そこで、我々はリスボン市内のケーブルカーに乗りに行きました。リスボンにはケーブルカーの3つの路線があり、いずれも市内の低い所と高い所を短距離で結びます。リベルダーデ通りに乗り口のあるグロリア線に行きました。宿泊ホテルからは歩いて1kmもありません。
<グロリア線のケーブルカー@フォス宮の横の乗り口 2016年6月13日16:38>
電車が走る距離は500mもありませんから、すぐに終点に着いてしまいますが、これはこれで面白かったです。
<グロリア線のケーブルカーに乗る 2016年6月13日16:42>
到着駅を降りると、すぐ横にサン・ペドロ・アルカンタラ展望台があり、リスボンの街並みが眼下に一望できました。
<サン・ペドロ・アルカンタラ展望台から見るリスボンの街並み 6月13日6月13日16:49>
展望台からはバイシャ地区、アルファマ地区などの旧市街、サン・ジョルジェ城、更に向こうにテージョ川がきれいに眺められました(上の写真)。
<帰りもケーブルカーに乗って下る 6月13日16:59>
帰りもケーブルカーに乗って下り、リベルダーデ通りや広場を見物し、店を覗いたりしながら帰りました。
<レスタウラドーレス広場とオベリスク 6月13日17:11>
途中のリベルダーデ通り南端にはレスタウラドーレス広場があります。レスタウラドーレスとは「復興者たち」という意味だそうです。16世紀末から60年間、ポルトガルはスペインに支配されていましたが、1640年ついに蜂起し、ポルトガルは再独立を勝ち取りました。広場中央には、勝利と独立の精神を表す、高さ30mのオベリスクが建っています(上の写真)。
<バイロ・アルト地区の通り 2016年6月13日20:02>
リスボン最後、そしてこのツアー最後のディナーはバイロ・アルト地区にあるファド・レストラン「O Forcado」です。バイロ・アルト地区はファドハウスやレストラン、バーが多く、どちらかと言えば、リスボンの夜の街です。
<ファ・ドレストラン「O Farcado」正面 2016年6月13日20:03>
「O Forcado」(オ・フォルカード)は1967年開業で、「ファドの女王」と呼ばれるアマリア・ロドリゲス(1920年~1999年)が店の名前の名付け親だそうです。
<ファド・レストラン「O Farcado」の店内 2016年6月13日20:35>
ファドは通常、ポルトガルギター1名とクラシックギター1名の伴奏で、1名が歌います。
ファドの語源は「運命」(英語のfate)を意味し、郷愁や哀愁など、人々の様々な心の感情が表現されます。リスボンのファド歌手は大半が女性で、女性の心情を歌った物悲しい曲が多いのに対し、コインブラのファド歌手は男性で、コインブラ大学生が女性に捧げるセレナーデが基になっています。
<ファドのライブ@オ・フォルカード 6月13日20:40>
ファドにとっての重要な楽器であるポルトガルギターはスチール弦、12本を張ってあり、6コースの全く同じに調律された複弦です(下の写真)。見たところ、クラシックギターとマンドリンの中間の楽器のようにも見えますが、楽器学的にはギターとの関連性は薄く、おそらくはイングリッシュ・ギターとシターンの融合から生まれたと考えられているそうです。
また、ポルトガルではポルトガルギターのことをギターラと呼び、クラシックギターをヴィオラと呼んでいます。
<ポルトガルギターの演奏2016年6月13日22:05>
生で聴いたファドは切々と心の底から歌い上げ、時には魂の叫びのようでもあり、聴いている体に響いてきました。本場のライブを聴くことができて、満足でした。
ところで、この店でのディナーは前菜がタコの天ぷらで、メインはブイヤベースでした。ブイヤベースはいろんな魚介類がたっぷり入っていて、純粋なレストランとして見ても、十分美味しかったです。
また、「O Forcado」の店内の壁には絵画やアズレージョ、アマリア・ロドリゲスが来店した時の写真などが飾られていました。
その中でも、壁に描かれた、ポルトガルギター演奏の大きなアズレージョ(タイル絵)はこの店らしくて、雰囲気にぴったりでした。
<レストランの壁に描かれたポルトガルギター演奏のアズレージョ 6月13日>
そして、夜11時頃にホテルに戻りました。
翌日、14日(火)朝は、いよいよリスボン発のフライトで帰国の途に就きます。
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