2012年7月31日火曜日

スペイン旅行振り返り(8):ミハス、ロンダ

6月5日(火)朝、我々のバスはグラナダを発ち、約170km西にあるミハスに向かいました。
ミハスは地中海沿いの町、フエンヒローラから北へ約9km、地中海を見晴らす山の中腹にあります。

ミハスの街並み 2012年6月5日 by Poran111

ここはローマ時代からの古い歴史を持つ町で、白い家並みが続く町は「白い村」と呼ばれています。

白い村ミハス 2012年6月5日 by Poran111

ミハスからは南に地中海が見えるのですが、この日は沿岸の海に霧がかかっていて、水平線ははっきり見えませんでした(下の写真)。

地中海方面/ミハスから望む 2012年6月5日 by Poran111

町の中心のビルヘン・デ・ラ・ペーニャ広場にあるレストランで食べた昼食はイカの墨煮の料理でした。これはホタルイカだそうですが、日本のホタルイカよりもふた回りくらい大きいもので、なかなか美味しい墨煮でした。

イカの墨煮/ミハスのレストランの昼食 2012年6月5日 by Poran111

ミハスで昼食を食べた後、我々は更に西約85kmにあるロンダに向かいました。

コスタ・デル・ソル(太陽海岸) 2012年6月5日 by Poran111

バスはまずコスタ・デル・ソル(太陽海岸)沿いをしばらく走り、そして、北に入って、山道を上りました(下の写真)。

ロンダに向かう山道 2012年6月5日 by Poran111

ロンダは海抜739mの岩だらけの台地の上にあります。

パラドール・デ・ロンダの正面 2012年6月5日 by Poran111

我々はまず、この日宿泊するホテル、パラドール・デ・ロンダにチェックインしました。
パラドールと言うのは国営のホテルで、中世の宮殿や修道院など歴史的建造物を改装したものや旧市街を一望できる場所に新しく建てられたものなどがあります。

パラドールの部屋から見る旧市街(左)と原野 by Poran111

我々の泊まったParador de Ronda はかつての市庁舎を改装したもので、ロンダを代表する観光スポット、ヌエボ橋のすぐ脇にあります。ロンダのパラドールはこのツアーの目玉の一つでもあります。と言うのは、我々の参加したツアーの名称はJTB旅物語「絶景のパラドール宿泊とゆったりスペイン周遊10日間」なのです。
我々の部屋からは左手にロンダ旧市街、正面と右手(西側)にはシエラ・グラサレーマ山脈につながる原野の雄大な光景が眺められました(上の写真)。

ヌエボ橋@ロンダ 2012年6月5日 by Poran111

チェックイン後、ロンダの町の観光巡りをしました。パラドールのすぐ脇にあるヌエボ橋は1793年の建造で、橋の下は深さ100mの断崖。覗き込めば、吸い込まれそうです。

グアダレビン川@ロンダ 2012年6月5日 by Poran111


ヌエボ橋はグアダビレン川に掛かり、この川によって南側の旧市街と北側(上の写真左側)の新市街に分けられています。ヌエボ橋(新橋)の西にはイスラム時代に造られたビエホ橋(旧橋)が掛かっています(上の写真の右奥に小さく見える)。

ロンダの旧市街 2012年6月5日 by Poran111

ロンダは紀元前からある古い町で、8世紀初めにイスラム教徒の支配下に入り、15世紀末にキリスト教徒により奪還させるまではイスラムの支配下にありました。
旧市街には風情のある白壁の家並みが続き、1485年まで続いたイスラム支配の名残があちこちに見られます。

