2016年9月30日金曜日

映画『パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト』

一昨日、28日(水)夜、まつもと市民芸術館小ホールで上映された映画『パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト』を見てきました。
この映画は、2014年に66歳で急逝したスペインの天才フラメンコギタリスト、パコ・デ・ルシアの音楽ドキュメンタリーです。


この映画は首都圏では何か所かでロードショーが行われていますが、長野県での上映はNPO法人、松本CINEMAセレクトが主催するこの日のここでの1回だけでした。そこで、何としても見たいと思い、松本まで車を飛ばして家内と見に行きました。

<映画『パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト』予告編>

監督クーロ・サンチェスはパコ・デ・ルシアの実の息子で、映画では7歳でギターを始めて、12歳でプロのフラメンコギタリストとしてデビューしてから亡くなるまでの60年間の軌跡を多くの音楽映像と伴に辿っています。


パコ・デ・ルシアの演奏は、どんなに早く激しく弾いても全ての音が美しく、一つ一つの音が生きています。その音は時に哀愁を帯びていて、激しく心に迫ってきます。

パコはジャズなどフラメンコ以外のジャンルにも活躍の場を広げ、そのため、当時のクラシックギターの巨匠、アンドレス・セゴビアからは「パコはフラメンコギタリストではない」とまで批判されました。しかし、パコは自分の音楽を探求し、パコが「フラメンコに革命を起こした男」と言われるのは、その通りなのだと思えます。

映画を見て、一度彼の生演奏を聴いてみたかったなと思います。

<元ギタリスト、高橋章氏(右)とのアフタートーク@まつもと市民芸術館小ホール 21:08>

この日の映画終了後、元ギタリスト、高橋章氏と松本CINEMAセレクトの方とのトークショーがありました。高橋章氏は、約27前にパコ・デ・ルシアの松本でのコンサートを企画招聘した人で、当時の思い出話などが披露されました。

私はフラメンコギターは習ったことはありませんが、90分にわたる映画でのパコのたくさんの演奏を聴いて、やはり現代クラシックギターはフラメンコの大きな流れを汲んでいる、と感じました。特に、「現代クラシックギター音楽の父」と言われるスペインの天才ギタリスト兼作曲家、フランシスコ・タレガ(1852~1909)の作品にはフラメンコの味わいが感じられる曲は多く、また、フラメンコの演奏テクニックが取り入れられているところもあります。

この機会を逃さず、松本まで見に行った価値は十分あったと思えますし、自分にとっては印象に残る映画の一つになりそうです。

2016年9月29日木曜日

北スペイン&ポルトガル旅行振り返り(8):ブサコ→バターリャ

6月11日(土)午後6時頃にコインブラを貸し切りバスで出発し、そこから北へ30km程の所にあるこの日の宿泊地、ブサコ(Bussaco)に午後7時頃に到着しました。

ブサコは豊かな自然に恵まれた国立公園で、かつてはカルメル派修道院の土地でした。しかし、ポルトガル最後の国王マヌエル2世がここを気に入り、狩猟のための離宮を建築。ところが、完成直後の1907年に王政が廃止され、王宮としてはほとんど使われませんでした。
現在はこの建物は5つ星のパレス・ホテル・ド・ブサコPalace Hotel do Bussaco)となっています。ここがこの日の宿泊ホテルです。

<パレス・ホテル・ド・ブサコ~宮殿と庭園 2016年6月11日19:41>

夕食の時間は8時半なので、その前にホテルの庭園などを散策しました。美しい広い庭園は良く手入れされ、池には白鳥が泳いでいました。

<パレス・ホテル・ド・ブサコの礼拝堂 6月11日19:56>

王宮(ホテル)の建物の西側には王家のための礼拝堂も付いていました。

<パレス・ホテル・ド・ブサコのエントランスホール 6月11日19:37>

王宮はネオ・マヌエル様式の装飾で飾られ、建物内部には、歴史的な題材のアズレージョや絵画が飾られています。

<2階に通じる大階段のアズレージョ 6月11日19:37>

2階に通じる大階段には、ポルトガルによるセウタ攻略とインド攻略を描いたアズレージョが飾られています(上の写真)。

<パレス・ホテル・ド・ブサコのレストラン 6月11日20:30>

午後8時半からレストランに行き、夕食です。レストランはエキゾチックなウッドフロアとムーア様式の天井が特徴で、João Vazの絵を用いた内装が施されています。ここでは、エリザベス女王とエディンバラ公の昼食会が催されたことがあるそうです。

