2013年6月21日金曜日

熱海へ一泊旅行

6月16日(日)~17日(月)は長男が自分の勤務先の会社の熱海保養所に家内と私を招待してくれました。
そこで、16日(日)朝、いつものように小淵沢IC近くのドッグホテル「asako-pan」にランディを預け、中部横断自動車道、国道52号を通って昼前に静岡市に着きました。つい最近、特別養護老人ホームに入った、来月には96歳になる母を家内と共に訪ねるためです。特養老人ホームのすぐ近くにある妹の家に、私の兄夫婦や姪の家族が集まってきて、皆でにぎやかにそこで昼食を食べて、その後みんなでぞろぞろと特養ホームの母を訪ねました。昔から子供が好きな母は曾孫が来ると嬉しそうで、元気になります。健康上問題なさそうで、元気に見えたので、まずは安心しました。

それから、静岡の兄弟、親戚と別れて、第二東名を通って、熱海に向かいました。

熱海の海と初島 2013年6月16日17:48 by Poran111

熱海の保養所には4時半頃着きました。長男家族はそのちょっと前に着いていて、早速温泉に入りました。
私達の部屋からは目の前に熱海の町と海、初島が望めました。

熱海保養所の夕食 2013年6月17日18:06 by Poran111

夕食は和食のコース料理。やはり熱海の刺身はおいしいです。

伊勢海老/熱海保養所の夕食 2013年6月16日18:02 by Poran111

息子が特別注文してくれてあった立派な伊勢海老も出ました。

かさごペッパー焼きオレンジマスタードソース 2013年6月17日18:29 by Poran111

それから、かさごや揚げ物が出て、おいしくお酒がいただけました。

揚げ物/熱海保養所の夕食 2013年6月17日18:30 by Poran111

保養所は熱海駅から北に山を車で7分ほど上った所にあります。私が熱海に泊まったのは何十年振りかですが、久し振りに行ってみて、熱海は狭いくねくねした道路の坂道だらけで、山の狭い急な所まで、ホテルや保養所、別荘や住居がびっしりと建っていることに驚きました。同じリゾートでも蓼科高原とは対極にあると思いました。

熱海保養所 2013年6月17日09:19 by Poran111
熱海保養所 2013年6月17日09:19

翌日、17日(月)は長男家族が裾野市須山にある富士サファリパークに行くと言うので、ジジ、ババも一緒に行きました。
富士サファリパークには長男と次男が小学生、幼稚園生のころマイカーで行ったことがあります。ですから、ここに来るのも20何年振りです。

ジャングルバス@富士サファリパーク 2013年6月17日 by Poran111

昼前にサファリパークに着いて、サファリ・ゾーンを周遊し、猛獣にバスの中から餌をあげられるジャングルバスに乗ろうと、息子が切符を買いに行ったら、ようやく買えた切符は午後3時半出発でした。それまでの時間は昼食を食べたり、草食動物のいるふれあいゾーンで遊んだりしました。

ジャングルバスに近寄るライオン 2013年6月17日15:51 by Poran111

ジャングルバスは待っただけのことはあり、迫力があります。動物と隔てるものは、ガラスもなく金網だけで、肉を食べにくるライオンはわずか20cmの距離に迫ります。

     <餌を食べるライオン/富士サファリパークのジャングルバスにて 2013年6月17日>

ゾウ・ゾーンではアジア象の親子が水浴びをしていました。日本の動物園でゾウの赤ちゃんが生まれて、無事成長したのは2例しかないそうです。この赤ちゃんゾウも無事に成長してくれれば良いと思います。

水浴びするゾウの親子 2013年6月17日16:08 by Poran111

色んな動物を見て、触れ合って、孫娘にとっては良い情操教育になっただろうと思います。

長男家族と別れて、富士サファリパークを発ったのは夕方5時近くなっていました。途中で夕食を食べて、ドッグホテル「asako-pan」でランディを引き取って、蓼科の家に着いたのは夜9時頃でした。

16日(日)は父の日で、長男夫婦から贈り物を直接もらって、私にとっては良い父の日でもありました。

2013年6月18日火曜日

父の日のプレゼント

一昨日、6月16日(日)は父の日でした。ウィキペディアで調べてみたら、1966年に米国第36代大統領リンドン・ジョンソンが父の日を称賛する大統領告示を発して、6月の第3日曜日を父の日に定めた事によるものだそうです。

ところで、我が家では長男が結婚して以来、毎年私に父の日のプレゼントを送ってくれています。
今年は、所帯を持った次男のところからも父の日のプレゼントを送られてきました。
息子達は私がお酒が好きなことが分かっているので、どちらからもアルコール類です。

父の日のプレゼント/息子達より 2013年6月17日 by Poran111

飲むのがなにかもったいなくて、飾っておきたいくらいです。オヤジとしては何を贈ってくれたかよりも、息子達がそれぞれ父親にプレゼントをする立場になってくれたこと自体が有り難いです。

2013年6月15日土曜日

東北旅行(5)/松島~仙台~帰宅 (完)

Our trip to the northeastern area of Honshu, Japan <5> / Matsushima & Sendai, Miyagi Pref.

