この映画は、パラグァイ生まれのギタリストで天才作曲家、アグスティン・バリオス、通称「マンゴレ」(グアラニー族の伝説的酋長の名前)の伝記映画です。
<アグスティン・バリオスを演じる俳優ダミアン・アルカサール>
クラシックギター音楽界においてアグスティン・バリオス(1885年~1944年)は、「近代ギター音楽の父」と称されるフランシスコ・タレガ(1852年~1909年)と並ぶ(ある部分ではタレガを上回る)、天才作曲家だと私は考えています。
しかし、モーツァルトやショパンと違って、クラシックギターのバリオスと言っても、一般の人で知っている人は非常に少ないので、この映画を普通の映画館で上映するのは難しいのでしょう。そこで、一般の小さなホールを借りて、小さな移動型スクリーンを使っての上映会となりました。その上、東京都内での上映は当面は8月11日(金・祝)とこの日の2回のみ。バリオス・ファンの私としてはこれを見逃すわけにはいかず、この日、蓼科から東京まで出掛けて行きました。
<バリオス/1923年(38歳頃)アルゼンチンのRosarioにて>
上映に先立ち、チリの名ギタリスト、アレクシス・バジェホス氏によりスクリーンの前で、バリオス作曲の「ビダリータ」、「ドン・ペレス・フレイレ」、「フリア・フロリダ」、3曲のギター演奏が行われました。
上映に先立ち、チリの名ギタリスト、アレクシス・バジェホス氏によりスクリーンの前で、バリオス作曲の「ビダリータ」、「ドン・ペレス・フレイレ」、「フリア・フロリダ」、3曲のギター演奏が行われました。
<映画・伝説のギタリスト「マンゴレ」・予告編>
そして、映画のエンドロールには、再びバジェホス氏が登場し、バリオス作曲「パラグアイ舞曲」が演奏され、それに合わせて、主催者のギタリスト吉住和宏氏(この映画の字幕翻訳を行った)によりバリオス自作詩の朗読が行われました。
<映画のエンドロールにてバジェホス氏の演奏と吉住和宏氏の詩の朗読>
上映前後のバジェホス氏の演奏はバリオスを彷彿させる、美しい演奏でした。また、吉住和宏氏によるバリオス自作詩の朗読は映画の余韻を更に深めるもので、私にとっては東京まで出掛けて行った価値が十分にある、楽しいイベントでした。
さて、この映画はアグスティン・バリオスの伝記映画ですが、予想していた以上のフィクションが含まれています。1時間30分ほどの映画の中でストーリーを面白く組み立てるためには、伝記映画と言えどもフィクションが入ってくるのは止むを得ないのでしょう。
ところで、私は数年前から、謎めいた天才、アグスティン・バリオスの生涯や人間そのものに興味を持ち、時間のある時に、バリオスの英語での唯一(多分)の伝記本、Richard D. Stover 著「Six Silver Moonbeams: The Life and Times of Agustin Barrios Mangoré」(1992年)を読んだり、また、ネット上で入手できるバリオスに関する記事や小論などを調べて、目を通していました。この映画を見た私の友人、知人の中にもこの映画のフィクションと現実の堺がどこなのか、興味を持つ人がいました。そこで、バリオス・ファンの私としてはこの映画におけるフィクションと事実の違いについて、一言、言及したくなりました。
特に気になったバリオスの女性関係について、映画におけるフィクションと事実について以下に簡単に触れてみます。
(1)バリオスの最初の妻、「イサベル・ヴィジャルバ」
<映画での最初の妻「イサベル・ヴィジャルバ」(女優 ラリ・ゴンザレス)>
映画では、パラグァイで生まれたバリオスはパラグァイを出国する前に最初の恋人、イサベル・ヴィジャルバと事実上の結婚をし(婚姻届けは出していない)、二人の男の子をもうけます。
事実はどうだったでしょうか? 私が以下、「事実」として記載する内容は上記のRichard D. Stover 著の伝記本「Six Silver Moonbeams: The Life and Times of Agustin Barrios Mangoré」(1992年)の内容によります。Stover はこの本を書くにあたり、数年にわたって中南米各地を歩き、資料を集め、証言を得て、書いていますから、少なくともフィクションは含まれないと考えられます。
Stoverによれば、バリオスは母国、パラグアイを1910年(25歳頃)に最初に離れる前に、既にある女性にVirgilioという名前の息子を生ませています。その後、1926年(バリオス41歳頃)には同じくパラグアイで別の女性にNenequitaという名前の娘を生ませています。いずれの女性ともバリオスは結婚はしていません。(『Six Silver Moonbeams』の197頁による)
