2016年2月15日月曜日

飯山市文化交流館「なちゅら」お試しコンサートに参加

昨日は飯山市文化交流館「なちゅら」で行われた「お試しコンサート」に参加しました。
飯山市文化交流館「なちゅら」は飯山駅から徒歩5分の所に建設され、先月25日にオープンしたばかりで、大ホール、小ホール、多目的ホールなどから成ります。

<飯山市文化交流館「なちゅら」外観 2016年2月14日12:45>

2月一杯はお試し期間として、申し込みした人は無料で使えるそうで、これを利用して、ギター仲間の飯山市に住む千村幹雄(ニックネーム)さんが昨日一日、小ホールを借りてくれて、「お試しコンサート」を企画し、開催してくれました。

<「なちゅら」のホワイエ 2016年2月14日12:53>

「なちゅら」を設計・監理したのは、2020年東京オリンピック・新国立競技場の設計に選定された、建築家、隈研吾氏です。
外観はユニークで、地元産のカラマツ材やヒノキ材をふんだんに使っています。

<けさちゃんのギターソロ@小ホール 2016年2月14日12:57>

「お試しコンサート」は午前10時から午後5時まで開催されていて、午前中はフルートなど、いろんな楽器の合奏などがあったようです。

私は1時前に小ホールに行くと、地元のけさちゃんが既にクラシックギター・ソロを演奏中でした(上の写真)。

<大道寺ひろ子さんのピアノソロ@小ホール 2016年2月14日13:09>

1時からの演奏者の到着が遅れるとのことで、大ちゃんの奥様のピアニスト、大道寺ひろ子さんが急遽飛び入りで、ピアノソロを弾かれました(上の写真)。ドビュッシーやショパンの曲を弾かれましたが、素晴らしい演奏。ピアノの音が会場一杯に膨らむように広がって来て、ホールとしての響きも良かったです。この演奏を聴いただけで、もう今日は「なちゅら」に来た甲斐があったと思いました。

<大ちゃんのギターソロ 2016年2月14日>

この小ホールは席数171で、天井の音を拡散する小屋組には長野県産のヒノキ材を(上の写真)、壁には飯山市の内山和紙を使用しているとの事です。

さて、我々、飯山市外から参加のギター愛好者が演奏する時間は午後2時~4時となっていました。希望順でまず、大ちゃん(北佐久郡立科町)が演奏しました。

<ryokanさんとしんちゃんの二重奏 2016年2月14日>

続いて、安曇野からのryokanさんとしんちゃんのギター二重奏。

<Poranのギターソロ 2016年2月14日>

3番手の私は、演奏時間がたっぷりあったので、タレガやバリオスなどの曲、7曲を弾きました。聴いていた人は10数人でしたが、ステージに上がると、どういう訳か、予想していた以上に緊張しました。

<しう1さんのギターソロ 2016年2月14日>

市外からの参加者の最後は、長野市からのしう1さん。

<千村幹雄さんのギターソロ 2016年2月14日>

そして、この日のコンサートの主催者、千村幹雄さんのギターソロです。

<S.M.さんのギターソロ 2016年2月14日>

地元のS.M.さんは仕事の関係で到着が遅れ、ギターのプログラムの最後の演奏となりました。

<「なちゅら」大ホール 2016年2月14日>

休憩時間に大ホールを覗いてみましたが、こちらは席数500で、天井から降り注ぐ反射板には長野県産のカラマツ材を使用しているそうです。

この日我々が使用した小ホールはクラシックギターの音が後ろの席まで十分響き、サイズとしてもクラシックギターの演奏にはぴったりで、飯山市には良いホールができたなと思います。いずれここをお借りして、「クラシックギター弾き回し練習会」を開催できたらいいなと思うようなホールです。

なお、蓼科の我が家から「なちゅら」までは、大門街道を下って、上田菅平ICから豊田飯山ICまでの間を高速に乗って、車で2時間20分でした。

2016年2月14日日曜日

キューバ旅行振り返り(5)~ ハバナ→シエンフエゴス

1月26日(火)は朝、貸し切り観光バスでハバナを発って、約250km南東のシエンフエゴス(Cienfuegos)に向かいました。

<ハバナの街を貸し切りバスで出発する 2016年1月26日08:23>

我々のバスはシエンフエゴスに向かって、ハイウェイを走り続けます。ハバナから少し走ると、すぐにサトウキビ畑等の畑や、牛や馬の牧草地が延々と続きます。

<シエンフエゴスへ行く途中のサトウキビ畑/ハイウェイ沿い 2016年1月26日10:53>

キューバの歴史は、1492年10月にコロンブスが1回目の航海時にキューバに到達したことから始まります。そして、キューバはスペインにより植民地化され、同時に、砂糖産業、奴隷産業が盛んになり、スペインと中南米の中継地点として、著しく発展しました。現在でも工業があまり発展しているようには見えないキューバにとっては、砂糖を中心とした農業は重要な産業のようです。

