2014年7月25日金曜日

朝ごはんを食べる牡鹿

天国のように涼しい蓼科高原の山荘から、今日夕方、猛暑の東京の家に帰ってきました。中央高速を走っている時から車の温度計は36~37度を表示していました。夕方6時半頃東京の家に着いた時も、まだ車の温度計表示は35度でした。

今回は用事があるので止むを得ず帰ってきましたが、早く用事を片付けて、快適な蓼科に戻りたい気持ちです。

<今朝、裏庭に現れた牡鹿 2014年7月25日7:56>

ところで、今朝、蓼科の山荘で朝ごはんを食べて一服していた時、家内が窓の向こうに大きな鹿がいると言います。見ると、立派な角を持った大きな牡鹿が木の葉を食べています。鹿も朝ごはんの時間のようです。

<木の葉を食べる牡鹿 2014年7月25日7:56>

鹿がいる場所は、昨日、物置小屋の基礎工事をした所のちょっと奥です。そこは、基礎工事をした時に切り倒した木や枝をまとめて置いてありました。切り倒した木々の枝の葉を鹿は食べていたようです。

<朝ごはんを食べる牡鹿@我が家の裏庭 2014年7月25日7:57>

動画も撮りました。牡鹿はおいしそうにムシャムシャ葉を食べています。

2014年7月24日木曜日

物置小屋の基礎工事

蓼科の我が家に物置小屋を建てることにしました。

都会の家ではスチール製の物置が一般的ですが、高原ではスチール製の物置は場違いな感じがします。そこで、少し値段は高くなりますが、木製の、ここになじむデザインの物置にしました。
木製物置&ガレージ専門会社の、富士見町にある展示場を見に行き、決めたのは「ブラッドフォード」と言う製品名の8.9㎡(5.4畳)の木製物置です。

<物置小屋の設置場所~ポールを立ててある所 2014年7月24日9:31>

ツーバイフォーの部材キットを購入し、自分で組み立てるようになっています。ただ、我が家のような寒冷地では地面が凍結するため、基礎を地中深く入れる必要があります。素人ではこれは無理なので、基礎工事まではこの会社に頼みました。

<唐松の根っ子を掘り上げる 2014年7月24日9:55>

朝、トラックで重機が運ばれてきて、工事が開始。邪魔な唐松が1本あったので、これをチェーンソーと重機を使って簡単に切り倒してくれました。残った唐松の根っ子も重機を使って、簡単に掘り出されました(上の写真)。重機の威力はすごいです。

<出来上がった基礎と床 2014年7月24日16:18>

夕方までに独立基礎が出来上がり、その上に床を張るところまで施工してくれました。

明日午後に部材キットがトラックで運び込まれる予定です。その後の組み立ては夫婦二人でやることになりますが、無事に自分たちで作り上げることができるのか、ちょっと心配なところはあります。


2014年7月23日水曜日

10日振りの畑

用事があって、しばらく東京の家に行っていて、昨日、蓼科の山荘に戻ってきました。
そして、今日午前中に10日振りに畑に行きました。

<育ち過ぎたキュウリ 2014年7月23日>

10日間の間に雑草は伸び放題でジャングルのようになっていました。キュウリは育ち過ぎて、ジャンボになったキュウリを収穫したら、15本もありました。家内はこれだけのキュウリをどう料理して食べるか、頭を悩ましています。
ズッキーニはヘチマよりも大きく、巨大になったものが1本ありました。お昼に早速、家内が巨大ズッキーニを料理してくれましたが、やはり大きいものは大味です。

<10日振りの畑~手前は食用ほおずき 2014年7月23日11:43>

今日半日の畑仕事は雑草取りでほとんど終わってしまいました。

<食用ほおずき「ほのかの夏」の花 2014年7月23日>

そうした中、食用ほおずき「ほのかの夏」は可憐な花を咲かせていて、ほおずきの実も付け始めました。
これから私の蓼科の畑は収穫シーズンに入ります。今日は新しく、ナス(峰ひかり)、ミニトマト赤(トゥインクル)とえんどう・サラダスナップを収穫しました。

