そして、バルセロナ西地区の新市街にあるホテルNH Numanciaに9時半頃にチェックインしました。
翌日、7日(木)は朝9時にホテルを出発し、専用バスで市内観光に出掛けました。
カサ・バトリョのあるグラシア通り/アシャンプラ地区 2012年6月7日9:09
バスはカサ・バトリョのあるグラシア通りを通って、まずサグラダ・ファミリアに向かいました。上の写真の右から二つ目の建物がアントニ・ガウディの傑作の一つとされる、カサ・バトリョで、1904年~1906年に建設された住宅です。アシャンプラ地区にあるこのグラシア通りはバルセロナのシャンゼリゼと言われ、高級ブランド店やしゃれたレストランが並んでいます。
最初に行ったサグラダ・ファミリア聖堂(聖家族教会)はバルセロナのシンボルであり、アントニ・ガウディ(1852年~1926年)の未完の大作で、アシャンプラ地区(拡張市街地域)に建てられています。この教会は1882年にフランシスコ・ビリャールが計画に着手し、その翌年に31歳のガウディが引き継ぎました。晩年を熱心なカトリックト教徒として生きたガウディは以降、亡くなるまでサグラダ・ファミリアの設計・建築にライフワークとして取り組んだとのこと。
この教会の建築は民間カトリック団体が計画し、個人の寄付に頼って建築されてきており、建築にこれだけの年数がかかっているのは財政上の問題も大きかったようです。しかし、現在はアルハンブラ宮殿などを抜いてスペインで最も観光客を集めるモニュメントとなり、財政状況は好転し、工事は進んできているとのこと。それでも完成までにはあと15年くらいかかるそうです。
その後、市内北部、山の手にあるグエル公園に行きました。
その後、市内北部、山の手にあるグエル公園に行きました。
カタルーニャ出身で、19世紀から20世紀にかけてのモデルニスモ(アール・ヌーヴォー)期のバルセロナを中心に活動した建築家、アントニ・ガウディの才能を見初めたのは繊維会社を経営する富豪エウセビオ・グエル(1846年 ~1918年)であり、彼はガウディの生涯のパトロンとなりました。グエルはイギリス風の静かな住宅街をバルセロナに造ろうと考え、150,000平米の土地の設計をガウディに依頼し、1900年から1914年の間建造されました。しかし、資金面などの問題により途中で工事が中断され、その後公園として生まれ変わったものです。
公園正面大階段の上にあるドーリス式列柱廊は住民のための市場として作られたもの(上の写真)。
次に、ローマ時代に起源を持つバルセロナの中心地域、ゴシック地区に行き、カタルーニャ音楽堂を見ました。カタルーニャ音楽堂はモデルニスモを代表する建築家、ドメネク・イ・モンタネールの1908年の最高傑作で、色とりどりのモザイク・タイルやステンドグラスで飾られており、現在もコンサートホールとして利用されています。
ゴシック地区は13世紀~15世紀の石造りの建物が並び、道は細く入り組み、風情があります。
そして、歩いてピカソ美術館に行きました。ゴシック地区の中でも中世の雰囲気を最もとどめる貴族の館が建ち並ぶモンカダ通りにあり、ピカソ美術館自体もゴシック様式の貴族の屋敷を改装したものです。ピカソの初期と晩年の作品を主に展示しています。
近くの通りには綺麗な薄紫の花が咲くハカランダの並木がありました。
そのあと、旧市街とアシャンプラ地区の堺にあるテトゥアン広場近くのレストラン、Neoclasic Restaurantに行って、昼食を食べました。
海の幸のパエリャ。全員分が大きな鍋で料理され、スペインのパエリャを美味しくいただきました。
この日はバルセロナの目ぼしい観光スポットを半日で見て回った訳ですから、浅く広く、駆け足のツアーとなったのは止むを得ません。
そして午後はバルセロナから北西約60kmにあるモンセラット(Montserrat)にバスで向かいました。モンセラットは「のこぎりで挽かれた山」という意味で、灰白色の岩が連なってそびえています。
標高1,235mの山の中腹725mの所に、現在も約80人の修道士が暮らすベネディクト会の修道院があります。
上の写真の建物の奥に大聖堂があり、マリア信仰の聖地としてカタルーニャの人々の信仰を集めてきました。
黒いマリア像は12世紀に、修道院から30分ほどの洞窟から発見されたもの。この像は元から黒かったわけではなく、長年の間に信者が供える灯明の煤によってこのような色になったと言われています。
1811年にナポレオン軍が侵攻し、修道院が破壊し尽くされた時も、敬虔な信者によりこのマリア像は守られ、1881年に教皇レオ13世によりカタルーニャの守護聖母とされました。
1811年にナポレオン軍が侵攻し、修道院が破壊し尽くされた時も、敬虔な信者によりこのマリア像は守られ、1881年に教皇レオ13世によりカタルーニャの守護聖母とされました。
モンセラットの「のこぎり山」はサグラダ・ファミリアのモデルとも言われ、その奇岩の光景と黒いマリア像は予想していた以上に見応えがありました。
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