従って、バリオスがパラグァイにおいて「イサベル・ヴィジャルバ」に二人の男の子を生ませたというのはフィクションだと言えます。
<1908年6月にバリオスが鉛筆で描いたIsabelの肖像画>
Stover の伝記本にもイサベルと言う名前の女性が取り上げられています。Stover よれば、バリオスは1908年6月3日(バリオス23歳の時)に「Isabel」という名の女性の肖像画を鉛筆で書いています。そして、その絵には「To my beautiful friend Isabel. ~A.Barrios」と記されています(上の写真)。このIsabelがどのような女性かについてはこの伝記本には記述がなく、分かりません。Isabelがバリオスの初恋の女性だと唱える人もいますが、その信憑性は定かではありません。
(注:この記事の内容についての変更を下に追記してあります。)
(注:この記事の内容についての変更を下に追記してあります。)
<映画での晩年の妻「グロリア・シルヴァ」(女優 アパレシーダ・ペトロウキー)>
また、映画ではバリオスの晩年の事実上の妻、「グロリア・シルヴァ」が登場します(上の写真)。映画では、グロリア・シルヴァはダンサーで、バリオスはグロリアとブラジルのキャバレーで出会います。その後、グロリアはバリオスと行動を共にし、演奏活動のために中南米各地を転々とするバリオスを癒やし、 最期まで一緒でした。
<グロリアとアグスティン/1932年12月Bogotaにて>
事実はどうでしょうか? 上述の伝記本によれば、バリオスには晩年、事実上の妻となり、生涯行動を共にしたグロリア・セバン(Gloria Seban)と言う女性がいました(上の写真)。
バリオスはグロリア・セバンとは1929年(バリオス44歳頃)に知り合いましたが、その頃にはバリオスの長年の奔放な女性遍歴はようやく影をひそめていたそうです。バリオスはこのGloria Sebanとも正式(法的)には結婚していませんが、グロリアは伴侶となり、1944年8月にバリオスがエルサルバドルにて59歳で心不全で客死するまで生涯行動を共にしました。
しかし、グロリアがダンサーだったというのはフィクションだと考えられます。
Stover によれば、グロリアは教養はあまりなかったが、実際的で、料理がとても上手な、家庭的な女性でした。音楽に詳しかったわけでもなく、芸術家でもありませんでした。伝記本にはダンサーだったという記述は全くありません。彼女はバリオスを愛し、バリオスの日々の身の回りの世話を良くしたそうです。
バリオスはグロリア・セバンとは1929年(バリオス44歳頃)に知り合いましたが、その頃にはバリオスの長年の奔放な女性遍歴はようやく影をひそめていたそうです。バリオスはこのGloria Sebanとも正式(法的)には結婚していませんが、グロリアは伴侶となり、1944年8月にバリオスがエルサルバドルにて59歳で心不全で客死するまで生涯行動を共にしました。
しかし、グロリアがダンサーだったというのはフィクションだと考えられます。
Stover によれば、グロリアは教養はあまりなかったが、実際的で、料理がとても上手な、家庭的な女性でした。音楽に詳しかったわけでもなく、芸術家でもありませんでした。伝記本にはダンサーだったという記述は全くありません。彼女はバリオスを愛し、バリオスの日々の身の回りの世話を良くしたそうです。
しかしながら、これらのフィクションが含まれていても、この映画の価値を引き下げるものではないと私は考えます。ともかく、クラシック・ギタリストの伝記映画が作られたということだけでも画期的です。バリオス・ファンにとっては、これは必見の映画だと私は思います。
<ベルタ・ロハス演奏、バリオス作曲ワルツ第3番>
なお、この映画でのギター曲はパラグァイ出身の世界的女流ギタリスト、ベルタ・ロハス(1966年~)が全て演奏しています。この映画の中に流れるベルタ・ロハスの演奏はとても美しく、効果的でした。中でも、バリオス作曲「ワルツ第3番」はBGMのように繰り返し流れ、私には印象に残りました。
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≪2017年10月24日追記 ~上の記事についての変更≫
