<ハバナの街を貸し切りバスで出発する 2016年1月26日08:23>
我々のバスはシエンフエゴスに向かって、ハイウェイを走り続けます。ハバナから少し走ると、すぐにサトウキビ畑等の畑や、牛や馬の牧草地が延々と続きます。
<シエンフエゴスへ行く途中のサトウキビ畑/ハイウェイ沿い 2016年1月26日10:53>
キューバの歴史は、1492年10月にコロンブスが1回目の航海時にキューバに到達したことから始まります。そして、キューバはスペインにより植民地化され、同時に、砂糖産業、奴隷産業が盛んになり、スペインと中南米の中継地点として、著しく発展しました。現在でも工業があまり発展しているようには見えないキューバにとっては、砂糖を中心とした農業は重要な産業のようです。
<シエンフエゴスの街に入る 2016年1月26日11:29>
3時間ちょっとでシエンフエゴス(Cienfuegos)の町に着きました。シエンフエゴスはコーヒーやタバコ貿易の拠点として1819年にフランス人の移民によって作られた町で、カリブ海側の大きな湾に面していて、人口約15万人の、キューバとしては大都市です。
<ホセ・マルティ広場とホセ・マルティの像 2016年1月26日11:38>
ここのホセ・マルティ広場を中心とする旧市街地はユネスコの世界遺産です。
ホセ・マルティは1895年~98年のスペインからの第2次独立戦争を指導し、キューバ建国の父と言われる人だそうです。
<シエンフエゴスの大聖堂 2016年1月26日11:37>
この街のコロニアルな建物には、フランスのエッセンスを感じられるものが多いのが特徴です。
<シエンフエゴス市庁舎(旧行政府宮殿) 2016年1月26日>
ここでもクラシックカーはたくさん走っていいます。
<ホセ・マルティ広場 2016年1月26日>
お昼は、このホセ・マルティ広場から3キロほど南に下ったゴルダ岬にあるレストラン「パラシオ・デ・バジェ」(Palacio de Valle)に行きました。
<レストラン「パラシオ・デ・バジェ」外観 2016年1月26日13:33>
この建物は1913年にオーストラリア人、アシスクロ・バジェ・ブランコにより4年をかけて建設されたそうで、ムーア様式を基本とした瀟洒なものでした。
<レストラン「パラシオ・デ・バジェ」内部 2016年1月26日>
我々はここでロブスターを食べましたが、しっかり味付けされ、焼かれたものでした(下の写真)。
もう20年も前の話ですが、米国駐在時にニューヨークでロブスターはよく食べました。ニューヨークやボストンのロブスターは寒い海のロブスターで、こちらは熱い海のロブスターですから、種類はちょっと違うようで、キューバのロブスターの方が小振りでした。また、料理の仕方もニューヨークのロブスターは蒸していましたが、こちらはローストでした。これはこれでおもしろかったです。
<ロブスターと小海老 2016年1月26日12:47>
「パラシオ・デ・バジェ」の屋上に上ると、大きなシエンフエゴス湾がよく見渡せました。
<シエンフエゴス湾/「パラシオ・デ・バジェ」屋上から見る 2016年1月26日13:30>
昼食後は、この日の宿泊地トリニダー(Trinidad)に向かいます。
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