<シエンフエゴスの街に入る 2016年1月26日11:29>

3時間ちょっとでシエンフエゴス(Cienfuegos)の町に着きました。シエンフエゴスはコーヒーやタバコ貿易の拠点として1819年にフランス人の移民によって作られた町で、カリブ海側の大きな湾に面していて、人口約15万人の、キューバとしては大都市です。

<ホセ・マルティ広場とホセ・マルティの像 2016年1月26日11:38>

ここのホセ・マルティ広場を中心とする旧市街地はユネスコの世界遺産です。
ホセ・マルティは1895年~98年のスペインからの第2次独立戦争を指導し、キューバ建国の父と言われる人だそうです。

<シエンフエゴスの大聖堂 2016年1月26日11:37>

この街のコロニアルな建物には、フランスのエッセンスを感じられるものが多いのが特徴です。

          <シエンフエゴス市庁舎(旧行政府宮殿) 2016年1月26日>

ここでもクラシックカーはたくさん走っていいます。

<ホセ・マルティ広場 2016年1月26日>

お昼は、このホセ・マルティ広場から3キロほど南に下ったゴルダ岬にあるレストラン「パラシオ・デ・バジェ」(Palacio de Valle)に行きました。

<レストラン「パラシオ・デ・バジェ」外観 2016年1月26日13:33>

この建物は1913年にオーストラリア人、アシスクロ・バジェ・ブランコにより4年をかけて建設されたそうで、ムーア様式を基本とした瀟洒なものでした。

          <レストラン「パラシオ・デ・バジェ」内部 2016年1月26日>


我々はここでロブスターを食べましたが、しっかり味付けされ、焼かれたものでした(下の写真)
もう20年も前の話ですが、米国駐在時にニューヨークでロブスターはよく食べました。ニューヨークやボストンのロブスターは寒い海のロブスターで、こちらは熱い海のロブスターですから、種類はちょっと違うようで、キューバのロブスターの方が小振りでした。また、料理の仕方もニューヨークのロブスターは蒸していましたが、こちらはローストでした。これはこれでおもしろかったです。

<ロブスターと小海老 2016年1月26日12:47>

「パラシオ・デ・バジェ」の屋上に上ると、大きなシエンフエゴス湾がよく見渡せました。

<シエンフエゴス湾/「パラシオ・デ・バジェ」屋上から見る 2016年1月26日13:30>

昼食後は、この日の宿泊地トリニダー(Trinidad)に向かいます。

2016年2月13日土曜日

キューバ旅行振り返り(4)~ハバナとアグスティン・バリオス

キューバで私が是非とも見たかったものの一つがハバナ大聖堂です。
私の好きなギタリストであり、天才作曲家、アグスティン・バリオスの代表作の一つ、「大聖堂」(La Catedral)の第1楽章、前奏曲(Preludio)は、バリオスがこのハバナ大聖堂を訪れて、着想したものと言われているからです。

<ハバナ大聖堂(La Catedral de la Virgen María de la Concepción) 2016年1月25日> 

ハバナ大聖堂の正式名は「サン・クリストバル大聖堂」で、1704年の建立。波打つようなファザードが特徴的でキューバ・バロック建築の傑作と称されています。その前のカテドラル広場には17世紀の石畳が残り、周囲の建物も18世紀前半に建てられたコロニアルなものです。


<ハバナ大聖堂の内部、祭壇 2016年1月25日>

アグスティン・バリオス(Agustin Barrios)は1885年にパラグアイで生れ、中南米各地を転々と移動して暮らし、1944年に59歳でエルサルバドルにて生涯を終えました。