ディナーは下のようなコース料理で、子豚の丸焼きがメインでした。皮がパリパリとして、美味しかったです。

ほうれん草入り人参クリームスープ

子豚の丸焼き

アーモンドケーキ

カプチーノ

我々が泊まった部屋はこじんまりして、落ち着いてはいましたが、浴室などの設備は古く、テレビもブラウン管のものでした。飛行機で言えば”エコノミークラス”と言ったところでしょう。ホテルのホームページを見ると、スイートルームはもっとゴージャスなようで、当然、世界のお金持ちはスイートルーム以上に泊まるのでしょう。我々は団体ツアーだということを考えれば、この程度の部屋の宿泊でやむを得ません。

<パレス・ホテル・ド・ブサコの宿泊した部屋 6月11日19:32>

翌朝も時間があったのでホテルの庭園や周りを散歩しました。王宮の建物はやはり華麗で威厳がありました。

<パレス・ホテル・ド・ブサコの正面入口 6月12日07:32>

12年前には日本の皇太子もこのホテルに2泊したそうで、その時の皇太子用のディナーのメニューがホテルの廊下に掲示されていました。
こういうホテルに泊まるのもおもしろい経験でした。

さて、12日(日)は朝9時に貸し切りバスでブサコのホテルを出発し南下、10時半にバターリャ(Batalha)に着きました。

<バターリャ修道院外観 2016年6月12日>

バターリャ(Batalha)とはポルトガル語で「戦い」という意味で、この地にはその戦いの勝利を示す巨大な修道院(正式名は「勝利の聖母マリア修道院」)があります。

1385年8月14日、バターリャ近郊で行われたアルジュバロータの戦いで、王位を狙って攻め入ってきたカスティーリャ王国軍をジョアン1世のポルトガル軍が打ち破り、スペインに対するポルトガルの独立を守りました。ジョアン1世はこの歴史に残る勝利を聖母マリアに感謝するために1386年にバターリャ修道院の建設を開始しました。

<バターリャ修道院のポータル(入口) 6月12日10:38>

まず、バターリャ修道院の西側の広場に面しているポータル(入口)から入りました。入口は、アーチ・ヴォールトの形をとっており、そのヴォールトの中には、78の聖像が飾られています。

<バターリャ修道院の身廊(聖堂) 6月12日10:41>

修道院の身廊(聖堂)は高さ32m、奥行き80mあり、正面の10枚のステンドグラスから光が差し込みます。ここは、ポルトガルにおける最初のステンドグラスを備えた教会建築だそうです。

<創設者の礼拝堂とジョアン1世の墓 6月12日10:49>

身廊の右側に創設者の礼拝堂があり、ジョアン1世と王妃フィリパ・デ・ランカスターの棺が置かれ、周囲にはエンリケ航海王子の棺もあり、ここで眠っています。

<王の回廊@バターリャ修道院 6月12日10:54>

次に、ジョアン1世の王の回廊に出ました。15世紀に建設されたもので、マヌエル様式とゴシック様式が上手に融合されています。

<参事会室=無名戦士の墓@バターリャ修道院 6月12日10:57>

王の回廊の奥には参事会室があり、この中には無名戦士の墓が置かれています。この部屋には柱が1本もなく、建設された当時、天井が落ちるのではないかと騒がれたそうです。

<無名戦士の墓(参事会室)衛兵交替式 6月12日10:59>

ここは祖国ポルトガルのために戦ったすべての無名戦士の墓ですが、これを守る二人の衛兵が常に立っています。我々が訪れた時、ちょうど衛兵交替式が行われ、見ることができました(上の動画)。

