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2012年8月6日月曜日

スペイン旅行振り返り(9):セビーリャ

6月6日(水)朝、ロンダを発ち、我々のバスは約130km北西にあるセビーリャに向かいました。

ロンダからセビーリャに向かう街道沿いにはたくさんのひまわり畑が連なっています。例年ならこの時期にはひまわりが一面に咲き誇っているはずでした。しかし、今年は殆ど咲いていないか、まばら程度にしか咲いていない畑ばかりでした。今年は天候不順でひまわりの種蒔きが遅れたのだそうです。しかし、一箇所、ひまわりが見事に咲いている畑を見つけました。この畑では他よりも早めに種蒔きをしていたようです。
バスの運転手は気を利かせて、バスを停めて、写真休憩をとってくれました。

ひまわり畑/ロンダからセビーリャへ向かう途中 by Poran111

そして、バスは昼前にセビーリャに着きました。
セビーリャ(セビリア)はグアダルキビル川に面した良港としての条件が幸いし、発展してきた町です。ローマ時代から主要都市として栄え、8世紀初めからは500年以上にわたってイスラムの支配下にあり、13世紀中頃キリスト教徒によって奪還されました。

黄金の塔@セビーリャ 2012年6月6日 by Poran111

我々のバスがグアダルキビル川に沿って走ると、川岸に「黄金の塔」が立っていました。この塔はイスラム教徒により13世紀初めに建てられた、敵の侵入を防ぐための望楼で、かつては塔の上部が金色の陶器レンガで輝いていたそうです。

ところで、セビーリャは、アランフェス、アルハンブラと共に、スペインで私が是非見たいと思っていた町です。と言うのは、イサーク・アルベニスの名曲「セビーリャ」があるからです。
                  <I.アルベニス作曲「セビーリャ」、ギター演奏・ジョン・ウィリアムズ>
アンダルシアいちの都会であるセビーリャの情趣を描き出したこの曲は、アルベニスの初期(1886年)のピアノ曲の傑作、「スペイン組曲(第1集)」の中に第3曲(Op.47-3)として収められています。「セビーリャ」はギターに編曲され、多くのギタリストによって演奏され、クラシックギターの名曲となっています。上の動画は名手、ジョン・ウィリアムズによる演奏です。

カテドラルとヒラルダの塔/右はエンカルナシオン修道院 by Poran111

我々はセビーリャ旧市街の中でバスを降り、インディアス古文書館の横を通り、アルカサルの前を歩いて、カテドラルとヒラルダの塔に行きました。

カテドラルとヒラルダの塔 2012年6月6日 by Poran111

セビーリャのカテドラルはイスラムのモスクを取り壊した跡に、1402年から1世紀余をかけて建てられたゴシック様式主体の大聖堂です。奥行116m、幅76mの規模はスペイン最大で、ヨーロッパ内でもローマのサン・ピエトロ寺院、ロンドンのセント・ポール寺院に次ぐ3番目の大きさ。

カテドラル内部@セビーリャ 2012年6月6日 by Poran111

カテドラルの内部には、アルフォンソ5世の墓がある王室礼拝堂、黄金色の世界最大の木製祭壇、コロンブスの墓など見所がたくさんです。

ヒラルダの塔の鐘楼 2012年6月6日 by Poran111

それから、カテドラルに付設された高さ98mのヒラルダの塔に我々は登りました。この塔は 12世紀末のイスラム建築で、もともとは現在の場所にあったモスクのミナレット(尖塔)でした。我々が登った、高さ70mの展望台(上の写真)の所までがほぼオリジナルのままのイスラム様式で、その上の鐘楼部分は16世紀にキリスト教徒が付け加えたものだそうです。

               <ヒラルダの塔の鐘の音@セビーリャ 2012年8月6日12:15>
上の動画は我々がカテドラルに入る直前に鳴っていたヒラルダの塔の鐘の音です。最後に映っているのはアルカサルです。

塔の展望台からはセビーリャの町が360度見渡せました。

ヒラルダの塔から街を見る 2012年6月6日 by Poran111

上の写真の左側の四角い形の建物がアルカサル(王城)で12世紀後半にイスラム教徒によって建てられた城塞。その右の四角い建物はインディアス公文書館。

ヒラルダの塔から見た闘牛場など 2012年6月6日 by Poran111

上の写真、中央の丸いものはマエストランサ闘牛場で、18世紀建造、ロンダの闘牛場に次いでスペインで2番目に古いもの。手前はカテドラルの屋根の部分です。

ヒラルダの塔の前の広場 2012年6月6日 by Poran111

上の写真はヒラルダの塔の前の広場。ホテルなどがあります。この東側(上方向)にはかつてのユダヤ人の街、サンタ・クルス街が続きます。

セビーリャの路面電車 2012年6月6日 by Poran111

昔ながらの佇まいを残す旧市街にお洒落な5両編成の路面電車が走っていました。


ペスカードス・フリートス@セビーリャ 2012年6月6日 by Poran111

お昼は市内のレストランでペスカードス・フリートスと言う、魚、イカ、タコなどのフライ料理を食べました。これはアンダルシア地方の名物料理だそうで、柔らかく、美味しかったです。