2014年7月19日土曜日

第19回「クラシックギター弾き回し練習会」のご案内


第19回「クラシックギター弾き回し練習会」を9月21日(日)に開催しますので、ご案内します。

次回は、蓼科高原のメルヘン街道(国道299号)沿いにある、オーストラリア料理店、カフェ&レストラン「ポールズキッチン」(Paul's Kitchen)で行います。

詳細は「クラシックギター弾き回し練習会のブログ」に記載してありますので、ご参照ください。→http://hikimawashi.blogspot.jp/2014/07/blog-post_18.html


2014年7月16日水曜日

第18回クラシックギター弾き回し練習会の開催/レポート


7月12日(土)に上田市のカフェ&スペインバル「アランフェス」にて第18回「クラシックギター弾き回し練習会」を開催しましたが、そのレポート記事を「クラシックギター弾き回し練習会のブログ」に掲載しました。

こちらをご覧ください。→http://hikimawashi.blogspot.jp/2014/07/blog-post.html

2014年7月10日木曜日

ザッケローニ監督手記 “私の日本”最終回「いつかまた、どこかで」

現在ブラジルで開催中のワールドカップでは日本は1勝もできず、第一次ラウンド敗退し、先日、ザッケローニ監督は失意の内にイタリアに帰国したように見えました。

しかし、日本の歴代の代表監督の中では、私はザッケローニ氏は最も好感が持てた監督です。

日本サッカー協会(JFA)のホームページに今日、ザッケローニ監督は“私の日本”最終回「いつかまた、どこかで」と題する手記を掲載しました。その全文を下に転送します(→http://www.jfa.jp/national_team/news/00001225/)。

私はサッカーには詳しくはありませんが、ザッケローニ監督は全体としては良くやっていたように思えますし、ブラジルでのワールドカップでは日本は何かちょっと運に見放されていたような感じがします。
ザッケローニ氏の下の手記を読むと、氏の心情、気持ちが良く伝わってきます。ザッケローニ氏には是非また、どこかで日本とコンタクトを持って欲しいと思います。