崖の上のパラドールと原野 2012年6月5日 by Poran111

ヌエボ橋に近い旧市街の地点からは、切り立った断崖の上に建つパラドールと、その向こうに広がる、シエラ・グラサレーマ山脈につながる広大な原野の光景が見事でした。

闘牛場外観@ロンダ 2012年6月5日 by Poran111

再びヌエボ橋を渡って、新市街側に戻り、闘牛場を見ました。

闘牛場内部@ロンダ 2012年6月5日 by Poran111

1785年に建てられたスペイン最古の闘牛場で、バロック様式です。ロメロ一族をはじめとする数多くの高名な闘牛士を輩出しました。

サンタ・マリア・ラ・マヨール教会外観 2012年6月5日 by Poran111

そのあと自由時間があったので、我々は再び旧市街に行って、サンタ・マリア・ラ・マヨール教会の中を見学しました。
この協会はモスクの跡地に、15世紀から16世紀にかけて建てられたもので、その鐘楼は13世紀(モスク時代)の鉄製アーチやムデハル様式の尖塔を改装したものです(上の写真)。

サンタ・マリア・ラ・マヨール教会の祭壇 2012年6月5日 by Poran111


祭壇はバロック様式で、一つの教会の中に様々な様式が混在しています。

夕食はパラドール内のレストランで食べましたが、パラドールの夕食はなかなか美味しかったです。

前菜/パラドール・デ・ロンダ 2012年6月5日 by Poran111
前菜は茶巾鮨のような形をしたパイ皮包。
前菜の中身/パラドール・デ・ロンダ 2012年6月5日 by Poran111
中には野菜や木の実などが入っていました。
メイン/パラドール・デ・ロンダ 2012年6月5日 by Poran111
メインは柔らかく焼かれた子牛。
デザート/パラドール・デ・ロンダ 2012年6月5日 by Poran111

ゆっくりと夕食を楽しみました。

2012年7月24日火曜日

スペイン旅行振り返り(7):グラナダ(アルハンブラ宮殿)

6月4日(月)朝ゆっくりコルドバを出発し、南東約210km先にあるグラナダに向かいました。

オリーブ畑/グラナダに向かう途中 2012年6月4日 by Poran111

グラナダに向かう途中、延々とオリーブ畑が続きます。

グラナダのレストラン 2012年6月4日 by Poran111

そして、我々はグラナダ郊外のレストランに着き、昼食。
スペイン風ミートボールの料理でしたが、食前酒にビールを注文したら、「アルハンブラ」と言う銘柄のビールが出ました(下の写真)。なかなかおいしいビールでした。

アルハンブラ・ビール 2012年6月4日 by Poran111

昼食後、グラナダのアルハンブラ宮殿向かいました。
アルハンブラ宮殿は、アランフェス王宮と共に、私がスペインで最も見たかった所です。
なぜなら、フランシスコ・タレガのギターの名曲「アルハンブラの想い出」があり、イサーク・アルベニスのピアノ曲、スペイン組曲の中の傑作「グラナダ(セレナータ) 」があるからです。

紀元前からの歴史を持つグラナダは、8世紀にイスラム教徒により侵攻され、その支配下に入り、その後もイスラムのもとで発展を続け、13世紀、ナスル朝グラナダ王国の建国により繁栄の絶頂期を迎えました。この頃にアルハンブラ宮殿の建築は始められました。その後も歴代王によって建築が進められ、14世紀後半に至って、ほぼ現在の形に整えられたそうです。

ヘネラリーフェに向かう 2012年6月4日 by Poran111

我々はアルハンブラ宮殿のチケット売り場の前でバスを下り、そこからヘネラリーフェに入りました。まず、天空をさすような糸杉が並ぶ散歩道を歩きました。

ヘネラリーフェ 2012年6月4日 by Poran111

ヘネラリーフェは14世紀初期にグラナダ王の夏の離宮として建てられました。
刈り込まれた生垣と咲き乱れる花々がきれいです。

ヘネラリーフェの花壇 2012年6月4日 by Poran111

奥には、イスラム=スペイン様式を代表する庭園、「アセキアの中庭」があります(下の写真)。

アセキアの中庭 2012年6月4日 by Poran111

アセキアとは水路のことで、全長50mほどの縦長の庭の中央に細長い水路が設けられ、たくさんの噴水から水が絶え間なく降り注いでいます。

シェラネバダ山脈/アルハンブラ宮殿から見る 2012年6月4日 by Poran111

アルハンブラ宮殿の中にはいたるところに水路や噴水が設けられていますが、これらはグラナダの南東にあるシェラ・ネバダ山脈(上の写真)の雪解け水を利用しているとのこと。水のある景観をこよなく愛していたイスラムの心根が伝わってきます。