上記の記事を書いて直ぐに、ギタリスト吉住和宏氏からの情報で、上述のアグスティン・バリオス・マンゴレの伝記本、Richard D. Stover著「Six Silber Moonbeams – The Life & Times of Agustin Barrios Mangore 」(1992年版~第1版)について、改訂版「 Paraguay – Edition 2012」が出版されていることを知りました。私は早速ネットで調べて、この改訂版を入手しました。
著者Richard Stoverは1992年第1版を出版後も調査を続け、パラグァイのバリオス関係組織、Barrios Mangore Project Centerなどと協力し、その後約20年間の調査で分かった事実やデータ、写真を基に増補・改定した2012年版をパラグァイにて出版したものでした。この「Paraguay – Edition 2012」(全433頁)は「1992年版~第1版」(全271頁)の内容を含み、大幅に増補され、1992年版の内容も一部修正されています。特にバリオスの女性関係、家族関係については多くの新しい事実が分かり、「The Barrios Family」という一つの章を追加して、より詳しく記載されています。
<「Six Silber Moonbeams – The Life & Times of Agustin Barrios Mangore 」(Paraguay – Edition 2012)表紙>
それによりますと、
まず、(1)バリオスの最初の妻、「イサベル・ヴィジャルバ」については、
結論から述べますと、映画のストーリー、「バリオスは最初の恋人、イサベル・ヴィジャルバと事実上の結婚をし、二人の男の子をもうけた」というのは事実に即しています。
上述の「 Paraguay – Edition 2012」によれば、バリオスはイサベル・ヴィジャルバ(Isabel Villalba)に二人の男の子をアスンシオンで産ませています。長男、Pedro Virgilio(1908~1974)と次男、Reinaldo(1910?~?)です。
<イサベル・ヴィジャルバ ~「 Paraguay – Edition 2012」の289頁より>
また、バリオスは、次にパラグァイに帰国した1925年にIsabel Valienteと恋愛関係に陥り、アスンシオンで一人の女の子を産ませました(いずれの女性もファーストネームがIsabelなのは偶然の一致)。その子の名はAda Ramona Elena Valiente(1926~1984)で、長じてプロ・ハープ奏者となり、“Nenequita” Caceres の名で知られ、長年フランスで住んでいました。
<Isabel Valiente ~「 Paraguay – Edition 2012」の291頁より>
また、上に掲載の「1908年6月にバリオスが鉛筆で描いたIsabelの肖像画」については、伝記本「Six Silber Moonbeams 」(1992年版~第1版)ではそれ以上の詳しい記載がなく、具体的に誰を描いたものか不明でした。しかし、この「 Paraguay – Edition 2012」では、バリオスが描いたこの鉛筆画はイサベル・ヴィジャルバの肖像画だとはっきり述べられています。
映画の中でも、イサベル・ヴィジャルバに、バリオスが自分で描いた彼女の肖像画をプレゼントする場面が出てきます。
また、(2)バリオスの晩年の事実上の妻、「グロリア・シルヴァ」については、
伝記本「Six Silber Moonbeams 」(1992年版~第1版)では、その名を「グロリア・セバン(Gloria Seban)」と記載されていました。しかし、「 Paraguay – Edition 2012」では、その名を「グロリア・シルヴァ(Gloria Silva)」(1903年~1965年)と記載し、通称(pseudonym)が「グロリア・セバン(Gloria Seban)」だと記載されています(「 Paraguay – Edition 2012」の148頁)。
その後の調査で、本名が「グロリア・シルヴァ」で「セバン」は通称だという事が判明したと考えられます。
<グロリア・シルヴァ(通称グロリア・セバン) ~Edition 1992(第1版)より>
いずれにしましても、アグスティン・バリオスという人物は、新しい事実が分かれば分かるほど、また次の新しい興味、好奇心が湧いてくる、不思議な魅力のある人物だと私には思えます。
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