2010年12月28日火曜日

ギター名器カレンダー2011年


私は、月刊誌「現代ギター」は興味のある記事がある時に時たま買っているだけですが、ここ数年、1月号は毎年買っています。それは1月号に付録として付いている“ギター名器カレンダー”が欲しいからです。


Amazonのネット通販で購入した「現代ギター」2011年1月号が先日届き、“ギター名器カレンダー2011年”を入手しました。


見ると、3月・4月には私の持っているギターの製作者、中出阪蔵が取り上げられています。
各月に取り上げられているギターは次の通りです。


1月・2月     ~ イグナシオ・フレタⅠ世        <1962年製、スペイン> 
    3月・4月    ~ 中出 阪蔵                 <1985年製、日本>
  5月・6月     ~ マルセロ・バルベロ・イーホ <2002年製、スペイン>
  7月・8月     ~ アントニオ・マリン・モンテオ <2004年製、スペイン>
  9月・10月    ~ 野辺 正二                  <2000年製、日本>
  11月・12月 ~ フランシスコ・シンプリシオ   <1929年製、スペイン>

image from www.flickr.com
image from www.flickr.com
自分愛用のギターの製作者が取り上げられていると、自分の可愛い子供が再評価されたようで、ちょっと嬉しい気分です。


私が中出阪蔵製作のギターを買った経緯とギターのその後については、2007年11月の二つの記事「私の愛用のギター」と「私の愛用のギター/その後」に記載しています。


このカレンダー、3月・4月の中出阪蔵の説明には次のように書かれてます。


 「日本のクラシックギター製作のパイオニアである。13歳から、宮本金八に弟子入りし、ヴァイオリン制作に携わったが、セゴビアが初来日した1929年以降、本格的なクラシックギターの需要が高まり、十数年間、宮本工房におけるギター部門をまかされた。甘く柔らかい高音が特徴。1993年没。」


これについて、次の通り補足したい。
~~ 日本手工ギター製作界の先人、明治39年(1906)4月1日三重県松坂市生まれ。10代で上京し大正8年ヴァイオリン製作界の先人、宮本金八氏に入門、始めはヴァイオリン製作をめざす。 ・・・・・・  戦前は細々と努力が続けられていたが戦後しだいにギターが盛んになるにつれギター専業の道に進む。1960年代にはギターブームもあり、中出工房の最盛期となり、最大15人の弟子がいた。1993年87歳で病没。後を継いだ長男・輝明氏、二男・敏彦氏もギター製作者として活躍。門下生には井田英夫、稲葉征司、田中俊彦、星野良充、の各氏がいる。~~
 image from www.flickr.com <私の愛用のギター、中出阪蔵1976年製作>

カレンダーの説明には、中出阪蔵のギターは「甘く柔らかい高音が特徴」と述べられています。確かに、人が私のギターを弾くと、    甘く明るい音が出ると言います。しかし、私のギターは低音も良く鳴ってくれます。

日本のクラシックギター界には、プロもアマチュアも、楽器の舶来志向がいまだに残っているように私には思えます。伝統や技術の伝承ということはあるのでしょうが、日本人の頭脳、緻密さ、手先の器用さをもってすれば、日本人製作のギターにレベルの高いものは十分あるはずだと私は前から思っています。日本人製作のギターが更に評価されてしかるべきですし、そうなるだろうと私は思います。

2010年12月24日金曜日

ホワイト・クリスマス




今朝、起きると、昨夜降った雪が2センチほど新しく積もっていました。 


image from www.flickr.com <朝のベランダ 2010年12月24日7:48>

山はホワイト・クリスマスになります。 

image from www.flickr.com<ランディといつもの散歩 2010年12月24日9:25> 

クリスマス・ソングと言えば、ポップスでは山下達郎の「クリスマス・イブ」も良いです。しかし、やはり私にとってはビング・クロスビーの歌う「White Christmas」が一番です。



