2016年10月5日水曜日

北スペイン&ポルトガル旅行振り返り(10):リスボン(一日目)

6月12日(日)午後3時少し前に貸し切りバスでオビドスを出発し、約1時間でこのツアーの最後の宿泊地、リスボンに到着しました。

リスボンは大西洋に注ぐテージョ川の河口から12km上流に位置し、ヨーロッパ大陸最西端の首都です。リスボンの市域の人口は約55万人ですが、周辺を含めたリスボン都市圏の人口は303万人で、これはポルトガル全人口の約28%を占めています。

<ジェロニモス修道院の南門@リスボン 2016年6月12日16:02>

リスボンでは最初にベレン地区にあるジェロニモス修道院を訪れました。
ジェロニモス修道院は、ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路開拓及び、エンリケ航海王子の偉業を称え、1502年マヌエル1世によって着工され、最終的な完成までに300年ほどかかっています。マヌエル様式の最高傑作ともいわれ、大航海時代の富をつぎ込んで建築されました。とても大きな建物で写真には到底入りきりませんでした(上の写真)。

<ジェロニモス修道院の中庭と回廊 6月12日16:07>

この修道院の見どころの一つは、中庭を囲む55m四方の回廊(Claustro)で、石灰岩を用い、アーチには緻密な彫刻が施されています(上の写真)。

<ジェロニモス修道院の教会 6月12日16:41>

修道院の教会にはヴァスコ・ダ・ガマなどの棺が安置されています。

次に、ジェロニモス修道院のすぐ南のテージョ川に建つベレンの塔まで歩いて見に行きました。
ベレンの塔は16世紀初めマヌエル1世の命により、船の出入りを監視する要塞として建てられたもの。マヌエル様式の優雅なテラスを持つこの塔を、作家、司馬遼太郎は貴婦人がドレスの裾を広げている姿にたとえ、「テージョの公女」と呼んだそうです。

<ベレンの塔@テージョ川 6月12日17:12>

そして、エンリケ航海王子の偉業を記念した「発見のモニュメント」を見た後、午後5時半に我々の宿泊ホテル、バイシャ地区にあるホテル・ムンディアル(Hotel Mundial)に到着しました。
夜、聖アントニオ祭のパレードの見物に出発する午後8時45分までは夕食もフリーで自由時間となりました。

<宿泊したホテル・ムンディアル@リスボン 6月12日19:23>

この日のランチが遅かったこともあり、家内も私もあまりお腹がすいていませんでした。そこで、私がホテルの近くのバルに行って、サンドイッチと飲み物を二人分買ってきて、ホテルの部屋で食べて、簡単に済ませました。さすがにちょっと疲れていたので、聖アントニオ祭見物の出発時間までは部屋で休んでいました。

<ロシオ広場@リスボン、バイシャ地区 6月12日20:58>

さて、8時45分にホテルのロビーに集合し、添乗員さんの案内で聖アントニオ祭のパレード見物に歩いてい出掛けました。パレードが通るリベルダーデ大通りまでは、ホテルからはロシオ広場を通って500mもありません。

聖アントニオ祭は、リスボンの守護聖人“聖アントニオ”を讃える祭りで、毎年6月12日(前夜祭)と13日(聖アントニオ祭当日)に行われます。通りに連なる屋台でイワシを炭で焼いて食べることから、別名“イワシ祭り”と呼ばれます。
祭のクライマックスは、毎年、前夜祭の夜9時頃から深夜まで続くリベルダーデ大通りのパレードだそうです。


<サン・ジョゼ―通り@リスボン 6月12日21:00>

リベルダーデ大通りの一本裏のサン・ジョゼ―通りを歩いて行くと、既に人が一杯です。

<聖アントニオ祭のパレード@リベルダーデ通り 6月12日21:57>

パレードは、予選を通過した20以上ものグループが各テーマに沿ったダンスや演奏を披露しながら練り歩き、コンテストも兼ねて、優勝を競い合います。

<聖アントニオ祭のパレード 6月12日21:57>

後になるほど見ごたえのあるグループが登場するそうですが、我々は団体ツアーなので深夜まで見るわけにはいかず、夜10時まで1時間程見て引き上げました。

<イワシを焼く露天の店@サン・ジョゼ―通り 6月12日22:13>

この祭りは“イワシ祭り”なので、炭焼イワシを食べないで帰るのでは来た甲斐がありません。そこで、帰りに、我々夫婦とツアー仲間の女性二人組の4人は裏通りの屋台に寄って、炭焼イワシと飲み物を買いました。

<炭焼のイワシ@露天の店 6月12日22:13>

生ビールを飲みながら立ち食いしたイワシは、柔らかくて脂がのって、美味しくいただきました。

<帰りのサン・ジョゼ―通り 6月12日22:21>

帰りのサン・ジョゼ―通りは更に人が溢れていました。

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