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ザッケローニSAMURAI BLUE監督手記IL MIO GIAPPONE “私の日本”最終回「いつかまた、どこかで」
2014年07月10日
ザッケローニSAMURAI BLUE監督手記IL MIO GIAPPONE “私の日本”最終回「いつかまた、どこかで」
いつか、この日が来ることは覚悟していましたが、現実に皆さんに別れを告げる日が来てみると、私の心は寂しさでいっぱいです。
寂しさの理由は二つあります。一つはワールドカップが残念な結果に終わったことです。ブラジル大会が始まる前は選手もスタッフも全員が素晴らしいワールドカップになる予感を抱いていました。そのポジティブな雰囲気をうまく大会で表現できなかった。これまで自分たちが積み上げてきたものを全て出し切ることなく大会を終えてしまった。その寂しさ、悔しさは言葉では言い表せないほどです。私と選手は、ワールドカップという貴重な機会を十分に生かせなかった事実を厳粛に受けとめています。なぜ、どうして、力をフルに発揮できなかったのか。私の場合、長いキャリアの中でそういう経験がないわけではありません。むしろサッカーとは常に自分たちの思うようにはいかないスポーツという認識を持っています。しっかり準備を整えた、自分たちはいい仕事をしている、そういう確信めいたものをチームに関わった全員が持っていながら、なぜか結果につながらない。チームにも個人にもサッカーではそういうことが時に起きるものです。その理由を「これだ」とシンプルに特定することは難しい。いろいろな要素が重なってうまくいかなかったのだと思っています。今も悔しさは晴れません。救いがあるとすれば、将来的につながるグループをこの4年間で形成できたと個人的には確信しています。サッカーのスタイルとしても、チームの年齢構成にしてもそういったことがいえると思います。今回参加したほとんどの選手は次のワールドカップも戦えるはずです。個人的にうれしかったのは、そういう私の仕事をしっかり理解してくれる人たちがいるということです。ブラジルから日本に戻ってきて、私と接する人々の温かい態度にそれは感じました。日本協会もこの4年間に積み上げたものをベースに、それをさらにブラッシュアップしていくと話してくれました。ワールドカップの10日間の出来が悪かったからといって、4年間積み重ねたすべてを消去するような考えを協会もサポーターの人たちも持っていない。それはすごくうれしいことでした。
胸に去来する寂しさのもう一つの理由は、大好きな日本、そして日本代表からついに離れるときがきたことです。日本での暮らしは想像以上に快適でした。誰に聞かれても「素晴らしい」と答えるしかないほど、すべての面で最高でした。暮らし始めてすぐに自分が快く迎え入れられていることに気づき、元気づけられました。初めての海外生活という新しい環境にこの年齢で飛び込んで円滑に仕事ができたのは、日本の皆さんの思いやりあふれる受容の精神のおかげだと断言できます。生活面でいいことが起きると仕事も自然とうまくいきます。一緒にコラボレートしてくれたスタッフもいい人たちばかりで、おかげで仕事がスムーズに運んだと思います。欧州で選手を視察し、海外で試合を行っても、日本が自分の帰るべき「家」になっていました。本当に濃密な4年間で、良い思い出だけがありすぎるくらいあります。日本の方々は老若男女を問わず、ずっと日本代表を声援してくれました。どんな苦境に陥っても「フォルツァ」「がんばりましょう」と言い続けてくれたことはすごく力になりました。特に埼玉スタジアムの試合の素晴らしい雰囲気は最高の思い出ですね。埼玉スタジアムのホームの雰囲気は欧州のどこにも負けないと思います。日本の文化が反映された日々の生活はあまりにも心地よく、快適な日本の暮らしに慣れてしまったことで今後のことがかえって不安になっているくらいです。この4年で自分の半分は、いや、半分以上は日本人になった気がするくらいで、日本以外での暮らしに馴染めるかどうか心配になっているのです。おそらく、日本人の血が私の体のどこかに流れてしまっているのでしょう。今はイタリアの故郷に戻っていますが、ここでの暮らしにですらアジャストできるのか不安でなりません。
この4年間、日本代表というチームを、私は心血を注いで育ててきたという自負があります。急いで高い建物を建てるのではなく、時間がかかってもレンガを一つ一つ積み上げるように土台のしっかりしたものをつくろうと思いました。全員で成長していこう、全員で次のステップに進むのだという気持ちでやってきました。その気持ちは誰を呼んでも共有できましたし、チームとしてのまとまりを欠いたことは一度としてありませんでした。私が監督になってから代表に本格的にデビューした選手もたくさんいます。今後も代表チームの顔としてやっていくメンバーを育てられたのは大変うれしいことです。最終的にワールドカップには23人しか連れていけませんでしたが、それ以外のメンバーのことも私は決して忘れません。呼ばれる回数が多かった選手も、短い時間しか接することができなかった選手も、全員がこのチームのためにやろうという姿勢を持って私と同じ時を刻んでくれました。それは日本の選手の素晴らしい資質だと思いますし、本当に心から感謝しています。そんなチームを離れるタイミングが来た。そう悟った私は、ブラジルのイトゥでの最終日、選手、スタッフ、みんなに別れを告げました。さすがに、こみあげてくるものを抑えることができませんでした。このチームは4年間、本当にいいグループであり続けました。それは、私だけの手でつくれるものではなく、選手たちの協力とスタッフを始めこのチームにかかわったすべての人々がそれぞれの役割を全うすることで可能になりました。みんなで、日本代表を育てているような実感があり、やがてそれは確信へと変わりました。最後の最後で結果は出せませんでしたが、結果でも中身でもサポーターを喜ばせたいという強い願いを私も選手も常に共有してきました。
世界に足跡を残せたか、と問われれば、親善試合で数回程度だったかもしれません。しかし、アジアレベルでは決定的な差を他のチームにつけたなと思っています。就任してすぐにアルゼンチン、韓国と親善試合をしましたが、当時は韓国の方が力は上というパワーバランスだったことを記憶しています。今はまぎれもなくアジアナンバーワンだと思います。この4年の間にアジアの中でほかのどの国よりも成長したのは日本だと思います。世界レベルに届く、その直前まで来ていることも間違いない。何かのきっかけがあれば、というところまで本当に来ているのです。ここからもうひと伸び。その仕事は後任の方に託します。次のチームにメッセージを一つ残すことが許されるならば、これまで以上に「やるんだ」「ワールドカップでも主役を演じるのだ」という強い気持ちを示せるようになれることが大事ではないかと思います。中身が伴わないと根拠のない自信になってしまいますが、他の強豪国の監督さんたちは「日本代表は強い」「脅威だ」と本心から私に打ち明けてくれています。外部の評価がそうなっているのだから、日本自身が強い自信を持たないと本当にもったいないと思います。4年という歳月をかけて積み上げてきたものは、間違いなく次代に生きると思っています。次のロシア大会に向けてさらにスタイルに磨きをかけ、本物の自信を培い、世界のメーンキャストの仲間入りを果たす野心を胸に、より一層の成長を遂げてほしいと心から願っています。日本のサッカー文化の特徴を他国のそれと比べたとき、日本の進むべき道は、結果だけを求めてサッカーを小さくまとめるのではなく、内容で上回るサッカーをして結果も出す。そこを求めていくのが日本の道だと信じています。中身を充実させることが日本が勝利に近づく最短距離だと信じています。
これまで長い間、このコラムを読んでいたただいてありがとうございました。私にとって、このような形で自分の思いを伝えるのは初めてのことでしたが、日本での暮らしとともに貴重な経験になりました。また、どこかで皆さんと会える日を楽しみにしています。もし、どこかで私の姿を見かけたら気軽に声をかけてください。私の心はいつも日本と、そして代表チームとともにあります。
vol.1~35はこちら vol.36、37は下記関連ニュース参照