セビーリャの街並み 2012年6月6日 by Poran111

セビーリャには昼食時間を含めてわずか3時間半程度の滞在でした。私としては、ここは1泊位してじっくり見たい町、いうのが感想ですが、パッケージ・ツアーではやむを得ません。

セビーリャ飛行場で搭乗する 2012年6月6日 by Poran111

昼食後はバスでセビーリャ飛行場に行き、16:55発の飛行機に搭乗し、このツアー最後の目的地、バルセロナに向かいました。

2012年7月24日火曜日

スペイン旅行振り返り(7):グラナダ(アルハンブラ宮殿)

6月4日(月)朝ゆっくりコルドバを出発し、南東約210km先にあるグラナダに向かいました。

オリーブ畑/グラナダに向かう途中 2012年6月4日 by Poran111

グラナダに向かう途中、延々とオリーブ畑が続きます。

グラナダのレストラン 2012年6月4日 by Poran111

そして、我々はグラナダ郊外のレストランに着き、昼食。
スペイン風ミートボールの料理でしたが、食前酒にビールを注文したら、「アルハンブラ」と言う銘柄のビールが出ました(下の写真)。なかなかおいしいビールでした。

アルハンブラ・ビール 2012年6月4日 by Poran111

昼食後、グラナダのアルハンブラ宮殿向かいました。
アルハンブラ宮殿は、アランフェス王宮と共に、私がスペインで最も見たかった所です。
なぜなら、フランシスコ・タレガのギターの名曲「アルハンブラの想い出」があり、イサーク・アルベニスのピアノ曲、スペイン組曲の中の傑作「グラナダ(セレナータ) 」があるからです。

紀元前からの歴史を持つグラナダは、8世紀にイスラム教徒により侵攻され、その支配下に入り、その後もイスラムのもとで発展を続け、13世紀、ナスル朝グラナダ王国の建国により繁栄の絶頂期を迎えました。この頃にアルハンブラ宮殿の建築は始められました。その後も歴代王によって建築が進められ、14世紀後半に至って、ほぼ現在の形に整えられたそうです。

ヘネラリーフェに向かう 2012年6月4日 by Poran111

我々はアルハンブラ宮殿のチケット売り場の前でバスを下り、そこからヘネラリーフェに入りました。まず、天空をさすような糸杉が並ぶ散歩道を歩きました。

ヘネラリーフェ 2012年6月4日 by Poran111

ヘネラリーフェは14世紀初期にグラナダ王の夏の離宮として建てられました。
刈り込まれた生垣と咲き乱れる花々がきれいです。

ヘネラリーフェの花壇 2012年6月4日 by Poran111

奥には、イスラム=スペイン様式を代表する庭園、「アセキアの中庭」があります(下の写真)。

アセキアの中庭 2012年6月4日 by Poran111

アセキアとは水路のことで、全長50mほどの縦長の庭の中央に細長い水路が設けられ、たくさんの噴水から水が絶え間なく降り注いでいます。

シェラネバダ山脈/アルハンブラ宮殿から見る 2012年6月4日 by Poran111

アルハンブラ宮殿の中にはいたるところに水路や噴水が設けられていますが、これらはグラナダの南東にあるシェラ・ネバダ山脈(上の写真)の雪解け水を利用しているとのこと。水のある景観をこよなく愛していたイスラムの心根が伝わってきます。

ヘネラリーフェから見たアルハンブラ宮殿 2012年6月4日 by Poran111

ヘネラリーフェからは宮殿が概観できます。

サクロモンテ/ヘネラリーフェから見る 2012年6月4日 by Poran111

ヘネラリーフェからは北側にサクラモンテの丘がよく見えます。ここでは古くからロマ族(ジプシー)が丘の斜面の洞窟住居(クエバ)に暮らし、それらのいくつかは今はタブラオになっています。この日の夜、我々はここの洞窟タブラオにフラメンコ・ショーを見に行きます。