4月22日(月)朝8時半頃、南三陸町の南三陸ホテル観洋を出発し、途中石巻市の白謙かまぼこ店本店に寄って、土産に笹かまぼこを買いました。ここは東北の親戚から美味しいからと薦められた店です。
そして、11時少し過ぎにこの日の最初の目的地、松島に到着しました。

五大堂と透かし橋@松島 2013年4月22日 by Poran111

松島では島巡り観光船に乗るつもりで切符を買いに行きましたが、次の出航が12時で、時間があったため周辺を散歩し、観光しました。
まず、陸から朱塗りの橋でつながる小さな島にある五大堂を見ました。平安時代初期、807年に坂上田村麻呂がこの島に毘沙門堂を建てたのが始まりで、現在の建物は1604年に伊達政宗が建立したものだそうです(上の写真)

IMG_5217 ずんだ餅@松島 2013年4月22日11:40 by Poran111

それから、近くの菓子店に入って、郷土料理のずんだ餅を食べました。ずんだは枝豆を茹でて、潰して、砂糖を混ぜたものだそうで、柔らかな餅の上に乗せて、おいしくいただきました。

IMG_5233 観光船デッキのカモメ@松島 2013年4月22日12:00 by Poran111

12時近くなったので、船に乗り込み、いよいよ出航しました。この日は、昨日から一転、良い天気になったので、気持ち良いクルージングです。

                   <松島のウミネコ@観光船より 2013年4月22日12:05>

船が動き出すと、間もなくウミネコがたくさん船のデッキや周りに集まってきました。観光客の中に餌をあげる人がいるので、それが目当てのようです。

IMG_5251 鐘島/松島 2013年4月22日 by Poran111

約50分で松島湾を周遊するクルージングは好天にも恵まれて快適なものでした。

IMG_5261松島/観光船より 2013年4月22日12:19 by Poran111

東日本大震災の大津波はこの松島町も襲い、松島海岸近くの商店や建物が破壊されましたが、その被害は隣の東松島町に比べると大幅に小さかったとの事です。隣の東松島町の死者・行方不明者数が1,088人だったのに対し、この松島町の死者・行方不明者数はわずか2人でした。それは、この松島湾にあるたくさんの島が緩衝の役割を果たし、津波の力を弱めたためだそうです。

IMG_5274 松島の桟橋と五大堂 2013年4月22日12:47 by Poran111

松島を見た後は、車を走らせて仙台市内に向かいました。

IMG_5282 仙台駅前青葉通り 2013年4月22日15:03 by Poran111

市内に着くと、仙台駅近くにある牛たん炭焼「利休」西口本店に入って、昼食を食べました。仙台で牛たんを食べるなら「利休」が良いと親戚が薦めてくれたからです。

IMG_5280 牛たん「極」定食@利休西口本店 2013年4月22日14:31 by Poran111

家内も私も牛たん「極」定食(1,600円)を注文しましたが、コリコリと歯ごたえはありながらも柔らかく、肉厚で、手ごろな塩味。こんな牛たんは初めて食べました。「利休」は今は東京都内にもいくつか店を出しています。
そして、昼食を食べた後は郊外の仙台城跡に行きました。仙台城(別名、青葉城)は1600年に伊達政宗により本丸が造営され、1602年に完成したものですが、廃藩置県後の明治4年に本丸が破壊され、明治15年の火災の発生により大手門、脇櫓、虎ノ門を除くほとんどの建物が焼失したとの事です。
本丸跡には伊達政宗騎馬像が立ち、また、きれいに咲いたの桜の向こうには仙台市街が一望できました(上の写真)。

また、本丸跡の一部には護国神社があり、ここの桜もちょうど満開でした(下の写真)。

IMG_5297 護国神社の桜@仙台 2013年4月22日 by Poran111

仙台城跡を見て、いよいよ帰路に着きます。
東北自動車道に乗り、車で約380kmを走り、夜10時頃、東京の家に着きました。

出迎えたランディ@ペットホテル内藤 2013年4月23日 by Poran111
出迎えたランディ@ドッグホテル「asako-pan」 2013年4月23日14:06

