日

コンサート「ギタリストたちの饗宴2007」


9月30日(日)にアミューたちかわ(立川市市民会館;http://www.m-net.ne.jp/~amyu/))で行われたコンサート「ギタリストたちの饗宴2007」を聴きに行きました。
このコンサートは荘村清志、福田進一、鈴木大介、大萩康司という日本を代表するクラシックギタリスト4人に加え、スペインの女流ギタリスト、マリア・エステル・グスマンが参加し、またゲストとして若手ジャズギタリスト、小沼ようすけが出演し、合計6人の豪華メンバーにより演奏が行われました。
ソロあり、二重奏、三重奏、全員合奏あり、とまるで学芸会のようなスタイルで、延々と4時間近くもコンサートが行われました。しかし、演奏者は全員実力者であり、聴きごたえがあり、飽きることはありませんでした。1回の料金で、2回のコンサートが聴けたようで、得した感じでした。
ソロについては一人一曲ずつ、次の曲を弾きました。皆さすがにうまく弾き、楽しめました。中でも、私には大萩康司の演奏が良かったです。近い内に大萩康司のCDを入手して、じっくり聴いてみたいと思います。荘村清志のみソロの時に楽譜を見ながら弾きました。荘村清志は「来月に還暦を迎える」と言っていましたから、私と同じ昭和22年生まれです。歳のせいで暗譜するのがしんどくなってきているのかな、などと考えてしまいました。この歳になると、自分が学生の頃と比べて、新しい曲を暗譜するためには3倍から5倍くらい練習しないと暗譜できないように思います。
  荘村清志・・・チマローザ作曲  「二つのソナタ」
  福田進一・・・ブローウェル作曲 「舞台礼讃」
  鈴木大介・・・マラツ作曲     「セレナータ・エスパニョーラ」
  大萩康司・・・トゥチーナ作曲   「セビリア幻想曲」
会場を見渡すと、隅から隅まで空がなく、超満員で、立川周辺にもギター愛好者がずいぶん大勢いるのだな、と思いました。

2007年9月30日日曜日

埼玉ギターコンクールに初参加


9月23日(日)に埼玉ギター協会主催「第14回埼玉ギターコンクール」に初参加しました。
会場はさいたま市民会館うらわです。埼玉ギターコンクールの参加資格には制限はありません。学生でも、何歳の人でも、また、他のコンクールの優勝経験者も参加OKです。ここのコンクールは、他のコンクールのように演奏を録音したテープやCDによる事前審査はありません。一定人数に達するまでに申し込んだ人は全員演奏できます。コンクールでは、課題曲として指定された4曲の中からの1曲と自由曲(7分以内)を弾きます。
当日は63人が参加し、朝10時から夜7時過ぎまで延々と演奏が続きました。60歳の私は参加者の中では最高齢のように見えました。最若年では、7歳と10歳の女の子が参加していました。この10歳の女の子は5位に入賞しました。多分親が英才教育を授けているのでしょう。ここは、他のコンクールの入賞経験者も参加OKなので、上位に入るような人たちはレベルが高かったです。今回1位から3位までに入賞した人達は音楽性にプラスして超絶技巧を備え、プロを目指しているような感じの若い人達でした。また、ベテランの参加者の中にもセミプロ級の人がいました。
私のように25年間位ギターを弾いておらず、最近になってギター・ソロの練習を再開し、まだ1年に満たないような還暦の人が参加するのは無謀かなあ、と思いました。しかし、最後は、これも度胸試しだと思って、腹を決めて参加しました。
私の出番は午後の後半でした。演奏予定時間の2時間前までには会場入りするようにとの連絡を受けていましたので、2時間位前に控室に入りました。そこでは順番待ちの人たちが練習しており、私も時々練習をして待っていました。予定よりも進行は遅れ、ようやく次の番になると係りの人が私を呼びに来ました。そして、前の人の演奏が終わるのをコンサート会場の入口の外で、ギターの調律をして待っていました。緊張は極度に高まりました。ついに自分の番が来て、横から舞台に入って行き、椅子に座り、足台をセットして、ポジションを決めたら、余分なことはできるだけせずに、演奏に入りました。やはり緊張はしましたが、国分寺のライブハウス「クラスタ」で最初弾いた時のように、指が震えるほどの緊張はなんとかしないで済みました。
上位10数人の人の審査結果・点数は公表されますが、それ以外の人たちの審査結果は、演奏後の打上げ懇親会の際に審査員に個別に聞けば、教えてくれるとのことでした。そこで、懇親会の時に私は審査員の先生に自分の結果を聞きに行きました。私の点数は76点で、「きちんと発音するように。最初は硬かったが、後半だんだん良くなってきた。」とのコメントが記載されていました。76点がどの程度の位置なのか分かりません。しかし、後で郵送されて来た結果報告書で上位入賞者の点数を見ると、1位が82.75点、5位81.25点、10位80.00点、15位77.88点でした(100点満点にして)。全員の点数が公表されないので、正確な順位は分かりませんが、それほどひどくはなかったかな、と思いました。この歳になってギター・ソロの練習を再開しての初参加ということを考えれば、特別落胆することもないかな、と自分を慰め、一応ほっとしたという感じです。
このコンクールに一日参加し、他の人達の演奏も一部は聴くことができ、たいへん勉強になり、良い経験になりました。