ところで、“近代ギター音楽の父”と称されるフランシスコ・タレガ(1852年~1909年)は1896年、44歳の時にアルハンブラ宮殿を訪れ、その受けた感銘からギターの名曲、「アルハンブラの想い出」を作りました。
  <フランシスコ・タレガ作曲「アルハンブラの想い出」、アンドレス・セゴビア演奏>
曲全体に流れるトレモロ奏法は庭園の噴水の音だとも、また宮殿を覆う繊細なアラベスク模様だとも言われます。 

ヘネラリーフェから10分ほど歩いて、次はカルロス5世宮殿に行きました。
レコンキスタ(再征服運動)により1492年にグラナダは陥落し、キリスト教徒の手に落ちますが、この宮殿は、その約50年後、カトリックの王カルロス5世によって建設が決められました。

カルロス5世宮殿外側 2012年6月4日 by Poran111

この宮殿はイスラム時代の王宮に隣接し、ルネッサンス様式の四角い建物(上の写真)の真中には円型の中庭が配されています(下の写真)。中庭の周囲は2階建の回廊です。アルハンブラ宮殿の中で、レコンキスタ後に建てられたここは違った雰囲気になっています。

カルロス5世宮殿 2012年6月4日 by Poran111

次は、アルハンブラ宮殿の西端、アルカサバ(城塞)に行きました。

アルカサバ@アルハンブラ宮殿 2012年6月4日 by Poran111

アルカサバ(城塞)はアルハンブラ宮殿内では一番古い部分です。9世紀には既にこの地にあった城塞が13世紀、ナスル朝の時代に現在の規模・整備に拡張されたもの。

アルカサバからは西にグラナダ中心部、カテドラルなどが見渡せます(上の写真)。
そして、北側にはアルバイシンが一望できます(下の写真)。アルバイシンは11世紀頃にイスラム教徒によって築かれた、グラナダで最も古い地区です。アルハンブラ宮殿ができる前はこの丘の上にグラナダ王の居城があったとのこと。

それから我々は、アルハンブラ宮殿の心臓部である王宮(ナスル朝宮殿)に入りました。王宮は14世紀にユスフ1世とムハンマド5世父子の時代に建設された、イスラム文化の精華、結晶と言われています。

アラヤネスの中庭 2012年6月4日 by Poran111

まず「メスアールの間」を通って、それから「アラヤネスの中庭」に出ました。細長い池と両脇の天人花(アラヤネス)の生垣の緑が整然とした空間を作り、中央の「コマレスの塔」が水面に映し出されています。この「コマレスの塔」の中の「大使の間」では王の謁見など、公式の行事が行われたとのこと。

ライオンの中庭を囲む大理石のアーケード 2012年6月4日 by Poran111


そして、12頭のライオンの噴水がある「ライオンの中庭」に進みました。この中庭の周りは大理石の柱が林立する回廊となっています。柱と柱の間の上部はアーチで、レースのような繊密な模様が施されています(上の写真)。

ライオンの中庭 2012年6月4日 by Poran111

12頭のライオンで支えられた噴水がある「ライオンの中庭」はイスラム芸術の最高傑作と言われます。これらのライオン像は修復のため2006年から撤去されていましたが、今は元の位置に戻されました。しかし、我々が訪れた時はまだ修復作業が続いてるところでした(上の写真)。 

この中庭と庭を囲む幾つかの部屋や施設は王のハーレムだったため、王以外の男性は立ち入り禁止だったそうです。


二姉妹の間 2012年6月4日 by Poran111


ライオンの中庭の南側には「アベンセラヘスの間」、北側には「二姉妹の間」があり、それぞれに「モカラベ」と呼ばれる鍾乳石場の複雑な装飾が埋め尽くされた美しい丸天井ついています。

ところで、イサーク・アルベニス(1860年~1909年)の初期(1886年)のピアノ曲の傑作、「スペイン組曲・第1集」の第1曲(Op.47-1)に「グラナダ(セレナータ)」があります。この曲はギターに編曲され、ギター曲としても名曲になっています。
       <イサーク・アルベニス作曲(セゴビア編)「グラナダ」、アンドレス・セゴビア演奏>
上の動画では、不世出の天才、アンドレス・セゴビア自らがギターに編曲して、演奏しています。作曲者、イサーク・アルベニスは22歳の頃、短い間アルハンブラ宮殿のほとりに暮らしていたことがあり、その思い出から、この郷愁に満ちたセレナードが生まれたと言われます。


