<聖アントニオ教会 2016年6月13日09:07>
まず、アルファマ地区にある聖アントニオ教会を見ました。前日、6月12日(土)夜に我々は聖アントニオ祭の前夜祭パレードを見ましたが、この日は聖アントニオ祭当日なので、教会には大勢の信者が集まっていました。
<聖アントニオ教会のミサ 2016年6月13日09:16>
ちょうど聖アントニオ教会ではミサを執り行っていましたが、大勢の人達で、椅子に座れない人々は後ろで立って祈っていました(上の写真)。
<リスボン・カテドラル(大聖堂)正面 2016年6月13日>
聖アントニオ教会のすぐ東隣にリスボンの大聖堂(カテドラル)があります。このカテドラルは1147年にイスラム礼拝堂跡に、アフォンソ・エンリケスの命によって建てられ、当初は砦の役目もあったらしく、堅固な造りです。1755年のリスボン大地震も生き延びました。元々はロマネスク様式の簡素なカテドラルでした。
<リスボン・カテドラルの祭壇(内陣) 2016年6月13日09:27>
その後、バロック様式の祭壇(上の写真)などが付け加えられ、現在はさまざまな様式が混じり合っています。
さて、次はリスボンの町を離れて、貸し切りバスでユーラシア大陸最西端のロカ岬に向かいます。
<霧に包まれたロカ岬 2016年6月13日10:53>
バスは1時間ほど走ってロカ岬に着きました。着くと、ロカ岬は濃い霧に覆われて、全く見えません。ここは高さ140mの断崖の上で、晴れていれば眼前に大西洋が広がり、”地の果て”を実感できるとの事ですが、何も見えず、天候ばかりはどうしようもありません。
<シントラの街とレプブリカ広場(手前) 2016年6月13日12:49>
ロカ岬の後は再びバスで30分ちょっと東に走って、シントラに着きました。
シントラ(Sintra)は、ポルトガルの首都リスボンの西28kmにあり、ポルトガル王家の避暑地として愛された、風光明媚な山間の町です。その歴史は7~8世紀、イベリア半島に侵入したイスラム教徒のムーア人が城を建設したことに始まり、12世紀に初代ポルトガル王アルフォンソ1世がムーア人から奪回しました。英国の詩人バイロンはこの町を「この世のエデン」と称えています。
<霧のかかるシントラの王宮 2016年6月13日13:00>
我々はレプブリカ広場の前に建つ王宮を見ました。
2本の巨大な煙突が特徴的な王宮は、14世紀にエンリケ航海王子の父ジョアン1世が夏の離宮として建て、16世紀にマヌエル1世が莫大な富をつぎ込み増築しました。内装には高価なアズレージョ(装飾タイル)が多用され、大航海時代の繁栄を偲ばせます。
<シントラ王宮の白鳥の間 2016年6月13日12:09>
宮殿には、「アラブの間」「白鳥の間」「人魚の間」「カササギの間」などの絢爛豪華な部屋があり、いずれの部屋もアズレージョで装飾されています。
中でも「白鳥の間」(上の写真)は宮殿内で最も広く、晩餐会や舞踏会の場となり、1584年に天正遣欧使節団もこの部屋に招かれました。
<レストラン「Leao d'Ouro」正面@リスボン・バイシャ地区 6月13日15:28>
そして、その後は再びリスボンに戻り、宿泊ホテルに近いレストラン「Leao d'Ouro」に入りました。「Leao d'Ouro」は壁や柱にアズレージョの装飾があり、雰囲気の良い、魚介類中心のレストランでした。
<レストラン「Leao d'Ouro」の店内 2016年6月13日15:26>
ランチのメインはタコの雑炊でしたが、これも我々日本人の口に合い、美味しかったです。
ランチの後は自由時間となりました。
我々はリスボン市内のケーブルカーに乗りに行きます。
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