<王の回廊と中庭@バターリャ修道院 6月12日11:07>

バターリャ修道院を見た後、12時少し前に我々は出発し、更に南のオビドスに向かいました。

2016年9月25日日曜日

ようやく晴れた9月の日

9月に入って雨ばかり続いていましたが、今日はようやく晴れました。気象情報によると、この地では2週間振りの晴れだったそうです。

私の畑では8月までは野菜の収穫は順調でしたが、9月に入ってからは雨のため良くありません。特に食用ほおずきはガク(外側の袋)が濡れ続けて、じっとり湿って、ガクの中の実が腐り始めるものが出ています。

<今日の蓼科高原と蓼科山 2016年9月25日09:45>

ようやく雨が止み、今朝はランディと気持ちの良い散歩ができました。散歩道から見える蓼科山は久し振りに清々しい姿です(上の写真)。

<朝の散歩をするランディ 2016年9月17日09:47>

ランディもゆっくり散歩ができて、うれしそうです。

<色付いた木@蓼科高原 2016年9月25日16:31>

午後も好天の中の散歩。蓼科高原では所々で既に木が色付き始めています。

<8歳になったランディ@山荘ベランダ 2016年9月25日15:55>

ところで、昨日、24日はランディの8歳の誕生日でした。Dog Age Calculatorによれば、ランディは人間で言えば55歳に当たります。若いと思っていましたが、あっと言う間にランディは熟年になってしまいました。以前に比べればだいぶ落ち着いてきました。

2016年9月22日木曜日

第31回クラシックギター弾き回し練習会の開催/レポート


9月17日(土)に飯山市文化交流館「なちゅら」小ホールにて第31回「クラシックギター弾き回し練習会」を開催しましたが、そのレポート記事を「クラシックギター弾き回し練習会のブログ」に掲載しました。

2016年9月11日日曜日

第32回「クラシックギター弾き回し練習会」のご案内


第32回「クラシックギター弾き回し練習会」を11月12日(土)に開催しますので、ご案内します。次回は、第26回目と同じく、上田市のカフェ&スペインバル「アランフェス」で行います。

詳細は「クラシックギター弾き回し練習会のブログ」に記載してありますので、ご参照ください。→http://hikimawashi.blogspot.jp/2016/09/blog-post.html


2016年9月9日金曜日

食用ほおずきジャムと冷凍庫

私の畑では、夏に収穫できるジャガイモ、枝豆、キュウリはもう終わり、ミニトマトもほとんど終わりです。その代わり、今、食用ほおずきが収穫期に入っています。

<初秋の畑 2016年9月7日10:46>

食用ほおずきは下の写真のように、黄色からオレンジに枯れたような色になると採り頃です。

<畑の食用ほおずきの実 2016年9月7日10:03>

収穫した食用ほおずきがたまってきたので、6日(火)に今シーズン初めて食用ほおずきジャムを作りました。

 <万能干しかごで干す食用ほおずき 9月6日13:15>

熟れるように万能干しかごで干してあった食用ほおずき(上の写真)のガク(袋)を取って、水洗いしました。量ると1,726gです。

<ガク(袋)を取った食用ほおずきの実 9月6日13:55>

それにグラニュー糖と白ワインを足して、大鍋で煮詰めました。

<グラニュー糖と白ワインを足して食用ほおずきを煮込む 9月6日14:37>

60分煮詰めて、ジャムの出来上がりです。
(食用ほおずきジャムの詳しいレシピはこちらです→「食用ほおずきジャムのレシピ(再改定版)」)

<瓶詰めした食用ほおずきジャム5個 9月7日08:57>

250cc容量の中瓶にいれたら、5個の瓶詰めが出来ました。
早速、翌朝の朝食の時にパンに乗せて食べましたが、今年のほおずきジャムも美味しいです(自画自賛!)。

これから10月にかけて食用ほおずきの収穫が進み、ジャムがどんどん出来てきますから、毎年、家の冷蔵庫の冷凍室に入り切れなくなって、保存に苦労します。そこで、今年はついに冷凍庫を買う事にしました。