そして、翌日、4月23日(火)午前には東京の家を発ち、中央自動車道を通り、昼過ぎに、小淵沢IC近くのドッグホテル「asako-pan」にあずけてあったランディを引き取りに行きました。
ランディは我々の車が近づくと、もう気が付いていて、フェンスにのそばに寄って我々を出迎えてくれました(上の写真)。
ランディにとっては4泊5日の他の犬たちとの合宿生活でしたが、良い体験をし、楽しんでくれただろうと思います。
午後3時頃にようやくランディを連れて、蓼科高原の我が家に帰着しました。

この4泊5日の東北旅行では全部、私が自分で車を運転しましたが、全走行距離は1,720kmでした。5日間で一日当たり344kmになりますが、それほど疲れも感じず、まだまだ大丈夫だと、ちょっと安心しました。

2013年6月13日木曜日

東北旅行(4)/南三陸町

Our trip to the northeastern area of Honshu, Japan <4> / Minamisanriku-cho, Miyagi Pref.

東北旅行3日目の4月21日(日)は朝、盛岡を発って、遠野を経て、釜石、大船渡、陸前高田、気仙沼を通って、夕方、この日の宿泊予定地、南三陸町に着きました。

IMG_5173 南三陸町被災地 2013年4月21日17:51 by Poran111

南三陸町の市街地では被災した住宅は全て撤去され、一面は巨大な広場になり、撤去しにくい鉄筋コンクリートのビルがわずかに残っている程度でした。

IMG_5176 積み上げられた瓦礫@南三陸町 2013年4月21日17:53 by Poran111

広場の一角には瓦礫が積み上げられ、山になってまだ残っていました。

<東日本大震災被災状況>南三陸町 死者数         597人
                         行方不明者数      222人
                         合計           819人
                         家屋倒壊      3,143棟(全壊)


南三陸ホテル観洋の露天風呂「かもめ湯」 by Poran111

南三陸町の市外から2kmほど南にある南三陸ホテル観洋に6時頃着きました。
南三陸ホテル観洋は志津川湾に面した海岸沿いの断崖に立ち、10階建て客室数244と、この辺では大型のホテルです。東日本大震災の大津波はこのホテルの露天風呂のある2階まで襲いましたが、それより上の階は直接の破壊を免れました。大震災の際は周辺の避難民を受け入れたり、地域の復興の拠点として暫くは活用されたそうです。

ホテルに着いて、まず我々はその露天風呂に入りました。海に突き出たような感じで、志津川湾と太平洋を一望できる雄大な光景は、他ではちょっと味わえない気分の露天風呂でした(上の写真)。

IMG_5179 南三陸ホテル観洋の夕食 2013年4月21日19:16 by Poran111

このホテルのもう一つの魅力は海鮮料理です。夕食には食べきれないくらいの海の幸の料理が並びました。

IMG_5180 煮物・炊き合わせ 2013年4月21日19:23 by Poran111

IMG_5186 鮑踊り焼@南三陸ホテル観洋 2013年4月21日19:37 by Poran111

このホテルの名物の一品が「鮑の踊り焼」です。活きたままのアワビを陶板で焼き上げます。バターと絡められて焼かれたアワビを口の中に入れると磯の香りが広がりました。

IMG_5189 海鮮釜飯@南三陸ホテル観洋 2013年4月21日19:44 by Poran111

つみれ鍋@南三陸ホテル観洋 2013年4月21日19:45 by Poran111

このホテルの親会社、(株)阿部長商店は鮮魚仲買が本業で、これらの新鮮な魚介類はそこから毎日入荷するとの事です。

IMG_5199 南三陸復興酒「光に向かって」 2013年4月21日 by Poran111

このホテルの売店で南三陸復興酒「光に向かって」を売っていたので、部屋に戻ってこれをちびりちびり飲みました。

IMG_5203 朝日に輝く志津川湾/ホテルの部屋より 2013年4月22日05:14 by Poran111

私たちが泊まったのは最上階の10階ですが、ホテルの人からこの部屋から日の出が眺められると聞いたので、翌朝、5時頃一旦起きて、海の向こうから上ってくる日の出を見ました。志津川湾の静かな水面は朝日を受けて金色に輝き、神々しいくらいでした。
この穏やかな美しい海が、あの3月11日だけは恐ろしい怒り狂った海になるとは信じられない思いでした。自然の持つ美しさと恐ろしさの二面性をリアルに感じざるを得ません。