 
Cesar Amaroウルグアイ生れ、1948~2012)演奏の "La Catedral" by Agustin Barrios>

バリオスの代表作、「大聖堂」(La Catedral)は現在は「Preludio(Saudade)」(前奏曲/郷愁)、「Andante Religioso」(宗教的なアンダンテ)、「Allegro Solemne」(荘重なアレグロ)の三つの楽章から成り、演奏されています。しかし、当初は「Andante Religioso」、「Allegro Solemne」の二つの楽章のみで演奏されていました。
これら二つの楽章は、バリオスが1921年にウルグアイの首都、モンテビデオのサンホセ大聖堂(the Cathedral of San Jose)に入った時の経験に基づいて書かれたものです。「宗教的アンダンテ」の広く、地平に広がるような和音は大聖堂でバッハの曲を演奏していたオルガニストの印象を表現し、続く「荘重なアレグロ」は大聖堂の静かな、霊的な雰囲気を後にして、現実世界の喧噪が渦巻く街路に出て行く様を、間断なく続く16音符のアルペジオで表現しています。

Barrios in San Salvador, 1941 by Poran111

その16年後に、バリオスは1937年10月4日にハイチからハバナに到着し、1938年3月下旬までキューバに滞在しました(その後多分、メキシコに向かった)。そして、1938年1月28日にハバナにて、彼の傑作の一つとなる、「Saudade(郷愁)」という副題の付いた「Preludio(前奏曲)」を書きました。このPreludioはバリオスがハバナ大聖堂に行き、着想したものと言われます。音楽評論家、濱田滋郎氏はこのPreludioを「人生の変転を重ね、旅を重ね、切ない郷愁の想いを託した『前奏曲』だ」と評しています(鈴木大介CD『大聖堂 バリオス作品集3』のライナーノートによる)。このPreludioは1年半後にエルサルバドルにて、バリオス自身によって「大聖堂」に第1楽章として追加されました。

バリオスは生涯、各国、各地を転々として暮らしていましたが、一応はカトリック信者だったバリオス(生後21日後にカトリックの幼児洗礼を受けている)は、滞在していた各地で教会または大聖堂に時々は行っていたものと私は推察します(記録がないので、どの程度の頻度で教会に行っていたかは分かりません)。バリオスが各地の教会や大聖堂から音楽へのインスピレーションや着想を得たのは自然なことだったと思われます。

<モロ要塞から見た運河と、向こうの旧市街、更にその左奥がハバナ港 2016年1月25日>

ところで、バリオスはこの時以前にもハバナに一度、約2ヶ月間滞在しています。それはバリオスが最初で最後のヨーロッパ旅行をした時でした。1934年7月にバリオスと事実上の妻・グロリアは、彼の支援者、Salomoni(駐メキシコ・パラグアイ大使)家の人びとと共にヨーロッパに向かうために、メキシコのベラクルス(Veracruz)から船に乗り、ハバナ港で下船しました。約2ヶ月のハバナ滞在中にバリオスが行った演奏会では彼は芸術的に大成功を収めたとの事です。そして、1934年9月には彼らは蒸気船Orinoco号に乗って、ハバナからヨーロッパに向け出航しました。

<1934年7月ハバナ港に上陸する直前。Salomoni家の人々と共に。左から4人目がバリオス。右から5人目がグロリアと思われる。>

ベルギーのブリュッセルに到着した後、ドイツ、ポルトガル、スペイン、イギリスなどに滞在した後、バリオス夫婦はヨーロッパから戻りました。しかし、バリオスのこのただ一回のヨーロッパ旅行は、当時ヨーロッパ・クラシックギター界の最大の権威であった、もう一人の天才ギタリスト、アンドレス・セゴビア(1893~1987)の妨害もあり、不本意なものとして終わったようです。


*参考文献*
①Richard D. Stober 著 『Six Silver Moonbeams ~ The Life and Times of Agustin Barrios Mangore』(1992)
②月刊「現代ギター」1981年12月号の特集記事『幻の巨匠バリオス』/現代ギター社
③鈴木大介CD『大聖堂 バリオス作品集3』のライナーノートの濱田滋郎氏による解説

2016年2月12日金曜日

キューバ旅行振り返り(3)~ハバナ(夜&ホテル)

25日(月)の夕食は旧市街のレストラン&バー「フロリディータ」(Floridita)に行きました。
ここはアーネスト・ヘミングウェイが足繁く通った店で、長いカウンター席と二つの部屋からなります。我々は奥の部屋に入り、魚料理をいただきました。