2007年9月17日月曜日

露天風呂「石遊の湯」


9月13日(木)夕方、別荘地の下にあるJAスーパーに買い物に行く途中、久し振りに別荘地入口近くにある露天風呂「石遊の湯」(いしやすのゆ)に行って、入りました。(HP→http://www.f6.dion.ne.jp/~ishiyasu/
ここは、”かつて軍需用の鉄鉱石を掘り出していた諏訪鉄山跡地から湧き出した温泉”と言うだけあって、泉質はナトリウムです。お湯は透明ですが、とろっとした感じ、温泉らしくていいです。いつも行っている横谷峡温泉とは違う湯質です。
男湯は露天風呂が二つあります。湯船がやや小さく、洗い場が6人分しかないので、連休など、混雑する時には芋を洗うようになってしまうのが難点です。入湯料1回500円はリーズナブルです。

2007年9月13日木曜日

初秋の蓼科


9月に入り、標高1,600メートルの私の山荘の周りは秋の気配になってきました。真夏には鮮やかだった木々の緑は色あせてきています。黄色い葉っぱが少しずつ増えてきました。

初秋の別荘地と縞枯山 07.9.13 by Poran111


朝晩は山荘では長袖の上にカーデーガンを羽織っています。
夏のにぎわいはなくなり、静かな落ち着いた時期です

2007年9月12日水曜日

台風一過の畑


9月10日(月)に蓼科に戻り、約10日振りに畑に行ってみました。先週、6日(木)に関東地方を直撃し、日本東部を縦断した台風によって私の畑のトウモロコシは倒れていました。

台風で倒れたトウモロコシ 07.9.10 by Poran111

しかし、今回はムジナに食べられた形跡はありませんでした。もう食べ頃のトウモロコシはなくなっていたからでしょう。その代り、隣の畑と、そのまた隣の畑のトウモロコシがムジナにきれいに食べられていました。

もう私の畑のトウモロコシは終りのようです。
まだ残っている収穫できそうなものは、ネギ、ナス、ピーマン、しし唐、それにズッキーニとキュウリが少々です。
秋の気配とともに、畑仕事も終盤にかかっているようです。ちょっと寂しい気がします。

2007年9月2日日曜日

ムジナとの共存?