ヘネラリーフェから見たアルハンブラ宮殿 2012年6月4日 by Poran111

ヘネラリーフェからは宮殿が概観できます。

サクロモンテ/ヘネラリーフェから見る 2012年6月4日 by Poran111

ヘネラリーフェからは北側にサクラモンテの丘がよく見えます。ここでは古くからロマ族(ジプシー)が丘の斜面の洞窟住居(クエバ)に暮らし、それらのいくつかは今はタブラオになっています。この日の夜、我々はここの洞窟タブラオにフラメンコ・ショーを見に行きます。


ところで、“近代ギター音楽の父”と称されるフランシスコ・タレガ(1852年~1909年)は1896年、44歳の時にアルハンブラ宮殿を訪れ、その受けた感銘からギターの名曲、「アルハンブラの想い出」を作りました。
  <フランシスコ・タレガ作曲「アルハンブラの想い出」、アンドレス・セゴビア演奏>
曲全体に流れるトレモロ奏法は庭園の噴水の音だとも、また宮殿を覆う繊細なアラベスク模様だとも言われます。 

ヘネラリーフェから10分ほど歩いて、次はカルロス5世宮殿に行きました。
レコンキスタ(再征服運動)により1492年にグラナダは陥落し、キリスト教徒の手に落ちますが、この宮殿は、その約50年後、カトリックの王カルロス5世によって建設が決められました。

カルロス5世宮殿外側 2012年6月4日 by Poran111

この宮殿はイスラム時代の王宮に隣接し、ルネッサンス様式の四角い建物(上の写真)の真中には円型の中庭が配されています(下の写真)。中庭の周囲は2階建の回廊です。アルハンブラ宮殿の中で、レコンキスタ後に建てられたここは違った雰囲気になっています。

カルロス5世宮殿 2012年6月4日 by Poran111

次は、アルハンブラ宮殿の西端、アルカサバ(城塞)に行きました。

アルカサバ@アルハンブラ宮殿 2012年6月4日 by Poran111

アルカサバ(城塞)はアルハンブラ宮殿内では一番古い部分です。9世紀には既にこの地にあった城塞が13世紀、ナスル朝の時代に現在の規模・整備に拡張されたもの。

アルカサバからは西にグラナダ中心部、カテドラルなどが見渡せます(上の写真)。
そして、北側にはアルバイシンが一望できます(下の写真)。アルバイシンは11世紀頃にイスラム教徒によって築かれた、グラナダで最も古い地区です。アルハンブラ宮殿ができる前はこの丘の上にグラナダ王の居城があったとのこと。

それから我々は、アルハンブラ宮殿の心臓部である王宮(ナスル朝宮殿)に入りました。王宮は14世紀にユスフ1世とムハンマド5世父子の時代に建設された、イスラム文化の精華、結晶と言われています。

アラヤネスの中庭 2012年6月4日 by Poran111

まず「メスアールの間」を通って、それから「アラヤネスの中庭」に出ました。細長い池と両脇の天人花(アラヤネス)の生垣の緑が整然とした空間を作り、中央の「コマレスの塔」が水面に映し出されています。この「コマレスの塔」の中の「大使の間」では王の謁見など、公式の行事が行われたとのこと。

ライオンの中庭を囲む大理石のアーケード 2012年6月4日 by Poran111


そして、12頭のライオンの噴水がある「ライオンの中庭」に進みました。この中庭の周りは大理石の柱が林立する回廊となっています。柱と柱の間の上部はアーチで、レースのような繊密な模様が施されています(上の写真)。