<レストラン&バー「フロリディータ」外観>

食前には、ヘミングウェイが必ず注文したという砂糖抜きのダイキリ「パパ・ヘミングウェイ」を私も飲みました。ホワイトラムとグレープフルーツをミキサーにかけたフローズン・ダイキリで、口当たりが良く、何杯でも飲めそうでした。

<フローズン・ダイキリ>

ヘミングウェイがいつも座っていたというカウンター席には彼の実物大の銅像が置かれていました。

<「フロリディータ」カウンター席のヘミングウェイ銅像>

夕食後、一旦ホテルに帰った後、我々はキャバレー・トロピカーナ(Cabaret Tropicana)を見に出掛けました。これはオプショナル・ツアーで参加者は我々夫婦の他に男性1名、女性1名、計4人です。
ジャングルのような雰囲気の所に作られた、2,000人収容の野外劇場で、メインステージの左右の高い所にも舞台がある、とても大掛かりなものでした。

<キャバレー・トロピカーナのショー① 2016年1月25日22:15>

入口では女性にはカーネーションの花を、男性には葉巻をくれ、席ではおつまみとシャンパン、ソフトドリンク、そして4人に対してラム酒(5年物)のボトル1本が出ました。

生のバンド演奏をバックに、リオのカーニバルのような恰好をした、スタイル抜群の若い女性ダンサーが次から次へと踊りを披露。カリビアン・ミュージックや様々なジャンルの音楽と共に、踊り子は入れ代わり立ち代わり、約2時間、華やかなショーが披露されました。

<キャバレー・トロピカーナのショー② 2016年1月25日23:43>

これらの踊り子たちは皆、国家公務員で、専門の養成学校があって、厳しい選抜を通った人達のみがこの舞台に立てるとの事。

<キャバレー・トロピカーナ・ショー 2016年1月25日23:41>

このキャバレー・トロピカーナは1939年に創設されましたが、1959年のキューバ革命後、社会主義体制になってからも継続されて、今日まで続いてきたとの事です。こんな派手派手なショーが社会主義体制下でも継続されていたと聞き、え!と思いましたが、観光資源になるとは言え、カストロさんは太っ腹なのでしょうか? キューバという国は、中国や北朝鮮、旧ソ連とは違う、おおらかな社会主義のような感じが私にはします。

<ホテル・メモリーズ・ミラマール 2016年1月25日>

さて、我々がハバナで2泊したのは新市街にあるホテル・メモリーズ・ミラマール(Memories Miramar)です。立派な造りの大きなホテルで、我々の泊まった部屋は寝室もリビングも広々としていました。

<ホテル・メモリーズ・ミラマールの宿泊した部屋のリビング 2016年1月25日>

バスルームは8畳くらいはありそうで、大きなバスタブも付いていました(下の写真)。ただ、このバスタブの栓は壊れていて、お湯を溜めることはことはできず、また、二日とも我々が部屋に帰ったのが深夜だったためか、シャワーのお湯はぬるめのものが、ちょろちょろ出るだけでした。

    <ホテル・メモリーズ・ミラマールの宿泊した部屋のバスタブ 2016年1月25日>

しかし、それ以外の点は問題なく、まずまずのホテルでした。

2016年2月11日木曜日

キューバ旅行振り返り(2)~ハバナ(午後)

1月25日(月)午後はレストラン「ラ・ボデギータ・デル・メディオ」(La Bodeguita del Medio)で昼食をとった後、世界遺産であるハバナ旧市街と要塞を回りました。

<ハバナ大聖堂 2016年1月25日>

まず、1704年建立の、キューバ風バロックスタイルのカテドラル(大聖堂)を見ました。(このカテドラルについては別途、別の記事にて記載します。)

<ホテル・アンボス・ムンドス@オビスポ通り 2016年1月25日>

そして、オビスポ通りに行くと、ホテル・アンボス・ムンドスがあります。文豪、アーネスト・ヘミングウェイがフィンカ・ビヒア邸を購入する以前に長期滞在していたホテルです。

<市立博物館(旧総督官邸) 2016年1月25日>

近くのアルマス広場前の市立博物館は、1791年から1898年まではスペイン総督官邸として、1902年から1920年までは大統領官邸として、その後1958年までは市庁舎として使われていた建物。1776年に建てられた、スペイン・コロニアル風の外観です。