パルタル庭園とサンタマリア教会 2012年6月4日 by Poran111

ライオンの宮殿から「パルタル庭園」に出ました。ここはイスラム時代には貴族の宮殿や住宅、モスクなどが建ち並ぶ緑地でした。
「貴婦人の塔」(下の写真)を背景に、池と花々のある明るい庭園です。


貴婦人の塔@アルハンブラ宮殿 2012年6月4日 by Poran111

ここから東へ遊歩道を進めば、ヘネラリーフェに至ります(下の写真)。

ヘネラリーフェを見る 2012年6月4日 by Poran111

アルハンブラ宮殿は私が思っていたものよりも広く、規模の大きいものでした。夏場は非常に暑くなるグラナダでも涼しい丘の上に位置しています。
宮殿とは言うものの城塞の性質も備えており、その中に住宅、官庁、軍隊、、モスク、学校、市場、庭園等様々な施設を備えていて、14世紀頃には2,000人の人々が暮らしていたと言われます。


アルハンブラを見て、夕方、グラナダ市内にあるホテルに着きました。

洞窟のタブラオ 2012年6月4日 by Poran111

ホテル内のレストランで夕食をとり、夜8時半頃、マイクロバスに乗ってホテルを出発し、アルハンブラ宮殿の北側に位置するサクラモンテの洞窟タブラオにフラメンコ・ショーを見に行きました。

タブラオでのフラメンコ 2012年6月4日 by Poran111

フラメンコは15~16世紀にアンダルシア地方に誕生したと言われ、当時この地域に流入したロマ族(英語で言うジプシー)が形成した独自文化の中で、フランメンコは発展しました。
この日のショーは、ギタリスト1人、カンテの歌い手1人、踊り子が女性3人、男性一人でした。
情念のほとばしるような歌、情熱的なフラメンコ・ギター、官能的な踊りは、洞窟タブラオの中で独特の雰囲気を作り、十分楽しむことができました。
(グラナダのフラメンコについて詳しくはcharanのブログをご参照。→「スペイン旅行(10) グラナダ・フラメンコショー」)

夜のアルハンブラ宮殿 2012年6月4日 by Poran111

フラメンコの終わった後、洞窟タブラオの前の道路からはライトアップされたアルハンブラ宮殿が夜空に輝いていました。

グラナダのHotel San Anton(左側の建物) 2012年6月5日 by Poran111

翌日、6月5日(火)は朝食後、我々のバスが出発する前にちょっと時間があったので、泊まったホテル・サン・アントンの周りを少し歩きました。

グラナダの学校 2012年6月5日 by Poran111

ホテルの横を流れる川沿いに歩くと、白い修道院がありました。

グラナダの街 2012年6月5日 by Poran111

修道院の近くの橋を左に渡ると、もうそこは繁華街(Darro通り)でした。この時はまだ朝8時半のため、ほとんどの店は開いていません。

それから、我々はグラナダを発ち、バスでミハスに向かいました。

2012年7月12日木曜日

スペイン旅行振り返り(6):コルドバ

6月3日(土)朝、ラ・マンチャ地方のコンスエグラで風車を見た後、バスはそこから南、約  280km先にあるコルドバに向かいました。

しばらくの時間走り、南のアンダルシア地方に入るとオリーブ畑が広がる景色が多くなります。

コルドバに向かう途中のオリーブ畑 2012年6月3日 by Poran111

コルドバはグアダルキビル川の北側にあり、紀元前のローマ植民地時代からアンダルシアの中心地でした。

8世紀にイスラム教徒の侵入が始まり、その後コルドバはヨーロッパ・北アフリカのイスラム教国の中心として大きく発展。10世紀の最盛期にはコルドバの人口は100万人、モスクの数は300を超えたと言われます。


グアダルキビル川@コルドバ 2012年6月3日 by Poran111

1236年にキリスト教徒がコルドバを奪回し、イスラム教徒が去っていくと、コルドバの町は次第に衰退していきました。現在の人口は約30万人です。

その歴史が示すように、イスラム、キリスト教、ユダヤの3つの文化が共存し、融合した町です。

ローマ橋@コルドバ 2012年6月3日 by Poran111

我々のバスはグアダルキビル川沿い、カラオーラの塔の脇に停まり、我々はバスを下りて、ローマ橋を渡り、コルドバの町を歩いて回りました。

上の写真のローマ橋は最初ローマのアウグストゥス帝の時代に築かれ、レコンキスタ(キリスト教徒による再征服運動)後に現在の形になりました。橋の右の塔は、ローマ橋を守るためにイスラム教徒時代に築かれた要塞です。

