2016年7月5日火曜日

北スペイン&ポルトガル旅行振り返り(4):サンティアゴ・デ・コンポステラ

6月8日(水)夜にサンティアゴ・デ・コンポステラ(Santiago de Compostela)の新市街にあるホテル「Eurostars Araguaney」に到着。
9日(木)は朝9時にホテルを出発しました。泊まったホテル「Eurostars Araguaney」は旧市街まで歩いて数分の便利な所にあり、この日はバスは使わず、一日中歩いて見て回りました。

サンティアゴ・デ・コンポステラはスペイン北部ガリシア州の州都で、現在の人口は約96,000人です。

<アラメダ公園から旧市街とカテドラルを見る 2016年6月9日09:12>

まず、我々は旧市街の南西に広がるアラメダ公園に行きました。ここは小高い丘になっていて、サンティアゴ・デ・コンポステラの旧市街とカテドラルが見渡せるのですが、この日の朝は曇っていて、ちょっと霧がかかり、景観はイマイチでした(上の写真)。

<旧市街に入る/カテドラルに至るFranco通り 2016年6月9日09:21>

そして、公園を出て、南門から旧市街に入りました。そこからフランコ通り(Rua do Franco)を真っすぐ300メートルも歩くとオブラドイロ広場とカテドラル(大聖堂)に着きます。

カテドラル(大聖堂)西側のオブラドイロ広場からは朝は逆光になるので、写真写りは良くはありませんが、カテドラル正面の全体像が眺められます(下の写真)。

<サンティアゴ・デ・コンポステラのカテドラル正面/西側から見る 6月9日09:34>

ところで、この町の由来を振り返ってみます。
キリストの十二使徒の一人、聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)はガリラヤ湖の漁師で、弟のヨハネと共にイエス・キリストに従い、その後、スペインにおいて7年間布教活動を行いました。エルサレムに帰還後、紀元44年にヘロデ・アグリッパ1世によって断首され、十二使徒のうち最後の殉教者となりました。その遺体を弟子の二人が石の船に乗せ海を果てしなくさまよった末にこの町の付近に辿り着き、埋葬しました。これがこの聖地の起源と言われます。そして、伝説では、9世紀に星に導かれた羊飼いがこの地で聖ヤコブの墓を再発見し、遺骨を祭った聖堂が建てられ、そこに教会が作られました。これがサンティアゴ・デ・コンポステラの町の起源とされています

<カテドラル東側/時計塔(左)と免罪の門(中央) 6月9日09:56>

サンティアゴ・デ・コンポステラはエルサレム、ローマ(バチカン)と並ぶ三大巡礼地の一つです。
サンティアゴ巡礼路はフランスやスペイン各地からの道がありますが、主な巡礼路である、スペイン北部、ピレネー山脈を越える峠付近からの道は約800kmにもなります。最盛期の12世紀にはサンティアゴ巡礼者は年間50万人を数え、現在でも、サンティアゴ・デ・コンポステラを目指す巡礼者数は毎年20数万人になるそうです。

<免罪の門からカテドラルに入る/今年は聖年で特別に開いている 6月9日10:01>

さて、カテドラルの南側には免罪の門があり、ここは普段は閉まっています。しかし、今年は特別聖年で開いていましたので、我々はここからカテドラルに入りました。

<カテドラルの中央祭壇(真ん中に聖ヤコブ像)とボタフメイロ(大型香炉) 6月9日10:28>

中央祭壇(Altar Mayor)は17世紀後半に造られたチュリゲラ様式で、中央に聖ヤコブ像が祀られています。そして、この日は祭壇の前に大型の香炉(ボタフメイロ)が天井から吊り下がっていました(上の写真)。

<カテドラルの地下礼拝堂 Cripta 2016年6月9日10:13>

中央祭壇の左横の地下への階段を下りて、聖ヤコブの棺がある地下礼拝堂(Cripta)を見ました。

<中央祭壇内の聖ヤコブ像/祭壇の左側から見る 2016年6月9日10:14>

また、中央祭壇右側の階段をちょっと上ると、祭壇内の聖ヤコブ像の後ろ側に回ることができ、そこで信者たちは(信者以外の多くの人たちも同じ)聖ヤコブ像の背中のマントに触って祈ったり、キスをしたりしています。

<ミサ後、振られるボタフメイロ(大型香炉) 6月9日12:55>

カテドラルでは毎日正午から巡礼者のためのミサが行わます。また、聖ヤコブの祝日である7月25日やカトリックの祝日などにはミサ後に大型の香炉(ボタフメイロ、El Botafumeiro)が振られます。この日は祝日ではありませんが、旅行会社のユーラシア旅行社が手を打ってくれてあった(?)ためか、ボタフメイロが行われるとの事。我々のツアー一同は午前11時過ぎには聖堂内に席を取って、座って待っていました。11時半頃になるともう席は満杯で、遅れてきた人達は立ち見となりました。