8月23日(木)~24日(金)に軽井沢に一泊旅行して帰ってきて、翌日畑に行ってみたら、トウモロコシが10個以上なにかの動物に食べられ、身だけきれいに食べたカスが畑に転がっており、茎も何本か倒されていました。たまたま畑の地主のYさんが雑草取りに来てくれていたので、聞いてみたら、「これはムジナ(狢)の仕業だ」と言われました。

image from www.flickr.com          畑のトウモロコシ 2007.8.27

翌日、畑に行ってみたら、また同じように10数個トウモロコシがムジナに食べられていました。畑全体には地主のYさんが最初から鹿よけの電気フェンスで周りを囲ってくれてあります。従って、鹿の害は防げるのですが、ムジナは電気線の下をくぐって入ってきてしまうようです。近くのホームセンターに行って、動物よけのネットを買おうかと見ましたが、6,000円~7,000円もします。もともと採算度外視の野菜作りとは言っても、今更これだけのお金をかける気もしません。鳥よけのネットが300円位で売っていましたので、これを買ってきて、とりあえずトウモロコシの周りに張ってみました(上の写真の薄く赤く映っているもの)。その翌日畑に行ってみると、ムジナがネットを突破して入ってきて、トウモロコシを又10個位食べていました。やはりこのネットでは効果はありませんでした。

image from www.flickr.com              ムジナに食べられたトウモロコシ 07.8.25

もう今年はしかたがありません。もともとトウモロコシが順調に育ったら、100数十個採れてしまう計算で、夫婦二人では食べきれる訳がありません。ムジナに食べたいだけ食べさせてやることに決めました。しかし、一番美味しいところをムジナが夜の間に食べて、残りを人間が食べるというのはちょっと癪ではあります。

 *この地方でムジナ(狢)と呼んでいる動物はハクビシン(下の写真)の一種だそうです。
image from www.flickr.com                 ハクビシン(狢)
image from www.flickr.com                  ハクビシン(狢)(2)

2007年9月1日土曜日

稲垣稔&田口秀一ギタージョイントコンサート


8月25日(土)夜は、ここの別荘地の夏のコンサートでは最後となる「稲垣稔&田口秀一ギタージョイントコンサート 」を家内と聴きに行きました。場所は別荘地内にあるペンション「ベルクハウスG-CLEF」です。このペンションでは8月24日(金)から26日(日)まで2泊3日で、クラシックギターの「第1回蓼科高原サマースクール」が開催されていました(→http://homepage1.nifty.com/bhg-clef/ibenntojouhou.htm)。このスクールの講師であるプロ・ギタリスト、稲垣稔氏と田口秀一氏のコンサートが、一般公開として25日(土)夜に行われたものです。

それぞれのソロとデュエットが演奏されました。稲垣稔氏は下記の曲を演奏しました。いずれも私は初めて聞く曲でしたが、技術は正確で、音質は良く、音楽性も高く、一流のプロだと思いました。 家に帰ってから、NETで稲垣氏のホームページ(→http://www.m-inagaki-guitar.com/index.html)を調べたら、稲垣氏は数々の国際ギターコンクールで優勝していて、もともと実力者だということが分りました。関西を中心に演奏活動をしているようで、関東でのコンサートは少ないようです。

J.ヴィーニャス作曲    「独創的幻想曲」
A.カルレヴァーロ作曲  「中南米風前奏曲より、
No.1 エヴォカシオン、No.2 カンボ、No.3 タンボリーレス」
J.アスピアス作曲      「2つのメキシコ民謡、 小鳥飼いの娘、ラ・アデリータ」

「ベルクハウスG-CLEF」のオーナー植松さんと会った時、「明日の講義と公開レッスンは、有料ですけど、聴講していただけますよ」と言われたので、翌日26日(土)は朝9時からの講義と10時からの1回目の公開レッスンを聴きに行きました。講義は稲垣氏によって行われ、内容はギターを弾く時の右手の指の使い方、左手の使い方、ギターの構え方、調弦の仕方など、質疑応答を交え、非常に実際的なものでした。大変参考になりました。家に帰って早速ためしました。

公開レッスンは、50歳代の男性の受講生がアルベニスの曲を弾きました(曲名は忘れました)。稲垣氏がその演奏についてアドバイスし、実際に弾いたりしました。こういう一流の先生の指導を受けられる人は羨ましいと感じました。