2016年7月29日金曜日

食用ほおずきのネット水平二段張り

昨日、長野県も梅雨明けが発表されました。しかし、今日午前中に畑に行くと、八ヶ岳はどんより雲に覆われています。蓼科高原は今日は一日中こんな曇り空で、本当に梅雨明けしたのかな?という感じでした。

<梅雨明けの畑 2016年7月29日10:48>

さて、私の食用ほおずきの畝には角目15cmのネットを水平に二段(2階建てに)張っています。食用ほおずきの枝は弱くて、そのままにしておくと枝の付け根から自然に折れてしまうことが多いからです。

<ネットを水平に二段張った食用ほおずきの畝 2016年7月29日>

このネットは去年までは紐製のものでしたが、今年は樹脂製のネットに変えました。上の写真ではネットは細くて、黒いので見えにくいですが、樹脂製は丈夫で、枝の支えがしっかりしているので安心です。

<食用ほおずきの花 2016年7月29日10:54>

今、食用ほおずきは可憐な花をたくさん咲かせています。

<食用ほおずきの実 2016年7月29日10:54>

既にほおずきのガク(袋)が大きくなり始めているものもたくさんあります(上の写真)。例年ですと9月初めにはガクが3cm位まで大きくなって、オレンジの枯れたような色になり、収穫が始まります。

<今日の収穫 2016年7月29日10:45>

私の畑ではズッキーニ、キュウリ、シシトウ、ピーマン、ミニトマトなどが採れて、収穫期に入って来ました。

<畑の横に生えるひまわりの花 2016年7月29日11:00>

誰が植えたのか、畑の横にはひまわりが毎年生えてきます。既に3メートル以上の高さになって、今日はたくさん大きな花を咲かせていました。

2016年7月28日木曜日

北スペイン&ポルトガル旅行振り返り(5):ヴィアナ・ド・カステロ→ギマランイス

6月10日(金)は北スペインからいよいよポルトガルに入ります。
下に、この「北スペイン&ポルトガル10日間ツアー」の行程地図を掲載します。

<北スペイン&ポルトガル旅行・行程地図2016年6月6日~15日>

10日(金)朝8時半にサンティアゴ・デ・コンポステラのホテル・ユーロスターズ・アラグアニーを貸し切りバスで出発。ひたすら南に向かって高速道路を走ります。
1時間ちょっと走り、ポルトガル国境に近い町、ビーゴ(Vigo)に近づくと、陸地の中に大きく食い込む湾(入り江)が見えてきました。

<高速道路上のバスから見たRia de Vigo(ビーゴ湾) 2016年6月10日10:00>

スペイン北西部、ガルシア地方の海岸では、上の写真のRia de Vigo(ビーゴ湾)のように、ria と呼ばれる狭い湾(入り江)が複雑に入り込んでいます。日本の三陸海岸などのリアス式海岸の名称は、このスペイン北西部の ria から由来しています。

<スペイン・ポルトガル国境のミーニョ川 2016年6月10日10:24>

そして、サンティアゴ・デ・コンポステラを発ってから2時間弱でバスはスペイン・ポルトガル国境の川、ミーニョ川を渡りました(上の写真)。

スペインとポルトガルの時差は1時間なので、ポルトガルの時間は1時間遅れます。

 <ポルトガル北部の国境に近い田舎町 2016年6月10日09:26>

国境から1時間弱走って、ポルトガルの最初の訪問地、ヴィアナ・ド・カステロに着きました。
ヴィアナ・ド・カステロはリマ川(Rio Rima)が大西洋に流れ込む河口に開けた町(現在の人口約4万人)で、その美しさから「リマの女王」と呼ばれています。
この町の歴史は1253年に、アフォンソ3世が町を建設したことに始まり、16世紀には、ヴィアナ・ド・カステロの港は重要性を増し、ここを母港に大航海に乗り出す航海者が多かったとの事です。