2014年7月2日水曜日

カフェ&レストラン「ポールズキッチン」で打ち合わせ

9月21日(日)午後3時から第19回「クラシックギター弾き回し練習会」を開催する予定になっている、カフェ&レストラン「ポールズキッチン」(Paul's Kitchen)に今日午後に行って、コーヒーを飲みがてら、打ち合わせをしました。
オーストラリア料理店「ポールズキッチン」はメルヘン街道(国道299号)沿い、標高1,100m辺り、蓼科ビレッジ入口のちょっと下にあります(℡:0266-55-3773)。

<カフェ&レストラン「Paul's Kitchen」外観 2014年7月2日>

伺った午後3時頃はカフェの時間のため、コーヒー&ケーキ・セットをいただきました。今日のケーキはパウンドケーキにアイスクリームとチョコレートソースが付いていました。

<コーヒー&ケーキのセット 2014年7月2日>

ここの南側の窓からは、広々とした畑の向こうに、晴れていれば南アルプスと中央アルプスが見えるのですが、今日は梅雨時の雲に覆われて、姿を隠していました。

<南アルプス方面/ポールズキッチンの窓から 2014年7月2日>

第19回目の「クラシックギター弾き回し練習会」について、段取りや料理、飲み物などの具体的な打ち合わせを済ませた後に、店内でギターの試し弾きをさせてもらいました。と言うのは、演奏する時の椅子の高さが適切かや、音の響き具合がどうかをチェックしておく必要があるからです。

<ポールズキッチンで試し弾き 2014年7月2日>

ログハウス造りの室内で弾いていると、自分の響きが心地良く感じられて、ずっと弾いていたい気分になりました。
一緒に行った家内に、近くと一番後ろの両方で聴いてもらったところ、近くよりも後ろの方が良く響いていたと言っていました。これもログハウスのメリットかもしれません。

<Paulさん&奥様 2014年7月2日>

シェフのオーストラリア人、Paulさんと渉外担当の日本人の奥様は息の合ったカップルに見えます。

第18回クラシックギター弾き回し練習会の具体的案内は追って「クラシックギター弾き回し練習会」の専用ブログに掲載する予定です。