2012年7月12日木曜日

スペイン旅行振り返り(6):コルドバ

6月3日(土)朝、ラ・マンチャ地方のコンスエグラで風車を見た後、バスはそこから南、約  280km先にあるコルドバに向かいました。

しばらくの時間走り、南のアンダルシア地方に入るとオリーブ畑が広がる景色が多くなります。

コルドバに向かう途中のオリーブ畑 2012年6月3日 by Poran111

コルドバはグアダルキビル川の北側にあり、紀元前のローマ植民地時代からアンダルシアの中心地でした。

8世紀にイスラム教徒の侵入が始まり、その後コルドバはヨーロッパ・北アフリカのイスラム教国の中心として大きく発展。10世紀の最盛期にはコルドバの人口は100万人、モスクの数は300を超えたと言われます。


グアダルキビル川@コルドバ 2012年6月3日 by Poran111

1236年にキリスト教徒がコルドバを奪回し、イスラム教徒が去っていくと、コルドバの町は次第に衰退していきました。現在の人口は約30万人です。

その歴史が示すように、イスラム、キリスト教、ユダヤの3つの文化が共存し、融合した町です。

ローマ橋@コルドバ 2012年6月3日 by Poran111

我々のバスはグアダルキビル川沿い、カラオーラの塔の脇に停まり、我々はバスを下りて、ローマ橋を渡り、コルドバの町を歩いて回りました。

上の写真のローマ橋は最初ローマのアウグストゥス帝の時代に築かれ、レコンキスタ(キリスト教徒による再征服運動)後に現在の形になりました。橋の右の塔は、ローマ橋を守るためにイスラム教徒時代に築かれた要塞です。

昼食を食べたレストラン@コルドバ 2012年6月3日 by Poran111

ローマ橋を渡り、町の中心部にあるレストラン(写真右の建物)で昼食を食べました。
スペイン旅行中はワインの他に、サングリアを時々飲みました。コルドバは昼間気温が30度位まで上がりましたので、ここで飲んだ、氷が入り、果物が浮いた、冷たいサングリアはとてもおいしかったです(下の写真)。

サングリア@コルドバ 2012年6月3日 by Poran111


ところで、スペインを代表する作曲家・ピアニストであるイサーク・アルベニス(Isaac Albéniz, 1860年~1909年)はスペイン民族主義楽派の確立者と言われていますが、彼の作品の中にコルドバをテーマにしたピアノ曲「コルドバ(夜想曲)ニ短調 (Cordoba) Op.232-4」があります(1894年頃作曲)。
         <I.アルベニス作曲「コルドバ」 - ギター演奏:Julian Bream>
上は、ギター用に編曲されたこの「コルドバ」を名ギタリスト、ジュリアン・ブリームが演奏しています
image from www.flickr.com               <イサーク・アルベニス>

アルベニス作曲のピアノ曲は、この「コルドバ」の他に、「グラナダ」、「アストゥリアス」、「セビーリャ」など多くがギター用に編曲され、コンサートでしばしば演奏され、どれもがギターの名曲になっています。その理由は、これらのアルベニスの曲においては、ギターと密接に結びついたスペインの民族音楽が素材とされており、ギターで演奏されることによってアルベニスの本来の意図が原曲のピアノよりも更に鮮やかに表れるからだと私は思います。



メスキータのミナレット 2012年6月3日 by Poran111

さて、我々はまずメスキータ(スペイン語でモスクの意味)に入って、見学しました。
このメスキータはイスラムの王、アブドゥル・ラフマーン1世によって、西ゴート王国の聖ビセンテ教会の跡地に785年に建設が始められました。その後3回にわたって拡張され、10世紀末には2万5千人を収容する巨大モスクとなりました。
1236年にカトリック教徒によりによりコルドバが再征服されるとメスキータはキリスト教の礼拝堂として使われ始め、16世紀カルロス1世治世にモスク中央部に大聖堂が建設され、カトリックの祈りの空間がこの中に挿入されました。今はイスラムとキリスト教の2つが同居する世にも珍しい建築となっっています。

メスキータ内部@コルドバ 2012年6月3日 by Poran111

上の写真はモスク入口付近の最も古くからある部分、「円柱の森」。天井を支える二重アーチは赤いレンガと白の石灰岩を交互に楔状に配した構成となっています。

メスキータ内部2@コルドバ 2012年6月3日 by Poran111

更に、奥の2回目の拡張部分(上の写真)には、アラベスク模様やモザイクで飾られたミフラーブがあり、これはイスラム教寺院において祭壇の代わりになったもの。

キリスト教の祭壇@コルドバのメスキータ  2012年6月3日 by Poran111

モスク中央部には16世紀にカトリック教徒によって建設された大聖堂があります。上の写真は大聖堂の祭壇

花の小道@コルドバ 2012年6月3日 by Poran111

その後、メスキータの北側にあるユダヤ人街を歩きました。ここは小路が迷路のように入り組み、その両側に白壁の家が並びます。ユダヤ人はイスラムの時代には経済を支える存在として厚遇されましたが、レコンキスタ後の1492年ユダヤ人追放令により町から姿を消しました。

メスキータ横の通り@コルドバ 2012年6月3日 by Poran111

コルドバの街を歩いた後、メスキータを囲む10m程の石の塀の外側にある土産物屋(上の写真の右側)に入りました。
フィリグラーナと呼ばれる銀細工がコルドバの名産ですが、小さな銀細工のギターがあったので思わず買ってしまいました。
本当はマドリッドのクラシックギターの有名店「ホセ・ラミレス」に寄って、本物の高級ギターが買えれば一番良かったのですが、マドリッドでは買い物をする自由時間もなく、お小遣いもなかったので、この銀細工の可愛いギターで我慢しました。

銀細工のギター(コルドバ) by Poran111

その日我々が泊まったホテル、Hotel Alfaros はコルドバの街の中、メスキータからも1.5km程の所にありました。

Hotel Alfaros@コルドバ 2012年6月4日 by Poran111

翌朝、4日(月)は出発までに少し時間があったので、ホテルの周辺を散歩しました。

コルドバの市庁舎(右) 2012年6月4日 by Poran111

ホテルのそばにあったコルドバ市庁舎はちょっと味のある建物でした。

2 件のコメント:

  1. Poranさん、今日は!

    長袖を着ていたドイツから、梅雨明けの大阪に戻ってきました。蒸し暑さと時差ボケで身体が重いです。今日になって少し暑さに慣れてきました。

    スペインのコルトバですか、行きたいですね。私も学生時代にギターをほんの少しかじったことがあり、アルベニスの「アストゥリアス」は、イエペスの演奏でよく聴きました。

    早く涼しい清里に戻りたいと思っています。もっとも、恐らく草の海になっているから、草刈り作業で大汗をかくことでしょうが。

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    1. 山栗さん、おかえりなさい。ドイツからの山栗さんの旅行記を興味深く、拝読していました。次は、私もまだ行っていない、ドイツ、ベルギー、オランダあたりを旅したいと思っています。

      ギターを趣味としている人間にとってはスペインは一度は行っておきたい国でしたね。

      ところで、この時期は高原は爽やかで最高です。早く山栗さんも高原にお戻りください!

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