ロンダからセビーリャに向かう街道沿いにはたくさんのひまわり畑が連なっています。例年ならこの時期にはひまわりが一面に咲き誇っているはずでした。しかし、今年は殆ど咲いていないか、まばら程度にしか咲いていない畑ばかりでした。今年は天候不順でひまわりの種蒔きが遅れたのだそうです。しかし、一箇所、ひまわりが見事に咲いている畑を見つけました。この畑では他よりも早めに種蒔きをしていたようです。
バスの運転手は気を利かせて、バスを停めて、写真休憩をとってくれました。
そして、バスは昼前にセビーリャに着きました。
セビーリャ(セビリア)はグアダルキビル川に面した良港としての条件が幸いし、発展してきた町です。ローマ時代から主要都市として栄え、8世紀初めからは500年以上にわたってイスラムの支配下にあり、13世紀中頃キリスト教徒によって奪還されました。
我々のバスがグアダルキビル川に沿って走ると、川岸に「黄金の塔」が立っていました。この塔はイスラム教徒により13世紀初めに建てられた、敵の侵入を防ぐための望楼で、かつては塔の上部が金色の陶器レンガで輝いていたそうです。
ところで、セビーリャは、アランフェス、アルハンブラと共に、スペインで私が是非見たいと思っていた町です。と言うのは、イサーク・アルベニスの名曲「セビーリャ」があるからです。セビーリャ(セビリア)はグアダルキビル川に面した良港としての条件が幸いし、発展してきた町です。ローマ時代から主要都市として栄え、8世紀初めからは500年以上にわたってイスラムの支配下にあり、13世紀中頃キリスト教徒によって奪還されました。
アンダルシアいちの都会であるセビーリャの情趣を描き出したこの曲は、アルベニスの初期(1886年)のピアノ曲の傑作、「スペイン組曲(第1集)」の中に第3曲(Op.47-3)として収められています。「セビーリャ」はギターに編曲され、多くのギタリストによって演奏され、クラシックギターの名曲となっています。上の動画は名手、ジョン・ウィリアムズによる演奏です。
我々はセビーリャ旧市街の中でバスを降り、インディアス古文書館の横を通り、アルカサルの前を歩いて、カテドラルとヒラルダの塔に行きました。
セビーリャのカテドラルはイスラムのモスクを取り壊した跡に、1402年から1世紀余をかけて建てられたゴシック様式主体の大聖堂です。奥行116m、幅76mの規模はスペイン最大で、ヨーロッパ内でもローマのサン・ピエトロ寺院、ロンドンのセント・ポール寺院に次ぐ3番目の大きさ。
上の写真、中央の丸いものはマエストランサ闘牛場で、18世紀建造、ロンダの闘牛場に次いでスペインで2番目に古いもの。手前はカテドラルの屋根の部分です。
カテドラルの内部には、アルフォンソ5世の墓がある王室礼拝堂、黄金色の世界最大の木製祭壇、コロンブスの墓など見所がたくさんです。
それから、カテドラルに付設された高さ98mのヒラルダの塔に我々は登りました。この塔は 12世紀末のイスラム建築で、もともとは現在の場所にあったモスクのミナレット(尖塔)でした。我々が登った、高さ70mの展望台(上の写真)の所までがほぼオリジナルのままのイスラム様式で、その上の鐘楼部分は16世紀にキリスト教徒が付け加えたものだそうです。
塔の展望台からはセビーリャの町が360度見渡せました。
<ヒラルダの塔の鐘の音@セビーリャ 2012年8月6日12:15>
上の動画は我々がカテドラルに入る直前に鳴っていたヒラルダの塔の鐘の音です。最後に映っているのはアルカサルです。塔の展望台からはセビーリャの町が360度見渡せました。
上の写真の左側の四角い形の建物がアルカサル(王城)で12世紀後半にイスラム教徒によって建てられた城塞。その右の四角い建物はインディアス公文書館。
上の写真はヒラルダの塔の前の広場。ホテルなどがあります。この東側(上方向)にはかつてのユダヤ人の街、サンタ・クルス街が続きます。
昔ながらの佇まいを残す旧市街にお洒落な5両編成の路面電車が走っていました。
お昼は市内のレストランでペスカードス・フリートスと言う、魚、イカ、タコなどのフライ料理を食べました。これはアンダルシア地方の名物料理だそうで、柔らかく、美味しかったです。
セビーリャには昼食時間を含めてわずか3時間半程度の滞在でした。私としては、ここは1泊位してじっくり見たい町、いうのが感想ですが、パッケージ・ツアーではやむを得ません。
昼食後はバスでセビーリャ飛行場に行き、16:55発の飛行機に搭乗し、このツアー最後の目的地、バルセロナに向かいました。
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