<サンタ・ルジア教会@ヴィアナ・ド・カステロ 2016年6月10日>

我々はまず町の北側にある標高259mのサンタ・ルジア山にバスで登り、頂上に立つサンタ・ルジア教会を訪ねました。
サンタ・ルジア教会の左右の塔にはエレベーターが設置されていて、エレベーターに乗ってバルコニーの展望台に上りました。

<ヴィアナ・ド・カステロの街、リマ川、大西洋@サンタ・ルジア教会展望台 6月10日11:07>

バルコニーの展望台からはヴィアナ・ド・カステロの町、リマ川、右に大西洋が眺められました。

<ヴィアナ・ド・カステロ旧市街の通り 2016年6月10日11:47>

その後は、バスに乗ってサンタ・ルジア山を下り、旧市街に行って、歩きました。

<レプブリカ広場@ヴィアナ・ド・カステロ旧市街 2016年6月10日12:16>

レプブリカ広場(上の写真)が旧市街の中心地です。

<ミゼルコルディア教会(右側)/レプブリカ広場前 2016年6月10日12:04>

レプブリカ広場の北側にはミゼルコルディア教会があります。これは16世紀に建てられたルネッサンス様式の病院の付属の教会で、1714年に再建されました。

<旧市庁舎/レプブリカ広場前 2016年6月10日12:09>

広場の東側には旧市庁舎があり(上の写真)、これは16世紀に建てられたゴシック様式の建物です。

<レストラン「ラランヘリア」@レプブリカ広場近く 2016年6月10日>

この日の昼食はレプブリカ広場からわずか50mの所にあるレストラン「ラランヘリア」(O Laranjeira)です。メインはメルルーサ(白身魚)で、美味しかったです。

前菜とパン

海藻の入ったスープ

メルルーサ

デザート

午後2時過ぎにバスでヴィアナ・ド・カステロを発ち、南東のギマランイスに向かいました。

<ギマランイス町の入口の壁~「ここにポルトガル誕生す」の文字 6月10日15:07>

3時ちょっと過ぎにギマランイスに到着。町の入口の壁には『ここにポルトガル誕生す』(AQUI NASCEU PORTUGAL)の表示があります。
ギマランイスは初代ポルトガル国王、アルフォンソ・エンリケスの生誕(1109年)の地です。アルフォンソ・エンリケスは長じて宗主国に反旗を翻して勝利しました。その後イスラム勢力も打ち破り、ポルトガル王アフォンソ1世を名乗り、1143年ローマ教皇の仲介によってポルトガル王国を打ち立てました。(ギマランイスの現在の人口は約16万人。)

<ギマランイスの広場と教会 2016年6月10日15:14>

旧市街では、建国以降に建てられた多くの建造物が見られます。
また、壁をアズレージョ(ポルトガル独特の装飾タイル)で飾られた建物もたくさんありました(下の写真)。

<ギマランイス旧市街のアズレージョで飾られた街並み 2016年6月10日>

旧市街に着いて、まずギマランイス城に行きました。10世紀に造られた城で、初代国王、アルフォンソ・エンリケスは1109年にこの城で生まれました。

<ギマランイス城 2016年6月10日>

高さ28mの城の塔の上からはギマランイスの町が一望できます(下の写真)。

<ギマランイス城の見張り塔からの眺め 2016年6月10日15:36>

ギマランイス城からは旧市街の通りを歩いて、観光の中心のオリベイラ広場に行きました。
オリベイラ広場に面して、ノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会があります。この古い教会はロマネスク建築とゴシック建築が融合したものです。


<ノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会とアーチ 2016年6月10日16:18>

この教会前のアーチは1340年に起こったレコンキスタ戦争であるサラードの戦いの戦勝を記念して1342年にロマネスク様式で建てられたとの事(下の写真)


<オリベイラ広場とノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会前のアーチ 6月10日16:21>