2010年12月22日水曜日

とうじそば@黙坊



昨日、21日にビーナスライン沿い、プール平にある蓼科郵便局に用事があって行ったついでに、向かいにある手打ち蕎麦「黙坊」に寄って、家内と昼食を食べました。


この日は、冬季限定の品、「とうじ(投汁)そば」(1,300円)を初めて食べてみました。とうじそばは蕎麦をしゃぶしゃぶの様にして食べます。

image from www.flickr.com<とうじそばの鍋@黙坊>


まず、カモ肉を使った煮立った鍋が出てきます(上の写真)。

image from www.flickr.com<とうじそば@黙坊>
次に、普通の盛りそばが篭などと共に出てきます。

image from www.flickr.com <蕎麦をとうじ籠でくぐらせる>
 蕎麦をとうじ篭に入れて、鍋につけて、しゃぶしゃぶのように蕎麦を軽く、くぐらせます。


image from www.flickr.com <お碗に入れ蕎麦@黙坊>
温めたお蕎麦をお碗に移し、鍋の汁と具を入れて、食べます。


例えば、温かい鴨南蛮そばですと、麺がのびてしまいがちです。また、鴨汁そばですと、食べている内に汁が冷めてしまいます。


とうじそばでは、カセットコンロで鍋を熱しているため汁は熱いままで、蕎麦は熱い汁にくぐらせて直ぐに食べるので、のびることがありません。なるほど、これだと、もともと美味しい黙坊の麺が、熱い汁と具と共に楽しめます。寒い時期にぴったりの食べ方です。

image from www.flickr.com<沢黙坊歌碑/ビーナスライン沿い 2010年12月21日>


この日はオフシーズンの火曜日だったため、我々以外には女性客が二人いただけでした。このため、黙坊のご主人といろいろ話ができました。

以前の記事でも書きましたが、この店の名前「黙坊」は店のご主人の祖父である歌人、柳沢黙坊から採っています。

この店を200m程下ったビーナスラインの右側(蓼科湖から1kmほど上)に柳沢黙坊歌碑が建っています。この黙坊歌碑の標識棒(上の写真)の横側には次のように記されています。


 「明治9年茅野市北山湯川村に生れる。伊藤左千夫に師事し、アララギ同人として平福百穂、島木赤彦、篠原志都児と交友が深く歌を詠んだ。歌集『耕耘余感』がある。昭和28年没 享年七八歳」
image from www.flickr.com <柳沢黙坊歌碑 2010年12月21日>

今の蕎麦店の「黙坊」は元は何十年も前から続く食堂だったそうです。昔、ビーナスラインは舗装はされておらず、砂利道で、バスは、「黙坊」のあるプール平が終点でした。ですから、当時の別荘はこの終点、プール平から歩いて行ける範囲に建っていたそうです。ビーナスラインが着工されたのが1961年ですから、もう50年位前の話です。

席数10の小さな「黙坊」の店内の壁には画や書がいくつも掛っています。

image from www.flickr.com  <手打ち蕎麦「黙坊」店内 2010年12月21日>
その内の一つに詩人、草野心平(1903年~1988年)の書があります。ご主人の話ですと、草野心平の親戚の別荘がこの近くにあって、心平は時々その別荘に来て、滞在していたそうです。草野心平はこの食堂によく来ては、食べて、飲んでいたのだそうです。

また、東郷青児(1897年~1978年)の画も掛っていました。東郷青児は蓼科に時々来て、蓼科湖畔のアートランドホテル蓼科を定宿にしていたそうです。この店に掛かっている画は東郷青児がこの店のために特別に書いてくれた画とのことでした。

2010年12月16日木曜日

アルベニス作曲「グラナダ」



先月から、I.アルベニス(Isaac Albeniz)作曲で、アンドレス・セゴビア(Andres Segovia)編曲の「グラナダ」(Granada)を練習し始めました。


image from www.flickr.com <CD「Andres Segovia - My Favourite Works」のジャケット>

 「グラナダ」」(セレナータ)は私のお気に入りのCDの一つ、「Andres Segovia - My Favourite Works」(セゴビア自選名演集)の中に収められています(上の写真)。このCDの中には名曲がたくさん収められていますが、「グラナダ」も私の好きな曲で繰り返し聴いていました。が、とうとう自分で弾いてみたくなり、セゴビア編曲の楽譜を探したところ、クラシックギター専門店「FANA」で見つかりましたので、ネット通販で取り寄せました(下の写真)。

image from www.flickr.com <セゴビア編曲・アルベニス曲集>

ところで、イサーク・マヌエル・フランシスコ・アルベニス(Isaac Manuel Francisco Albéniz, 1860年~1909年)は、スペインの作曲家・ピアニストであり、スペイン民族主義楽派の確立者と言われています。アルベニスはギター曲は1曲も書いていませんが、この「グラナダ」の他に、「アストゥリアス」、「セビーリャ」、「朱色の塔」、「入り江のざわめき」など多くの曲がギターに編曲され、コンサートではしばしば演奏され、どれもがギターの名曲になっています。その理由は、これらのアルベニスの曲においては、ギターと密接に結びついたスペインの民族音楽が素材とされており、ギターで演奏されることによってアルベニスの本来の意図が原曲のピアノよりも更に鮮やかに表れるからだと私は思います。