ライオンの中庭 2012年6月4日 by Poran111

12頭のライオンで支えられた噴水がある「ライオンの中庭」はイスラム芸術の最高傑作と言われます。これらのライオン像は修復のため2006年から撤去されていましたが、今は元の位置に戻されました。しかし、我々が訪れた時はまだ修復作業が続いてるところでした(上の写真)。 

この中庭と庭を囲む幾つかの部屋や施設は王のハーレムだったため、王以外の男性は立ち入り禁止だったそうです。


二姉妹の間 2012年6月4日 by Poran111


ライオンの中庭の南側には「アベンセラヘスの間」、北側には「二姉妹の間」があり、それぞれに「モカラベ」と呼ばれる鍾乳石場の複雑な装飾が埋め尽くされた美しい丸天井ついています。

ところで、イサーク・アルベニス(1860年~1909年)の初期(1886年)のピアノ曲の傑作、「スペイン組曲・第1集」の第1曲(Op.47-1)に「グラナダ(セレナータ)」があります。この曲はギターに編曲され、ギター曲としても名曲になっています。
       <イサーク・アルベニス作曲(セゴビア編)「グラナダ」、アンドレス・セゴビア演奏>
上の動画では、不世出の天才、アンドレス・セゴビア自らがギターに編曲して、演奏しています。作曲者、イサーク・アルベニスは22歳の頃、短い間アルハンブラ宮殿のほとりに暮らしていたことがあり、その思い出から、この郷愁に満ちたセレナードが生まれたと言われます。


パルタル庭園とサンタマリア教会 2012年6月4日 by Poran111

ライオンの宮殿から「パルタル庭園」に出ました。ここはイスラム時代には貴族の宮殿や住宅、モスクなどが建ち並ぶ緑地でした。
「貴婦人の塔」(下の写真)を背景に、池と花々のある明るい庭園です。


貴婦人の塔@アルハンブラ宮殿 2012年6月4日 by Poran111

ここから東へ遊歩道を進めば、ヘネラリーフェに至ります(下の写真)。

ヘネラリーフェを見る 2012年6月4日 by Poran111

アルハンブラ宮殿は私が思っていたものよりも広く、規模の大きいものでした。夏場は非常に暑くなるグラナダでも涼しい丘の上に位置しています。
宮殿とは言うものの城塞の性質も備えており、その中に住宅、官庁、軍隊、、モスク、学校、市場、庭園等様々な施設を備えていて、14世紀頃には2,000人の人々が暮らしていたと言われます。


アルハンブラを見て、夕方、グラナダ市内にあるホテルに着きました。

洞窟のタブラオ 2012年6月4日 by Poran111

ホテル内のレストランで夕食をとり、夜8時半頃、マイクロバスに乗ってホテルを出発し、アルハンブラ宮殿の北側に位置するサクラモンテの洞窟タブラオにフラメンコ・ショーを見に行きました。

タブラオでのフラメンコ 2012年6月4日 by Poran111

フラメンコは15~16世紀にアンダルシア地方に誕生したと言われ、当時この地域に流入したロマ族(英語で言うジプシー)が形成した独自文化の中で、フランメンコは発展しました。
この日のショーは、ギタリスト1人、カンテの歌い手1人、踊り子が女性3人、男性一人でした。
情念のほとばしるような歌、情熱的なフラメンコ・ギター、官能的な踊りは、洞窟タブラオの中で独特の雰囲気を作り、十分楽しむことができました。
(グラナダのフラメンコについて詳しくはcharanのブログをご参照。→「スペイン旅行(10) グラナダ・フラメンコショー」)