<離れに置いた冷凍庫 9月8日15:14>

大きさなど、どういう冷凍庫が良さそうかネットで調べて、Amazonで4日(日)にアビテラックス社製冷凍庫(定格内容積60L、Abitelax ACF-603C)を注文しました。8日(木)に配達されてきました。冷凍庫は母屋には置く場所がないので、早速、離れに設置しました。

<食用ほおずきジャムなどを入れた冷凍庫 9月8日15:16>

予想していた通り、サイズとしては大き過ぎず、定格容量は60Lですが、我が家としては当面十分そうです。これからガンガン食用ほおずきジャムを作っても、安心して冷凍保管ができそうです。

2016年9月7日水曜日

ドライトマト作り

9月に入って、蓼科高原にはもう秋の空気が漂っています。
ここニ、三日は曇りがちで、たまに晴れたり、時々雨が降ったりのすっきりしない天気です。

<曇った蓼科高原と後ろの八子ヶ峰 2016年9月7日11:18>

今、私の畑ではキュウリの収穫はもう終わり、ミニトマトの収穫も終わりに近づいています。ミニトマトは終わりに近づくと一気にたくさん採れて、食べきれないくらいになります。生で食べる以外には、家内がミニトマトを調理したり、トマトソースを作ってくれています。
しかし、それでも残っているものがあるので、一昨日はそれらをドライトマトにしました。

 <水洗いしたドライトマト 2016年9月5日>

水洗いして、ちょっとでも傷みのあるものは捨てましたが、上の写真のようにボウル一杯になりました。

<二分割して塩をふったミニトマト 9月5日11:59>

ミニトマトを二分割に切って、塩をふり、オーブンレンジで加熱します。

<ミニトマトをオーブンレンジで加熱する 9月5日13:59>

時々取り出して、ミニトマトの表面の水分をクッキングペーパーで拭きとって、また加熱します。
これを5回繰り返し、合計の加熱時間は1時間50分になったところで出来上がりです。
下の写真で4トレイ分の量が出来ました。

<出来上がったドライトマト 9月5日14:24>

空気に触れぬようオリーブ油につけ、ニンニクと鷹の爪を入れて、瓶詰めしました。たまたま家にあった大瓶、中瓶、小瓶、各2本、合計6本に詰め込みました。冷蔵庫に入れておけば1ヶ月は保存できます。

<瓶詰めしたドライトマト>

ドライトマトは旨みが凝縮されるので、そのまま食べても、生より美味しいです。
これから家内がドライトマトを少しずつ料理の素材として使ってくれる予定です。

☆ドライトマトの詳しいレシピについては次をクリックしてご参照ください。
  →「ドライトマト
  →「自家製ドライトマトの作り方」           

2016年9月2日金曜日

北スペイン&ポルトガル旅行振り返り(7):アヴェイロ→コインブラ

6月11日(土)午後1時半頃に我々は貸し切り観光バスでポルトを出発、そこから南にあるアヴェイロに1時間程で着きました。

アヴェイロは、入り組んだria(潟)が内陸に大きく食い込んだ自然の良港として、また交易港として16世紀に繁栄しました。しかし、1575年の大暴風雨により海の入口がふさがってしまったため、町は一時的に衰退してしまいました。その後、19世紀に町を襲った大暴風雨によってふさいでいた海への入口が開かれたため、この町は漁業を中心に再興を果たしました。現在の主な産業は漁業と酪農です(現在の人口約7万人)。

<アズレージョで飾られたアヴェイロ旧駅舎 2016年6月11日14:36>

我々はまずアヴェイロ旧駅舎を見ました。 現在はすぐ横に新設されている新駅舎が使われていますが、旧駅舎は全体が見事なアズレージョで飾られていました。


<アヴェイロの中央運河と街並み 2016年6月11日14:53>

次に、駅舎から1キロちょっと離れた町の中心部に行きました。中央部には中央運河が流れていて、運河の上にはモリセイロと呼ばれる、牧畜のための肥料用の海藻を集めるがたくさん浮かんでいます。モリセイロは極彩色の絵で美しく飾られていて、今は主に観光用となっています。