そして、午後4時40分頃に我々はギマランイスを発ち、貸し切りバスで更に南のこの日の宿泊地、ポルトに向かいました。

2016年7月20日水曜日

ブルーベリーの摘み取り

海の日の三連休は次男の家族が我が家に遊びに来ました。
連休最終日、18日(月・祝)午前中にみんなでブルーベリーの摘み取りをしました。

<ブルーベリーの農園@茅野市北山 2016年7月18日>

私が野菜作りをしている「めぐみファーム」全体を管理してくれているポニーハウスから紹介されて、ポニーハウスから400mほど下った所にある農園に行きました。

<ブルーベリーの畑@茅野市北山 2016年7月18日10:40>

自由に採っていいよ、という事だったので、ブルーベリー畑に入って、みんなで採りました。

<ブルーベリーを摘む孫娘 2016年7月18日10:39>

3歳の孫娘も上手に摘み取っていました(上の写真)。

<摘み取ったブルーベリー 2016年7月18日>

みんなで採ったものを合わせると、籠一杯になりました。ポニーハウスに持って行って量ってもらうと1,400グラム。代金2,100円(1kgにつき1,500円)をポニーハウスにお支払いして、持ち帰りです。

<ポニーハウスと孫娘 2016年7月18日11:16>

熟れた採りたてブルーベリーは生で食べても美味しいし、ヨーグルトに乗せて食べても美味しいです。900グラムは家内がその日の内にジャムにしてくれました。
当分、ブルーベリージャムも楽しめます。

(蓼科でのブルーベリー摘み取りをご希望の方はポニーハウス<HP→Pony House>にお問い合わせください。)

2016年7月18日月曜日

第31回「クラシックギター弾き回し練習会」のご案内



第31回「クラシックギター弾き回し練習会」を9月17日(土)に開催しますので、ご案内します。次回の会場は、今年1月にオープンしたばかりの飯山市文化交流館「なちゅら」の小ホールです。

詳細は「クラシックギター弾き回し練習会のブログ」に記載してありますので、ご参照ください。→http://hikimawashi.blogspot.jp/2016/07/blog-post_18.html

2016年7月13日水曜日

第30回「クラシックギター弾き回し練習会」&30回記念ミニコンサート/レポート


月9日(土)に蓼科高原のホール「ベルクハウスG-CLEFにて第30回「クラシックギター弾き回し練習会」&30回記念ミニコンサートを開催しましたが、そのレポート記事を「クラシックギター弾き回し練習会のブログ」に掲載しました。

2016年7月5日火曜日

北スペイン&ポルトガル旅行振り返り(4):サンティアゴ・デ・コンポステラ

6月8日(水)夜にサンティアゴ・デ・コンポステラ(Santiago de Compostela)の新市街にあるホテル「Eurostars Araguaney」に到着。
9日(木)は朝9時にホテルを出発しました。泊まったホテル「Eurostars Araguaney」は旧市街まで歩いて数分の便利な所にあり、この日はバスは使わず、一日中歩いて見て回りました。

サンティアゴ・デ・コンポステラはスペイン北部ガリシア州の州都で、現在の人口は約96,000人です。

<アラメダ公園から旧市街とカテドラルを見る 2016年6月9日09:12>

まず、我々は旧市街の南西に広がるアラメダ公園に行きました。ここは小高い丘になっていて、サンティアゴ・デ・コンポステラの旧市街とカテドラルが見渡せるのですが、この日の朝は曇っていて、ちょっと霧がかかり、景観はイマイチでした(上の写真)。

<旧市街に入る/カテドラルに至るFranco通り 2016年6月9日09:21>

そして、公園を出て、南門から旧市街に入りました。そこからフランコ通り(Rua do Franco)を真っすぐ300メートルも歩くとオブラドイロ広場とカテドラル(大聖堂)に着きます。