昼食を食べたレストラン@コルドバ 2012年6月3日 by Poran111

ローマ橋を渡り、町の中心部にあるレストラン(写真右の建物)で昼食を食べました。
スペイン旅行中はワインの他に、サングリアを時々飲みました。コルドバは昼間気温が30度位まで上がりましたので、ここで飲んだ、氷が入り、果物が浮いた、冷たいサングリアはとてもおいしかったです(下の写真)。

サングリア@コルドバ 2012年6月3日 by Poran111


ところで、スペインを代表する作曲家・ピアニストであるイサーク・アルベニス(Isaac Albéniz, 1860年~1909年)はスペイン民族主義楽派の確立者と言われていますが、彼の作品の中にコルドバをテーマにしたピアノ曲「コルドバ(夜想曲)ニ短調 (Cordoba) Op.232-4」があります(1894年頃作曲)。
         <I.アルベニス作曲「コルドバ」 - ギター演奏:Julian Bream>
上は、ギター用に編曲されたこの「コルドバ」を名ギタリスト、ジュリアン・ブリームが演奏しています
image from www.flickr.com               <イサーク・アルベニス>

アルベニス作曲のピアノ曲は、この「コルドバ」の他に、「グラナダ」、「アストゥリアス」、「セビーリャ」など多くがギター用に編曲され、コンサートでしばしば演奏され、どれもがギターの名曲になっています。その理由は、これらのアルベニスの曲においては、ギターと密接に結びついたスペインの民族音楽が素材とされており、ギターで演奏されることによってアルベニスの本来の意図が原曲のピアノよりも更に鮮やかに表れるからだと私は思います。



メスキータのミナレット 2012年6月3日 by Poran111

さて、我々はまずメスキータ(スペイン語でモスクの意味)に入って、見学しました。
このメスキータはイスラムの王、アブドゥル・ラフマーン1世によって、西ゴート王国の聖ビセンテ教会の跡地に785年に建設が始められました。その後3回にわたって拡張され、10世紀末には2万5千人を収容する巨大モスクとなりました。
1236年にカトリック教徒によりによりコルドバが再征服されるとメスキータはキリスト教の礼拝堂として使われ始め、16世紀カルロス1世治世にモスク中央部に大聖堂が建設され、カトリックの祈りの空間がこの中に挿入されました。今はイスラムとキリスト教の2つが同居する世にも珍しい建築となっっています。

メスキータ内部@コルドバ 2012年6月3日 by Poran111

上の写真はモスク入口付近の最も古くからある部分、「円柱の森」。天井を支える二重アーチは赤いレンガと白の石灰岩を交互に楔状に配した構成となっています。

メスキータ内部2@コルドバ 2012年6月3日 by Poran111

更に、奥の2回目の拡張部分(上の写真)には、アラベスク模様やモザイクで飾られたミフラーブがあり、これはイスラム教寺院において祭壇の代わりになったもの。

キリスト教の祭壇@コルドバのメスキータ  2012年6月3日 by Poran111

モスク中央部には16世紀にカトリック教徒によって建設された大聖堂があります。上の写真は大聖堂の祭壇

花の小道@コルドバ 2012年6月3日 by Poran111

その後、メスキータの北側にあるユダヤ人街を歩きました。ここは小路が迷路のように入り組み、その両側に白壁の家が並びます。ユダヤ人はイスラムの時代には経済を支える存在として厚遇されましたが、レコンキスタ後の1492年ユダヤ人追放令により町から姿を消しました。

メスキータ横の通り@コルドバ 2012年6月3日 by Poran111

コルドバの街を歩いた後、メスキータを囲む10m程の石の塀の外側にある土産物屋(上の写真の右側)に入りました。
フィリグラーナと呼ばれる銀細工がコルドバの名産ですが、小さな銀細工のギターがあったので思わず買ってしまいました。
本当はマドリッドのクラシックギターの有名店「ホセ・ラミレス」に寄って、本物の高級ギターが買えれば一番良かったのですが、マドリッドでは買い物をする自由時間もなく、お小遣いもなかったので、この銀細工の可愛いギターで我慢しました。

銀細工のギター(コルドバ) by Poran111

その日我々が泊まったホテル、Hotel Alfaros はコルドバの街の中、メスキータからも1.5km程の所にありました。

Hotel Alfaros@コルドバ 2012年6月4日 by Poran111

翌朝、4日(月)は出発までに少し時間があったので、ホテルの周辺を散歩しました。

コルドバの市庁舎(右) 2012年6月4日 by Poran111

ホテルのそばにあったコルドバ市庁舎はちょっと味のある建物でした。