IMG_5208南三陸ホテル観洋 2013年4月21日08:34 by Poran111

雄大な眺望の露天風呂と新鮮な魚介類の料理を堪能し、その料金(一泊二食12,600円)を考えれば、機会があれば又来たいなと思うホテルでした。

さて、4月22日(月)朝は前日とは一転、晴れた良い天気になりました。
私たちは車で南三陸町を発って、松島に向かいました。

2013年6月11日火曜日

植え付け、種蒔きの終わった畑

今年は気象庁が早々と梅雨入り宣言したとたんに雨が降らなくなって、雨不足の状態になっていますが、ようやく今日あたりから曇り空が多くなってきて、梅雨の気配が感じられます。

さて、私の畑では種蒔き及び苗の植え付けはほぼ一通り終わっています。

植え付けの終わった畑 2013年6月11日09;24 by Poran111

これまでに種蒔き、あるいは植え付けが終わった野菜は次の通り17種類です。今年は食用ほうずきと落花生の栽培量を大幅に増やしたことと、事情があって、サヤエンドウなどの保存しにくい、あるいは保存に手間がかかる野菜は作るのをやめたため、野菜の種類の数は例年よりも減っています。

<種蒔き済み>
ジャガイモ(デジマ、アンデス)、枝豆(湯あがり娘)、落花生、5寸人参、紅白二十日大根、キクイモ、
<苗を植付け済み>
食用ほうずき(ほのかの夏)、ミニトマト(5種類)、キュウリ(夏すずみ)、カボチャ(ながちゃん)、レタス、コスレタス、サニーレタス、ズッキーニ(黄色)、ナス、ピーマン、シシトウ、

ズッキーニの花 2013年6月11日 by Poran111

今日、畑に行ったら、ズッキーニが最初の大きな花を咲かせ始めました。

ミニトマトの花 2013年6月11日 by Poran111

ミニトマトも小さな花をつけ始めました。
これからジャガイモやカボチャなど色んな野菜がきれいな花を順番に咲かせてくるので、それも楽しみです。

そして、今日はレタス、コスレタス、サニーレタスの葉を少しずつ採って、今シーズン最初の収穫をしました。

2013年6月9日日曜日

東北旅行(3)/盛岡市~気仙沼市

Our trip to the northeastern area of Honshu, Japan <3> / Morioka-shi, Iwate Pref. ~ Kesennuma-shi, Miyagi Pref.

東北旅行3日目の4月21日(日)は朝起きると盛岡市内は雨が降っていたため、当初考えていた市内見物をやめ、車で市の中心部をぐるっと回って、そのまま盛岡を発って遠野に向かいました。
次第に雨は季節はずれの雪となり、遠野に着く頃には本降りの雪になっていました。

IMG_5103 南部曲り家千葉家@遠野市 2013年4月21日10:37 by Poran111

遠野市では南部曲り家千葉家に寄って、見学しました。千葉家の建物は約200年前に建てられた豪壮な民家で、曲り家(まがりや)は南部藩特有の農家建築。母屋と厩がL字型に一体化して、文字通り曲がっています。他では見られない、ちょっと独特の建物でした。

IMG_5110 雪の南部曲り家千葉家 2013年4月21日10:50 by Poran111

遠野から更に車を走らせて東進し、約1時間で釜石市に着きました。そして、この日は陸中海岸沿いの東日本大震災の被災地を通って南三陸町まで南進する予定です。

IMG_5116 釜石市被災地 2013年4月21日12:03 by Poran111

私達が釜石を訪れたのには理由があります。2011年3月11日の東日本大震災の時には蓼科高原の我が家にいて、異常な大きく長い揺れを感じ、直ぐテレビをつけました。テレビからは報道ヘリなどから撮影された、大きな津波が車を、人を、建物を襲い、広大な畑や町が飲み込まれて行く様子がリアルタイムで映され続けました。衝撃的でした。しばらく何日間かは私は好きなギターを弾く気も起きませんでした。しかし、静岡で育ち、東京で主に暮らした私には、大学時代と仕事を通じても親しい友人、知人に直接被災した人はいませんでした。大震災は私にとってはあくまでも「ほかの人の出来事」でした。しかし、息子が結婚し、その配偶者(お嫁さん)が東北の出身です。そして、彼女のおじいさんは釜石にいる親友の家を訪ね、そこで津波に飲まれて亡くなりました。この事実により東日本大震災は私にとって「身内の出来事」に変わりました。
ですから、釜石を見ようと思いました。

<東日本大震災被災状況>
釜石市 死者数        879人
    行方不明者数       349人
      合計         1,228人
     家屋倒壊        3,723棟

