2016年7月28日木曜日

北スペイン&ポルトガル旅行振り返り(5):ヴィアナ・ド・カステロ→ギマランイス

6月10日(金)は北スペインからいよいよポルトガルに入ります。
下に、この「北スペイン&ポルトガル10日間ツアー」の行程地図を掲載します。

<北スペイン&ポルトガル旅行・行程地図2016年6月6日~15日>

10日(金)朝8時半にサンティアゴ・デ・コンポステラのホテル・ユーロスターズ・アラグアニーを貸し切りバスで出発。ひたすら南に向かって高速道路を走ります。
1時間ちょっと走り、ポルトガル国境に近い町、ビーゴ(Vigo)に近づくと、陸地の中に大きく食い込む湾(入り江)が見えてきました。

<高速道路上のバスから見たRia de Vigo(ビーゴ湾) 2016年6月10日10:00>

スペイン北西部、ガルシア地方の海岸では、上の写真のRia de Vigo(ビーゴ湾)のように、ria と呼ばれる狭い湾(入り江)が複雑に入り込んでいます。日本の三陸海岸などのリアス式海岸の名称は、このスペイン北西部の ria から由来しています。

<スペイン・ポルトガル国境のミーニョ川 2016年6月10日10:24>

そして、サンティアゴ・デ・コンポステラを発ってから2時間弱でバスはスペイン・ポルトガル国境の川、ミーニョ川を渡りました(上の写真)。

スペインとポルトガルの時差は1時間なので、ポルトガルの時間は1時間遅れます。

 <ポルトガル北部の国境に近い田舎町 2016年6月10日09:26>

国境から1時間弱走って、ポルトガルの最初の訪問地、ヴィアナ・ド・カステロに着きました。
ヴィアナ・ド・カステロはリマ川(Rio Rima)が大西洋に流れ込む河口に開けた町(現在の人口約4万人)で、その美しさから「リマの女王」と呼ばれています。
この町の歴史は1253年に、アフォンソ3世が町を建設したことに始まり、16世紀には、ヴィアナ・ド・カステロの港は重要性を増し、ここを母港に大航海に乗り出す航海者が多かったとの事です。

<サンタ・ルジア教会@ヴィアナ・ド・カステロ 2016年6月10日>

我々はまず町の北側にある標高259mのサンタ・ルジア山にバスで登り、頂上に立つサンタ・ルジア教会を訪ねました。
サンタ・ルジア教会の左右の塔にはエレベーターが設置されていて、エレベーターに乗ってバルコニーの展望台に上りました。

<ヴィアナ・ド・カステロの街、リマ川、大西洋@サンタ・ルジア教会展望台 6月10日11:07>

バルコニーの展望台からはヴィアナ・ド・カステロの町、リマ川、右に大西洋が眺められました。

<ヴィアナ・ド・カステロ旧市街の通り 2016年6月10日11:47>

その後は、バスに乗ってサンタ・ルジア山を下り、旧市街に行って、歩きました。

<レプブリカ広場@ヴィアナ・ド・カステロ旧市街 2016年6月10日12:16>

レプブリカ広場(上の写真)が旧市街の中心地です。

<ミゼルコルディア教会(右側)/レプブリカ広場前 2016年6月10日12:04>

レプブリカ広場の北側にはミゼルコルディア教会があります。これは16世紀に建てられたルネッサンス様式の病院の付属の教会で、1714年に再建されました。

<旧市庁舎/レプブリカ広場前 2016年6月10日12:09>

広場の東側には旧市庁舎があり(上の写真)、これは16世紀に建てられたゴシック様式の建物です。

<レストラン「ラランヘリア」@レプブリカ広場近く 2016年6月10日>

この日の昼食はレプブリカ広場からわずか50mの所にあるレストラン「ラランヘリア」(O Laranjeira)です。メインはメルルーサ(白身魚)で、美味しかったです。

前菜とパン

海藻の入ったスープ

メルルーサ

デザート

午後2時過ぎにバスでヴィアナ・ド・カステロを発ち、南東のギマランイスに向かいました。

<ギマランイス町の入口の壁~「ここにポルトガル誕生す」の文字 6月10日15:07>

3時ちょっと過ぎにギマランイスに到着。町の入口の壁には『ここにポルトガル誕生す』(AQUI NASCEU PORTUGAL)の表示があります。
ギマランイスは初代ポルトガル国王、アルフォンソ・エンリケスの生誕(1109年)の地です。アルフォンソ・エンリケスは長じて宗主国に反旗を翻して勝利しました。その後イスラム勢力も打ち破り、ポルトガル王アフォンソ1世を名乗り、1143年ローマ教皇の仲介によってポルトガル王国を打ち立てました。(ギマランイスの現在の人口は約16万人。)

<ギマランイスの広場と教会 2016年6月10日15:14>

旧市街では、建国以降に建てられた多くの建造物が見られます。
また、壁をアズレージョ(ポルトガル独特の装飾タイル)で飾られた建物もたくさんありました(下の写真)。

<ギマランイス旧市街のアズレージョで飾られた街並み 2016年6月10日>

旧市街に着いて、まずギマランイス城に行きました。10世紀に造られた城で、初代国王、アルフォンソ・エンリケスは1109年にこの城で生まれました。

<ギマランイス城 2016年6月10日>

高さ28mの城の塔の上からはギマランイスの町が一望できます(下の写真)。

<ギマランイス城の見張り塔からの眺め 2016年6月10日15:36>

ギマランイス城からは旧市街の通りを歩いて、観光の中心のオリベイラ広場に行きました。
オリベイラ広場に面して、ノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会があります。この古い教会はロマネスク建築とゴシック建築が融合したものです。


<ノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会とアーチ 2016年6月10日16:18>

この教会前のアーチは1340年に起こったレコンキスタ戦争であるサラードの戦いの戦勝を記念して1342年にロマネスク様式で建てられたとの事(下の写真)


<オリベイラ広場とノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会前のアーチ 6月10日16:21>

そして、午後4時40分頃に我々はギマランイスを発ち、貸し切りバスで更に南のこの日の宿泊地、ポルトに向かいました。

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