「グラナダ」は、アルハンブラ宮殿があることで知られる南スペイン・アンダルシア地方の都市の名ですが、アルベニス初期(1886年)の傑作と言われる「スペイン組曲・第1集」の初めに収められています(Op.47-1)。また、この第1集の3曲目には「セビーリャ」(Op.47-3)が、5曲目には「アストゥリアス」(Op.47-5)が入っています。


image from www.flickr.com <イサーク・アルベニス>


楽譜を見ながら練習を始めると、この曲はセーハが多く、左手でセーハをしながらメロディーと伴奏をきれいに弾き分けるのが私にはなかなか難しい。また、楽譜の通り弾いているだけでは、セゴビアの弾くような美しい音楽が生まれてくるようには到底思えません。セゴビアの演奏を聴くと、演奏とはまさにcreation、創作だということが良く分かります。


<アンドレス・セゴビアが演奏する「グラナダ」(セゴビア自身の編曲)・・・YouTubeでは音質が不十分で、美しい音が良く分からないのが残念です> 


私はアルベニスの曲はこれまで弾いたことがなく、これが最初の曲です。


この8月からはエリック・サティの「グノシェンヌ第1番」を練習し始め、この曲もまだ十分には弾けていません。並行して又新しい曲を練習し始めてしまいました。いろんなCDを聞いたり、コンサートを聴いたりしている内に、次から次へと新しい弾きたい曲が現れてきます。この具合だと、私は100歳位までギターを練習し続けないと、弾きたい曲を全部弾けないという気がします。

2010年12月11日土曜日

雪化粧をした八ヶ岳連峰


昨日、10日(金)は家内が小淵沢のリゾナーレに行きたいと言うので、付き合って一緒に行きました。


image from www.flickr.com<茅野市広見から見た 八ヶ岳連峰 2010年12月10日11:51>


途中、畑の中の道からは、深い青空を背景に、雪化粧した八ヶ岳連峰がきれいに眺められました。ここ3日ほど雪が降ったりやんだりしていましたから、八ヶ岳の白い部分が広がり、冬の風情になりました。

image from www.flickr.com <リゾナーレのピーマン通り 2010年12月10日>
 
我が家から車でリゾナーレまでは50分弱。シーズンオフの平日だったため、人は少なく、お陰でゆっくりできました。 

image from www.flickr.com <panpapan de cafe @リゾナーレ>
 
お昼はリゾナーレのピーマン通りの中にあるカフェ&ベーカリー「panpapan de cafe」 でランチを食べました。


image from www.flickr.com<panpapan de cafe のランチ・コース/グラタン、スープ、パン他> 


ランチ・コース(1,650円)はサラダ、スープ、パン、ドリンクバーが食べ放題、お代わり自由なので、たくさん食べる男性にはありがたいです。パン屋さんだけあって、パンは美味しく、他のものもまずまずの味で、納得でした。


image from www.flickr.com<Books&cafe の店内>


最後にBooks&cafeに入りました。この店は本屋兼雑貨屋兼カフェですが、別にコーヒーを飲まなくても、売っている本は自由に椅子に座って読んでも良いと言うのがgoodです。高原や田舎の暮らしに関わる本が色々揃えられていますので、しばらく一服しながら本を読ませてもらいました。

2010年12月9日木曜日

初冬の散歩



一昨日、昨日と少しずつ雪が降り、我が家の周辺は今朝はすっかり雪景色になりました。


午前中のランディとの散歩は曇り空の下の雪道散歩です。


image from www.flickr.com <ランディと別荘地内を散歩 2010年12月9日10:08>


11月の積雪は昼間陽が照ると少しずつ雪が解け、その内消えてしまいます。しかし、12月に入ると、昼間もあまり気温が上がらず、少しずつ雪が解けずに残って行きます。


今日はこの冬になって一番の寒さで、一日中氷点下でした。夕方近くなったら本格的に雪がまた降り始め、明日の朝にはそれなりの積雪量になりそうです。


今日の積雪はこのまま根雪になるのかもしれません。

2010年12月8日水曜日

箱根仙石原へ一泊旅行



12月2日(木)~3日(金)は長男夫婦が、お嫁さんのご両親と我々夫婦を自分の勤務先の箱根保養所に一泊で招待してくれました。


2日(木)朝、我々は蓼科を車で発って、まず富士見町、小淵沢IC近くのペットホテル、Nさんの所にランディを連れて行って、預けました。ランディが一人で外泊するのは初めてでしたが、このペットホテルは囲ってある庭が広く、犬が伸び伸び遊べて、オーナーも犬に詳しいので、ここを選びました。