カテドラル(大聖堂)西側のオブラドイロ広場からは朝は逆光になるので、写真写りは良くはありませんが、カテドラル正面の全体像が眺められます(下の写真)。

<サンティアゴ・デ・コンポステラのカテドラル正面/西側から見る 6月9日09:34>

ところで、この町の由来を振り返ってみます。
キリストの十二使徒の一人、聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)はガリラヤ湖の漁師で、弟のヨハネと共にイエス・キリストに従い、その後、スペインにおいて7年間布教活動を行いました。エルサレムに帰還後、紀元44年にヘロデ・アグリッパ1世によって断首され、十二使徒のうち最後の殉教者となりました。その遺体を弟子の二人が石の船に乗せ海を果てしなくさまよった末にこの町の付近に辿り着き、埋葬しました。これがこの聖地の起源と言われます。そして、伝説では、9世紀に星に導かれた羊飼いがこの地で聖ヤコブの墓を再発見し、遺骨を祭った聖堂が建てられ、そこに教会が作られました。これがサンティアゴ・デ・コンポステラの町の起源とされています

<カテドラル東側/時計塔(左)と免罪の門(中央) 6月9日09:56>

サンティアゴ・デ・コンポステラはエルサレム、ローマ(バチカン)と並ぶ三大巡礼地の一つです。
サンティアゴ巡礼路はフランスやスペイン各地からの道がありますが、主な巡礼路である、スペイン北部、ピレネー山脈を越える峠付近からの道は約800kmにもなります。最盛期の12世紀にはサンティアゴ巡礼者は年間50万人を数え、現在でも、サンティアゴ・デ・コンポステラを目指す巡礼者数は毎年20数万人になるそうです。

<免罪の門からカテドラルに入る/今年は聖年で特別に開いている 6月9日10:01>

さて、カテドラルの南側には免罪の門があり、ここは普段は閉まっています。しかし、今年は特別聖年で開いていましたので、我々はここからカテドラルに入りました。

<カテドラルの中央祭壇(真ん中に聖ヤコブ像)とボタフメイロ(大型香炉) 6月9日10:28>

中央祭壇(Altar Mayor)は17世紀後半に造られたチュリゲラ様式で、中央に聖ヤコブ像が祀られています。そして、この日は祭壇の前に大型の香炉(ボタフメイロ)が天井から吊り下がっていました(上の写真)。

<カテドラルの地下礼拝堂 Cripta 2016年6月9日10:13>

中央祭壇の左横の地下への階段を下りて、聖ヤコブの棺がある地下礼拝堂(Cripta)を見ました。

<中央祭壇内の聖ヤコブ像/祭壇の左側から見る 2016年6月9日10:14>

また、中央祭壇右側の階段をちょっと上ると、祭壇内の聖ヤコブ像の後ろ側に回ることができ、そこで信者たちは(信者以外の多くの人たちも同じ)聖ヤコブ像の背中のマントに触って祈ったり、キスをしたりしています。

<ミサ後、振られるボタフメイロ(大型香炉) 6月9日12:55>

カテドラルでは毎日正午から巡礼者のためのミサが行わます。また、聖ヤコブの祝日である7月25日やカトリックの祝日などにはミサ後に大型の香炉(ボタフメイロ、El Botafumeiro)が振られます。この日は祝日ではありませんが、旅行会社のユーラシア旅行社が手を打ってくれてあった(?)ためか、ボタフメイロが行われるとの事。我々のツアー一同は午前11時過ぎには聖堂内に席を取って、座って待っていました。11時半頃になるともう席は満杯で、遅れてきた人達は立ち見となりました。

<カテドラルでミサ後、ボタフメイロが振られる 6月9日12:53>

そして、厳かなミサが小一時間行われた後重量は80kg、高さが1.60mある巨大香炉(ボタフメイロ)を振る儀式が始まりました。ボタフメイロには40kgの炭と香が充填されていて、8人の男性がロープを引っ張って降り、両端65mの弧を描いているそうです(上の動画)。
この振り香炉は11世紀から使われていたようで、かつて大聖堂に到着した巡礼者は疲労し不潔な状態の者が殆どであり、また、ペストや伝染病が猛威を振るった時代には、香は病の予防効果があると信じられていたのだそうです。