<カテドラルでミサ後、ボタフメイロが振られる 6月9日12:53>

そして、厳かなミサが小一時間行われた後重量は80kg、高さが1.60mある巨大香炉(ボタフメイロ)を振る儀式が始まりました。ボタフメイロには40kgの炭と香が充填されていて、8人の男性がロープを引っ張って降り、両端65mの弧を描いているそうです(上の動画)。
この振り香炉は11世紀から使われていたようで、かつて大聖堂に到着した巡礼者は疲労し不潔な状態の者が殆どであり、また、ペストや伝染病が猛威を振るった時代には、香は病の予防効果があると信じられていたのだそうです。

<ランチを食べたレストラン「A Charca」@Franco通り 6月9日> 

その後、我々はカテドラル近くのレストラン「A Charca」で。帆立貝や鱈など魚介類の昼食を食べました。
帆立貝

タラの煮物

昼食後は再びカテドラルに戻り、カテドラル博物館を見て、西側のバルコニーに上りました。

<オブラドイロ広場とガリシア自治州庁舎(左)、パラドール(右) 6月9日15:49>

バルコニーからはオブラドイロ広場、その正面(西)にガリシア自治州庁舎、右手(北)にパラドール(旧王立病院兼宿泊所)、左手(南)に旧神学校(今はサンティアゴ大学総務部)がよく見え、更には旧市街の街並みも見下ろせました。

また、広いオブラドイロ広場には、大きなリュックを背負い、ようやくここに到達した巡礼者達が座り込んでカテドラルを眺めたり、あるいは、グループで喜びの歓声を上げたりしていました。

<オブラドイロ広場南側にある旧神学校(今はサンティアゴ大学総務部) 6月9日15:50>

ここでこの日の我々のツアーは解散となり、あとは夜まで自由行動、夕食もフリーです。
朝から歩き続けていたので、私と家内は一旦ホテルに帰って、休憩しました。

<サンティアゴ・デ・コンポステラの新市街 6月9日16:31>

我々の泊まったホテルは、新市街の賑やかな所にある、近代的な設備のホテル。カテドラルからは歩いて10分もかかりません。

<宿泊したHotel Eurostars Araguaney正面 6月9日17:39>

夜6時半過ぎにホテルを出て、家内と二人で夕食に行きました。

              <カテドラルの正面全体像 6月9日18:58>

一旦、再びオブラドイロ広場に行って、夕暮れのカテドラルを眺めました。西側から見るため、夕暮れ時の方が建物全体がきれいに眺められます。

               <夕食を食べたバル「Petiscos do Cardea」@Franco通り 6月9日>

私と家内は、前もって調べてあった、カテドラルのすぐ近くで、フランコ通りにあるバル「Petiscos do Cardeal」を訪れました。「Petiscos do Cardeal」はレストランやホテルの世界的口コミ・サイト「TripAdvisor」で、サンティアゴ・デ・コンポステラの全レストラン471店中、人気ランキング第5位で、タパスのバル(Bar)の中ではトップの店です。

<バル「Petiscos do Cardeal」のカウンター 6月9日19:48>

7時頃に店に入ると、人気の店らしく、タパスの並ぶカウンター席は既に満席。従って、私達は向かいの壁側のカウンター席に座りました。

カウンターのウィンドウの中に並ぶタパスの皿を見てもスペイン語の名前が分からないので、「これ!」と指さして、美味しそうに見えるものを注文しました。サンティアゴ・デ・コンポステラは海に近く、魚介類が豊富なので、私達はもっぱら魚介類のタパスを食べました(下の写真)。

タコのサラダ

小アジの唐揚げ

マテ貝

帆立貝

アンチョビ、卵、パプリカ

アンチョビ、パプリカ、ツナ

どのタパスもネタは新鮮で、美味しかったです。
              
       <タパスを食べる@バル「Petiscos do Cardeal」 6月9日19:15>

アルコールを飲めない家内はミネラルウォーターを、私はビールと赤ワインを飲んで、これだけ食べて、二人で代金は合計32.10ユーロ(=約3,700円)ですから、安いです。タパス・バルの中で人気ランキング、トップなのも分かります。

そして、8時ちょっと過ぎにバルを出で、ホテルに戻りました。帰りは弱い雨が降っていましたが、この北スペイン&ポルトガル旅行で少しでも雨に降られたのはこの時一回だけでした。

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