IMG_5131◎大船渡市被災地2013年4月21日13:59 by Poran111

そして、釜石市から30分ほど車で南下して大船渡市に着きました。

IMG_5130 大船渡屋台村 2013年4月21日13:58 by Poran111

大船渡市では、津波で店舗や住まいを失った人たちが再起を目指す仮設商店街である「大船渡屋台村」に行きました。

IMG_5124◎大船渡屋台村の鮨季節料理ささき 2013年4月21日13:55 by Poran111

そこでは、「鮨季節料理ささき」に入りました。

IMG_5122 鮨季節料理ささき店内/大船渡市 2013年4月21日13:52 by Poran111

三陸の地場で獲れた魚介類で人気の店のようですが、私たちが食べた地魚丼」(1,000円)には立派な穴子や生しらすなど新鮮な魚介がたっぷりで美味しかったです。
帰ってから大船渡屋台村のホームページを見たら、この店主は陸前高田で開店した店が6ヶ月で被災したのだそうです。このお店に食べに行くことはささやかながら応援になるのだろうと思います。

IMG_5120 地魚丼@鮨季節料理ささき/大船渡市 2013年4月21日13:41 by Poran111

この大船渡屋台村も最初の頃はテレビなどで度々報道され、来場者は多かったそうですが、最近は減ってきていると聞きます。

<東日本大震災被災状況>
大船渡市 死者数        330人
     行方不明者数          122人
        合計           452人
    家屋倒壊      3,629棟

IMG_5135◎碁石海岸@大船渡市 2013年4月21日1437 by Poran111

津波で大きく被災した大船渡市ですが、市内には末崎半島の碁石海岸などの美しい景勝地があります。

IMG_5140 碁石海岸の穴通磯@大船渡市 2013年4月21日15:04 by Poran111

碁石海岸の中の穴通磯(あなとおしいそ)は波の浸食作用でできた名勝洞穴で、国の天然記念物に指定されています。恐ろしい津波とはかけ離れた美しい海岸線でした。

IMG_5152◎陸前高田市被災地 2013年4月21日15:41 by Poran111

碁石海岸からまた30分ほど走ると、陸前高田市に着きました。
陸前高田市の海岸周辺には住宅や一般の建物は全く残っていません。ほとんどの被災建物は撤去されています。上の写真はコンビニか何かの店舗跡のようです。

IMG_5148 陸前高田市の被災マンション 2013年4月21日15:37 by Poran111

被災したマンションと道の駅の鉄筋の建物がわずかに残っていました。被災したマンション建物(上の写真)を見ると、4階までが破壊されており、津波の高さがここまで達していたことが分かります。
陸前高田市の東日本大震災による死者・行方不明者数は1,930人で、市の人口の8.3%になります。これは東日本の被災市町村の中では大槌町の10.2%に次ぐ、2番目の高さです。上の2枚の写真からも被害の酷さは察しられます。

<東日本大震災被災状況>
陸前高田市 死者数        1,538人
        行方不明者数           392人
        合計           1,930人(対人口割合 8.3%)
        家屋倒壊         3,341棟

IMG_5162◎気仙沼市被災地 2013年4月21日16:14 by Poran111

陸前高田市から20分ほど車で南下し、気仙沼市に着きました。ドラゴンレール大船渡線の鹿折唐桑駅近くには津波で打ち上げられ流された大きな船がそのまま残されています。また、ドラゴンレール大船渡線の曲がったままになったレールは津波の力の大きさを示しています(上の写真)。
大船渡線のこのあたりは鉄道そのものはまだ運航できず、バスを使ったBRT(バス高速輸送システム)により気仙沼駅~盛駅間が平成25年3月2日に仮復旧しています。

IMG_5168◎気仙沼港 2013年4月21日16:40 by Poran111

それから、気仙沼港を見ました。港はこの日は穏やかな姿でしたが、桟橋か何かのコンクリートの基礎が水面に何本も残されていました(上の写真)。

<東日本大震災被災状況>
気仙沼市 死者数        1,079人
     行方不明者数               239人
     合計         1,318人
       家屋倒壊          8,483棟(全壊)

IMG_5165◎復興屋台村・気仙沼横丁 2013年4月21日16:36 by Poran111

港の前にある復興屋台村・気仙沼横丁に寄りました。地元の海産物をいろいろ土産に買ってきました。

IMG_5164 復興屋台村・気仙沼横丁 2013年4月21日16:36 by Poran111

そして、この後はこの日の宿泊地、南三陸町に向かいます。