<アヴェイロの中央運河とモリセイロ 6月11日14:47>

我々もこのモリセイロに乗ってみました。晴天で、運河の上を走る船は気持ちが良く、両側にきれいな街並みが眺められました。

<中央運河に浮かぶモリセイロに乗る 6月11日14:53>

そして、次に、そこから南のコインブラにバスで向かいました。50分ほどで到着。

コインブラはポルトガル第3の都市。政治のリスボン、商業のポルトに対して、古くからポルトガルの学術と文化の中心地とされています。リスボンに遷都されるまではポルトガルの首都として発展してきました(現在の人口は約15万人、周辺を含めたコインブラ都市圏としては約43万人)。

<コインブラ旧市街入口のポルタジェン広場 6月11日16:19>

そして、街の象徴とも言えるコインブラ大学に行きました。
コインブラ大学は1290年にポルトガル王ディニスによって設立されたポルトガル最古の大学で、欧州屈指の名門国立大学です。8つの学部があり、約2万2千人が学んでいます。

<コインブラ旧大学の鉄の門の前でのファドの演奏 6月11日16:37>

キャンパスの中には新大学と旧大学があり、旧大学の入口、「鉄の門」の前に行くと、制服の黒いマントを着たコインブラ大学の学生達がファドを演奏していました(上の写真)。

<ファドを歌うコインブラ大学生 6月11日16:38>

ファドはポルトガルの民族歌謡で、人生の喜びや悲しみ、郷愁の想いなどを奏でます。多くの場合は、琵琶のような形をしたポルトガルギター(ギターラと言われる)奏者一人と、クラシックギター奏者一人による伴奏で一人の歌手が歌います。

リスボンのファド歌手は大半が女性で、女性の心情を歌った、もの悲しい曲が多いのに対して、コインブラのファドは男性が歌う愛の楽曲です。学園都市コインブラでは、男子学生が女性に捧げるセレナーデがもとになって、楽曲が歌い継がれてきたそうです。

<コインブラ旧大学の時計塔とラテン回廊(右側) 6月11日16:54>

「鉄の門」をくぐって、旧大学のキャンパスの中に入ると、正面右角には18世紀に建造された大学のシンボルの時計塔が見え、その右側にはラテン回廊があります(上の写真)。かつてラテン回廊ではラテン語を話すことが義務付けられていたそうです。

<ジョニアナ図書館(左)と礼拝堂(中央)@コインブラ旧大学 6月11日17:16>

時計塔の左の方には礼拝堂があり、一番左の角にあるのはジョアニナ図書館です(上の写真)。
ジョアニナ図書館は1724年に建てられ、蔵書は30万冊に及びます。バロックの華麗な金細工の装飾や調度品は見ごたえがありました。ただ、内部の写真撮影が禁止だったのはちょっと残念です。

<コインブラ旧市街、モンテゴ川@コインブラ旧大学の校舎より 6月11日17:22>

旧大学のラテン回廊の中を歩くと、窓からはコインブラ旧市街や、町を流れるモンテゴ川などが眺められました。

<コインブラ旧市街にある旧カテドラル 6月11日17:40>

その後、大学キャンパスを出て、コインブラ旧市街を少し歩きました。
旧市街の通りには土産物屋がたくさんありました。
私はギターなどの弦楽器にどうしても興味が向いてしまうのですが、本物のポルトガルギターは買えないので、土産物屋でミニチュアのポルトガルギターを買ってきました。

<自分用の土産のミニチュア・ポルトガルギター>

この長さ10センチ程の可愛いポルトガルギター・ミニチュアは今、我が家の離れの私のギター練習室に飾ってあります。

その後は、この日の宿泊地、ブサコに向かいます。