夜のアルハンブラ宮殿 2012年6月4日 by Poran111

フラメンコの終わった後、洞窟タブラオの前の道路からはライトアップされたアルハンブラ宮殿が夜空に輝いていました。

グラナダのHotel San Anton(左側の建物) 2012年6月5日 by Poran111

翌日、6月5日(火)は朝食後、我々のバスが出発する前にちょっと時間があったので、泊まったホテル・サン・アントンの周りを少し歩きました。

グラナダの学校 2012年6月5日 by Poran111

ホテルの横を流れる川沿いに歩くと、白い修道院がありました。

グラナダの街 2012年6月5日 by Poran111

修道院の近くの橋を左に渡ると、もうそこは繁華街(Darro通り)でした。この時はまだ朝8時半のため、ほとんどの店は開いていません。

それから、我々はグラナダを発ち、バスでミハスに向かいました。

2012年7月20日金曜日

第7回「クラシックギター弾き回し練習会」のご案内


第7回「クラシックギター弾き回し練習会」を9月29日(土)に開催しますので、ご案内します。次回は爽やかな秋の空気が流れる蓼科高原で開催します。

詳細は「クラシックギター弾き回し練習会のブログ」に記載してありますので、ご参照ください。
 http://hikimawashi.blogspot.jp/2012/07/blog-post_20.html

2012年7月17日火曜日

第6回クラシックギター弾き回し練習会の開催/レポート

7月14日(土)長野県須坂市の小音楽堂「夢奏庵」にて第6回クラシックギター弾き回し練習会を開催しましたが、そのレポートを「クラシックギター弾き回し練習会のブログ」に掲載しました。

こちらをご参照ください。→http://hikimawashi.blogspot.jp/2012/07/2012714_6627.html

2012年7月12日木曜日

スペイン旅行振り返り(6):コルドバ

6月3日(土)朝、ラ・マンチャ地方のコンスエグラで風車を見た後、バスはそこから南、約  280km先にあるコルドバに向かいました。

しばらくの時間走り、南のアンダルシア地方に入るとオリーブ畑が広がる景色が多くなります。

コルドバに向かう途中のオリーブ畑 2012年6月3日 by Poran111

コルドバはグアダルキビル川の北側にあり、紀元前のローマ植民地時代からアンダルシアの中心地でした。

8世紀にイスラム教徒の侵入が始まり、その後コルドバはヨーロッパ・北アフリカのイスラム教国の中心として大きく発展。10世紀の最盛期にはコルドバの人口は100万人、モスクの数は300を超えたと言われます。


グアダルキビル川@コルドバ 2012年6月3日 by Poran111

1236年にキリスト教徒がコルドバを奪回し、イスラム教徒が去っていくと、コルドバの町は次第に衰退していきました。現在の人口は約30万人です。

その歴史が示すように、イスラム、キリスト教、ユダヤの3つの文化が共存し、融合した町です。

ローマ橋@コルドバ 2012年6月3日 by Poran111

我々のバスはグアダルキビル川沿い、カラオーラの塔の脇に停まり、我々はバスを下りて、ローマ橋を渡り、コルドバの町を歩いて回りました。

上の写真のローマ橋は最初ローマのアウグストゥス帝の時代に築かれ、レコンキスタ(キリスト教徒による再征服運動)後に現在の形になりました。橋の右の塔は、ローマ橋を守るためにイスラム教徒時代に築かれた要塞です。

昼食を食べたレストラン@コルドバ 2012年6月3日 by Poran111

ローマ橋を渡り、町の中心部にあるレストラン(写真右の建物)で昼食を食べました。
スペイン旅行中はワインの他に、サングリアを時々飲みました。コルドバは昼間気温が30度位まで上がりましたので、ここで飲んだ、氷が入り、果物が浮いた、冷たいサングリアはとてもおいしかったです(下の写真)。