<ランチを食べたレストラン「A Charca」@Franco通り 6月9日> 

その後、我々はカテドラル近くのレストラン「A Charca」で。帆立貝や鱈など魚介類の昼食を食べました。
帆立貝

タラの煮物

昼食後は再びカテドラルに戻り、カテドラル博物館を見て、西側のバルコニーに上りました。

<オブラドイロ広場とガリシア自治州庁舎(左)、パラドール(右) 6月9日15:49>

バルコニーからはオブラドイロ広場、その正面(西)にガリシア自治州庁舎、右手(北)にパラドール(旧王立病院兼宿泊所)、左手(南)に旧神学校(今はサンティアゴ大学総務部)がよく見え、更には旧市街の街並みも見下ろせました。

また、広いオブラドイロ広場には、大きなリュックを背負い、ようやくここに到達した巡礼者達が座り込んでカテドラルを眺めたり、あるいは、グループで喜びの歓声を上げたりしていました。

<オブラドイロ広場南側にある旧神学校(今はサンティアゴ大学総務部) 6月9日15:50>

ここでこの日の我々のツアーは解散となり、あとは夜まで自由行動、夕食もフリーです。
朝から歩き続けていたので、私と家内は一旦ホテルに帰って、休憩しました。

<サンティアゴ・デ・コンポステラの新市街 6月9日16:31>

我々の泊まったホテルは、新市街の賑やかな所にある、近代的な設備のホテル。カテドラルからは歩いて10分もかかりません。

<宿泊したHotel Eurostars Araguaney正面 6月9日17:39>

夜6時半過ぎにホテルを出て、家内と二人で夕食に行きました。

              <カテドラルの正面全体像 6月9日18:58>

一旦、再びオブラドイロ広場に行って、夕暮れのカテドラルを眺めました。西側から見るため、夕暮れ時の方が建物全体がきれいに眺められます。

               <夕食を食べたバル「Petiscos do Cardea」@Franco通り 6月9日>

私と家内は、前もって調べてあった、カテドラルのすぐ近くで、フランコ通りにあるバル「Petiscos do Cardeal」を訪れました。「Petiscos do Cardeal」はレストランやホテルの世界的口コミ・サイト「TripAdvisor」で、サンティアゴ・デ・コンポステラの全レストラン471店中、人気ランキング第5位で、タパスのバル(Bar)の中ではトップの店です。

<バル「Petiscos do Cardeal」のカウンター 6月9日19:48>

7時頃に店に入ると、人気の店らしく、タパスの並ぶカウンター席は既に満席。従って、私達は向かいの壁側のカウンター席に座りました。

カウンターのウィンドウの中に並ぶタパスの皿を見てもスペイン語の名前が分からないので、「これ!」と指さして、美味しそうに見えるものを注文しました。サンティアゴ・デ・コンポステラは海に近く、魚介類が豊富なので、私達はもっぱら魚介類のタパスを食べました(下の写真)。

タコのサラダ

小アジの唐揚げ

マテ貝

帆立貝

アンチョビ、卵、パプリカ

アンチョビ、パプリカ、ツナ

どのタパスもネタは新鮮で、美味しかったです。
              
       <タパスを食べる@バル「Petiscos do Cardeal」 6月9日19:15>

アルコールを飲めない家内はミネラルウォーターを、私はビールと赤ワインを飲んで、これだけ食べて、二人で代金は合計32.10ユーロ(=約3,700円)ですから、安いです。タパス・バルの中で人気ランキング、トップなのも分かります。

そして、8時ちょっと過ぎにバルを出で、ホテルに戻りました。帰りは弱い雨が降っていましたが、この北スペイン&ポルトガル旅行で少しでも雨に降られたのはこの時一回だけでした。