10月20日(土)は私の母校、静岡市立の中学校卒業50周年記念同期会がありました。卒業50年という節目の時期でもあり、あえて参加しました。
20日、土曜日の朝、車で蓼科の家を出発、途中で昼食をとって、昼過ぎに静岡市内の私の実家に到着。
静岡に帰省したのはほぼ1年振りでした。
当時、私のいた中学校は1学年10クラスあり、1クラスの生徒数は約50人ですから、学年の全生徒数は約500人。(私の1年あとはいわゆる「ベビーブーム」で、もっとクラス数は多くなっています。) 今回の同期会の参加者は生徒が87人、恩師の先生が3人、合計90人です。全国に散らばっている人もおり、来たくても予定が重なって来られなかった人もいたはずですから、よくこれだけの人数が集まったと思います。
最初会った時に誰だかわからなかった相手も、名札を見て、昔の姿を思い出すと、だんだん面影が戻ってきて、50年振りでも男女共に、ああ君か、と分かってきます。
半世紀ぶりに会う人も何人かいて、懐かしく、50周年記念同期会は大いに盛り上がりました。
思うに、地元の市立の中学校の同窓会には、高校や大学の同窓会とは違う、郷愁のようなものが感じられます。高校は静岡市全体から試験で生徒が集まってくるし、大学は全国から試験で生徒が集まってきます。それに対して、当時静岡市には男子が行ける私立の中学はなく、地域のほぼ全員が地元市立中学に行きました(静大附属中学に行った例外的な生徒を除き)。ですから、中学校は当時の地元の社会状況を反映し、その縮図です。久し振りに会う同期生を見ていると、当時の悪ガキの姿を思いだし、鼻水たらしていた頃から遊んでいた仲間や、物心ついた頃にはもう一緒に遊んでいた友達も何人もいました。
家に帰ってきてから、当時の中学の卒業アルバムを見てみました。上の写真の上から2列目の一番右が私です。
私のいたクラスの授業風景。一番後列の真ん中が私。
中学時代の音楽関係について言えば、中学1年になると同時に私はブラスバンド部に入りました。最初トランペットを吹き、すぐにバリトンに転向しましたが、どうも吹奏楽器は私には向いていなかったようで、半年ほどで辞めてしまいました。
中学2年になってから自分で校内に「視聴覚委員会」を立ち上げました(上はそのメンバーと顧問の先生の卒業写真)。その理由は、音楽室にあるステレオを使って、自分の好きなクラシック音楽を聴きたかったからです。当時ステレオ・セットは高価なもので、静岡あたりでステレオを自宅に持っている人は珍しい時代でした。学校公認の下で、学校所蔵のレコードの中から好きなクラシック曲を選んで、自分で音楽室のステレオで聴いて楽しんでいました。50年後の今、わずか3cm四方のサイズに何千曲も収められるiPodのようなものが現れるとは当時は誰も想像できなかったと思います。
20日、土曜日の朝、車で蓼科の家を出発、途中で昼食をとって、昼過ぎに静岡市内の私の実家に到着。
静岡に帰省したのはほぼ1年振りでした。
半世紀ぶりに会う人も何人かいて、懐かしく、50周年記念同期会は大いに盛り上がりました。
中学2年になってから自分で校内に「視聴覚委員会」を立ち上げました(上はそのメンバーと顧問の先生の卒業写真)。その理由は、音楽室にあるステレオを使って、自分の好きなクラシック音楽を聴きたかったからです。当時ステレオ・セットは高価なもので、静岡あたりでステレオを自宅に持っている人は珍しい時代でした。学校公認の下で、学校所蔵のレコードの中から好きなクラシック曲を選んで、自分で音楽室のステレオで聴いて楽しんでいました。50年後の今、わずか3cm四方のサイズに何千曲も収められるiPodのようなものが現れるとは当時は誰も想像できなかったと思います。
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