<アルマス広場とカルロス・マヌエル・デ・セスペデス像 2016年1月25日>

アルマス広場に立つ像のカルロス・マヌエル・デ・セスペデスは1868年に勃発したスペインからのキューバ第一次独立戦争の火付け役となり、独立運動のリーダーとして活躍した人物です。

<アルマス広場横に停まるクラシックカー 2016年1月25日>

キューバの観光地では、どこでもたくさんのクラシックカーのタクシーが並んで、客待ちしていました。

<第1ゲバラ邸宅(左)と白いキリスト像 2016年1月25日>

アルマス広場からは、運河の向こう側に第1ゲバラ邸宅が見えます。これは1959年の革命政権樹立後、国立銀行総裁や工業相などの要職に就いた、チェ・ゲバラの第1邸宅だった建物です。

<モロ要塞 2016年1月25日>

その後、観光バスに乗り、運河の下を横断する海底トンネルを通って、旧市街から対岸に渡り、モロ要塞に行きました。

<モロ要塞から見るハバナ新市街 2016年1月25日>

モロ要塞は16世紀後半に建築され、かつては対岸のプンタ要塞との間に太い鎖が渡され、ハバナ港に通じる運河を行き来する船を管理していたそうです。

<旧市街の通り 2016年1月25日>

そして、再び旧市街をバスで走りました。

<ハバナ旧市街と自転車タクシー 2016年1月25日>

ハバナ市内には次の4種類のタクシーが走っています。

①クラシックカーのタクシー・・・・・観光用としても人気です。
②最近の乗用車のタクシー・・・・・大部分は中国製、韓国製、及びロシア製です。
③ココタクシー・・・・・黄色い、自動三輪車、日本のかつてのダイハツ・ミゼットのような感じ。
④自転車タクシー・・・・・上の写真に写っている三輪自転車。

これらはどれもが市民の足として使われています。ハバナ市内では時代を超越したような乗り物が同時に走っていて、これはちょっと不思議な光景です。

<ピエハ広場近くの17世紀のコロニアルな建物 2016年1月25日>

旧市街のピエハ広場の周りには高い天井と木のベランダが特徴の17世紀のコロニアルな建物がたくさん建っています。

<旧国会議事堂(カピトリオ) 2016年1月25日>

旧国会議事堂(カピトリオ)は1929年に、アメリカの国会議事堂をモデルにして建築されたもので、幅208m、高さ98mの4階建て、大理石をふんだんに使用した立派な建物です。

<ガルシア・ロルカ劇場 2016年1月25日>

ガルシア・ロルカ劇場は1838年に建てられた、キューバ・クラシックバレーの本部。キューバ国立オペラ団や国立バレエ団の公演が開催されるとのこと。

<ハバナ旧市街とクラシックカー 2016年1月25日>

旧市街を走るお洒落な色のクラシック・オープンカーの様子は、まるで古い映画の一場面を見ているようです。


<内務省の壁のゲバラ肖像 2016年1月25日>

それから、新市街の中心である革命広場に行きました。メーデーなどの国家評議会議長の演説の場として知られ、多い時には数十万の人が広場を埋め尽くすそうです。
広場に面した内務省のビルの壁にはゲバラの大きな肖像が付いています。

<情報通信省のカミーロ・シエンフエゴス肖像 2016年1月25日>

その隣の情報通信省のビルの壁にはカミーロ・シエンフエゴスの肖像が付いています。シエンフエゴスはキューバ革命でカストロ、ゲバラらと重要な役目を果たしましたが、革命後に乗っていたセスナの墜落事故で死亡しました。

<旧市街の古い建物 2016年1月25日>

旧市街の世界遺産の対象になっている建物は当然ながらきれいに管理されています。しかし、旧市街でもちょっと脇道に入ったり、裏通りの方には、上の写真のように、古く、ぼろくなったままの建物がたくさん見えました。この写真の建物はまだ良い方で、ガラスが割れたままで、今にも崩れ落ちそうな古い建物もありました。キューバは経済的には貧しく、経済封鎖の影響で物資が十分に入ってこないため、修理、修復は思うようにできないようです。

ただし、ぼろくなった建物の多い通りでも、ハバナの場合は特にゴミが散らばっているわけではなく、きたないことはありません。フランス、パリのゴミだらけの通りと比べたら、ハバナの方がよほどクリーンです。