私はまず、やーさんのブログ「アメリカで開始したクラシックギター」の1月4日付記事『ギタードリーム誌(1)』で紹介されていた、渡辺氏についての記事が載っている雑誌『ギタードリーム』No.11、JUN-JUL 2008号をAmazon.co.jpを通じて取り寄せました。この号には、クラブ・マリアデュオによる故渡辺範彦夫人渡邊悦子さんに対するインタビュー記事が掲載されています(下の写真)。
このインタビューの中で私が面白かったと思う箇所を下に転載します。
― どんな旦那さまでしたか?
渡邊(夫人):よく気をつかってくれましたね。たとえば、服を買いに行く時など一緒について来るんです。私の服に対してイメージがあるらしく、その通りの服が見つかるまでずっと探すんですね。私はもうこの辺でよいと思っていても、見つかるまで探す。
― イメージ的に純粋な方でしたよね。しかし、髪と服に注文なんて、すごいですね。
渡邊:私よりいろんなことに気がついちゃうんですよ。それで何でも自分でやるんです。洗い物なんか茶碗でも何でもすごい力を入れて洗うんですよ。だからピッカピカ。掃除したら塵ひとつ落ちていない。隅々まできれいになっている。やり出したらずっとやる。毎日ではないですけれど。でも、家事なんかは私に任せてほしいなあと思いましたから、そういうところではマイナス10点。
― 演奏会がある時のようすは?
渡邊:それはもうすごかった。演奏会の3週間前くらいから、睡眠が1日3時間くらいで、ご飯も1食、あとはすべて練習。そういう生活でした。
― じゃあ、お風呂などの時間を考えても、18、9時間は練習なさってたんですか?
渡邊:そうですね。もうずっと。コーヒーとタバコをのみながら同じ場所を何回も繰り返していた。・・・・・
― すごいですね。さすが渡辺範彦師匠。奥様から見て師匠のギターへの接し方はいかがでしたか?
渡邊:とにかく全身全霊を込めていました。何かの折りに「聴く人を飽きさせない演奏をしたい」と言っていました。演奏家として復帰させたいと思っていたところで、亡くなってしまったのは本当に心残りです。 ・・・・・
これらの奥様の話からは、渡辺氏がこだわりを持ち続け、完全を目指す、完全主義者であったことがよく分かります。こだわりを持ち続け、完全を追及するということは芸術家には必要な資質だと私は考えますし、こういうタイプを私は好きです。
(ヴィラ=ロボス作曲「前奏曲第5番」、渡辺範彦氏1979年9月15日ライブ演奏)
渡辺氏は1969年秋、22歳の時に第11パリ国際コンクールで日本人として初めて優勝し、しかも、史上初の審査員12人の満場一致で選ばれ、脚光を浴びました。
(この記事は続きます。)
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