その後、中央高速を甲府南ICで降りて、本栖湖の横を抜けて、朝霧高原を通って、富士宮に向かいました。


朝霧高原から見た富士山 2010.12.2 <朝霧高原から見た富士山 2010年12月2日12:00>

朝、出る時は晴れていたのですが、昼近くなるとどんどん雲が出てきて、朝霧高原では富士山の上の方は雲を被って、お腹のあたりしか見えませんでした(上の写真)。22年前に我が家が蓼科に山荘を建てた時には、転勤で沼津に住んでいましたので、当時はこのルートをいつも通って蓼科に通っていました。ですから、この道路を通るのは約20年ぶりです。

虹屋ミミの店 2010.12.2 <虹屋ミミ@富士宮 2010年12月2日>

富士宮に行ったのはB級グルメで有名な「富士宮やきそば」を食べるためでした。富士宮やきそばはB1グランプリの第1回大会(2006年)、第2回(2007年)で2年連続優勝して、一躍有名になりました。私は静岡市の出身ですが、富士宮やきそばは食べたことがなかったので、ネットの口コミ・ランキングを調べて、食べログで1位だった「虹屋ミミ」に行ってみました。

虹屋ミミは駐車場の横に建っているプレハブ小屋のような小さな建物で、8人しか座れません(上の写真)。

   
<富士宮やきそばを焼く@虹屋ミミ 2010年12月2日>


平日で比較的すいていましたしたので、我々はカウンター席に座ることができました。女主人が目の前の大きな鉄板の上で焼きながらいろいろな説明をしてくれましたが、やきそばの麺は昔からこの店が特別に作らせているもので、ソースも自家製だそうです。この店の特徴は水を一切使わず、ソースとキャベツの水分だけで焼いていること。また、普通富士宮やきそばはラードを使いますが、この店はラードを使っていないため、ベタベタ感がありません。最後にイワシの削り粉をたっぷりかけます。


富士宮やきそば@虹屋ミミ 2010.12.2 <富士宮やきそば(大盛り)@虹屋ミミ>

麺はもっちりしていて、味はやや甘めですが、イワシの風味が特製ソースによく絡み合って、美味しかったです。

この日我々はすぐに座ることができましたが、観光シーズン中の休日だと2時間位並んで待つこともあるようです。2時間並んでまで食べる価値があるかどうかとなると、それはその人の考え方と言うことになりそうです。  

image from www.flickr.com<芦ノ湖/桃源台付近 2010年12月2日14:25>

その後、芦ノ湖に寄って一服しました。もうこの時にはどんより曇っていて、遠くの山も富士山も全く見えません。


image from www.flickr.com <保養所・箱根館 2010年12月2日>

3時頃、箱根町仙石原にある保養所・箱根館に到着しました。長男家族とお嫁さんのご両親もちょうど同じ頃着きました。

箱根館は3年前に改装されたそうで、立派な、とてもきれいな施設でした。

image from www.flickr.com<我々が泊まった部屋から見た保養所・箱根館>

夕食には皆で和食のコース料理を食べ、大人6人と孫1人で、楽しい一晩を過ごすことができました。

翌日、3日(金)は皆で近くの箱根ラリック美術館に行きました。ルネ・ラリック(1860-1945)はフランスの宝飾とガラスの工芸家で、沢山の作品があって、美術が良く分からない私でも見ごたえがあり、楽しめました。(詳しくは「箱根ラリック美術館」 by charan をご参照)


image from www.flickr.com<箱根ラリック美術館 2010年12月3日>

お昼は息子夫婦が調べてくれてあった、強羅駅近くの「田むら銀かつ亭」に行って、食べました。 

image from www.flickr.com<強羅の「田むら銀かつ亭」の店舗 2010年12月3日>

全員がここの人気メニュー「豆腐かつ煮定食」(1,200円)をいただきました。特製の豆腐に豚ひき肉を挟んで揚げた後、土鍋で煮込んだものです。やや甘口で、味は濃い目ですが、豆腐を食べているとは思えないような、カツ丼風の味で、話題メニューだけのことはありました。

image from www.flickr.com <豆腐かつ煮定食@田むら銀かつ亭>

息子夫婦、息子のお嫁さんのご両親、我々夫婦が泊まりで一緒に会食したのはこれが初めてでしたが、皆でしゃべって、よく飲み、よく食べ、中身の濃い2日間を過ごすことができました。