サングリア@コルドバ 2012年6月3日 by Poran111


ところで、スペインを代表する作曲家・ピアニストであるイサーク・アルベニス(Isaac Albéniz, 1860年~1909年)はスペイン民族主義楽派の確立者と言われていますが、彼の作品の中にコルドバをテーマにしたピアノ曲「コルドバ(夜想曲)ニ短調 (Cordoba) Op.232-4」があります(1894年頃作曲)。
         <I.アルベニス作曲「コルドバ」 - ギター演奏:Julian Bream>
上は、ギター用に編曲されたこの「コルドバ」を名ギタリスト、ジュリアン・ブリームが演奏しています
image from www.flickr.com               <イサーク・アルベニス>

アルベニス作曲のピアノ曲は、この「コルドバ」の他に、「グラナダ」、「アストゥリアス」、「セビーリャ」など多くがギター用に編曲され、コンサートでしばしば演奏され、どれもがギターの名曲になっています。その理由は、これらのアルベニスの曲においては、ギターと密接に結びついたスペインの民族音楽が素材とされており、ギターで演奏されることによってアルベニスの本来の意図が原曲のピアノよりも更に鮮やかに表れるからだと私は思います。



メスキータのミナレット 2012年6月3日 by Poran111

さて、我々はまずメスキータ(スペイン語でモスクの意味)に入って、見学しました。
このメスキータはイスラムの王、アブドゥル・ラフマーン1世によって、西ゴート王国の聖ビセンテ教会の跡地に785年に建設が始められました。その後3回にわたって拡張され、10世紀末には2万5千人を収容する巨大モスクとなりました。
1236年にカトリック教徒によりによりコルドバが再征服されるとメスキータはキリスト教の礼拝堂として使われ始め、16世紀カルロス1世治世にモスク中央部に大聖堂が建設され、カトリックの祈りの空間がこの中に挿入されました。今はイスラムとキリスト教の2つが同居する世にも珍しい建築となっっています。

メスキータ内部@コルドバ 2012年6月3日 by Poran111

上の写真はモスク入口付近の最も古くからある部分、「円柱の森」。天井を支える二重アーチは赤いレンガと白の石灰岩を交互に楔状に配した構成となっています。

メスキータ内部2@コルドバ 2012年6月3日 by Poran111

更に、奥の2回目の拡張部分(上の写真)には、アラベスク模様やモザイクで飾られたミフラーブがあり、これはイスラム教寺院において祭壇の代わりになったもの。

キリスト教の祭壇@コルドバのメスキータ  2012年6月3日 by Poran111

モスク中央部には16世紀にカトリック教徒によって建設された大聖堂があります。上の写真は大聖堂の祭壇

花の小道@コルドバ 2012年6月3日 by Poran111

その後、メスキータの北側にあるユダヤ人街を歩きました。ここは小路が迷路のように入り組み、その両側に白壁の家が並びます。ユダヤ人はイスラムの時代には経済を支える存在として厚遇されましたが、レコンキスタ後の1492年ユダヤ人追放令により町から姿を消しました。

メスキータ横の通り@コルドバ 2012年6月3日 by Poran111

コルドバの街を歩いた後、メスキータを囲む10m程の石の塀の外側にある土産物屋(上の写真の右側)に入りました。
フィリグラーナと呼ばれる銀細工がコルドバの名産ですが、小さな銀細工のギターがあったので思わず買ってしまいました。
本当はマドリッドのクラシックギターの有名店「ホセ・ラミレス」に寄って、本物の高級ギターが買えれば一番良かったのですが、マドリッドでは買い物をする自由時間もなく、お小遣いもなかったので、この銀細工の可愛いギターで我慢しました。

銀細工のギター(コルドバ) by Poran111

その日我々が泊まったホテル、Hotel Alfaros はコルドバの街の中、メスキータからも1.5km程の所にありました。

Hotel Alfaros@コルドバ 2012年6月4日 by Poran111

翌朝、4日(月)は出発までに少し時間があったので、ホテルの周辺を散歩しました。

コルドバの市庁舎(右) 2012年6月4日 by Poran111

ホテルのそばにあったコルドバ市庁舎はちょっと味のある建物でした。