6月5日(火)朝、我々のバスはグラナダを発ち、約170km西にあるミハスに向かいました。
ミハスは地中海沿いの町、フエンヒローラから北へ約9km、地中海を見晴らす山の中腹にあります。
ここはローマ時代からの古い歴史を持つ町で、白い家並みが続く町は「白い村」と呼ばれています。
ミハスからは南に地中海が見えるのですが、この日は沿岸の海に霧がかかっていて、水平線ははっきり見えませんでした(下の写真)。
町の中心のビルヘン・デ・ラ・ペーニャ広場にあるレストランで食べた昼食はイカの墨煮の料理でした。これはホタルイカだそうですが、日本のホタルイカよりもふた回りくらい大きいもので、なかなか美味しい墨煮でした。
ミハスで昼食を食べた後、我々は更に西約85kmにあるロンダに向かいました。
バスはまずコスタ・デル・ソル(太陽海岸)沿いをしばらく走り、そして、北に入って、山道を上りました(下の写真)。
ロンダは海抜739mの岩だらけの台地の上にあります。
我々はまず、この日宿泊するホテル、パラドール・デ・ロンダにチェックインしました。
パラドールと言うのは国営のホテルで、中世の宮殿や修道院など歴史的建造物を改装したものや旧市街を一望できる場所に新しく建てられたものなどがあります。
我々の泊まったParador de Ronda はかつての市庁舎を改装したもので、ロンダを代表する観光スポット、ヌエボ橋のすぐ脇にあります。ロンダのパラドールはこのツアーの目玉の一つでもあります。と言うのは、我々の参加したツアーの名称はJTB旅物語「絶景のパラドール宿泊とゆったりスペイン周遊10日間」なのです。
我々の部屋からは左手にロンダ旧市街、正面と右手(西側)にはシエラ・グラサレーマ山脈につながる原野の雄大な光景が眺められました(上の写真)。
チェックイン後、ロンダの町の観光巡りをしました。パラドールのすぐ脇にあるヌエボ橋は1793年の建造で、橋の下は深さ100mの断崖。覗き込めば、吸い込まれそうです。
ヌエボ橋はグアダビレン川に掛かり、この川によって南側の旧市街と北側(上の写真左側)の新市街に分けられています。ヌエボ橋(新橋)の西にはイスラム時代に造られたビエホ橋(旧橋)が掛かっています(上の写真の右奥に小さく見える)。
ロンダは紀元前からある古い町で、8世紀初めにイスラム教徒の支配下に入り、15世紀末にキリスト教徒により奪還させるまではイスラムの支配下にありました。
旧市街には風情のある白壁の家並みが続き、1485年まで続いたイスラム支配の名残があちこちに見られます。
ヌエボ橋に近い旧市街の地点からは、切り立った断崖の上に建つパラドールと、その向こうに広がる、シエラ・グラサレーマ山脈につながる広大な原野の光景が見事でした。
再びヌエボ橋を渡って、新市街側に戻り、闘牛場を見ました。
1785年に建てられたスペイン最古の闘牛場で、バロック様式です。ロメロ一族をはじめとする数多くの高名な闘牛士を輩出しました。
そのあと自由時間があったので、我々は再び旧市街に行って、サンタ・マリア・ラ・マヨール教会の中を見学しました。
この協会はモスクの跡地に、15世紀から16世紀にかけて建てられたもので、その鐘楼は13世紀(モスク時代)の鉄製アーチやムデハル様式の尖塔を改装したものです(上の写真)。
祭壇はバロック様式で、一つの教会の中に様々な様式が混在しています。
夕食はパラドール内のレストランで食べましたが、パラドールの夕食はなかなか美味しかったです。
前菜は茶巾鮨のような形をしたパイ皮包。
中には野菜や木の実などが入っていました。
メインは柔らかく焼かれた子牛。
ゆっくりと夕食を楽しみました。
ミハスは地中海沿いの町、フエンヒローラから北へ約9km、地中海を見晴らす山の中腹にあります。
パラドールと言うのは国営のホテルで、中世の宮殿や修道院など歴史的建造物を改装したものや旧市街を一望できる場所に新しく建てられたものなどがあります。
我々の部屋からは左手にロンダ旧市街、正面と右手(西側)にはシエラ・グラサレーマ山脈につながる原野の雄大な光景が眺められました(上の写真)。
旧市街には風情のある白壁の家並みが続き、1485年まで続いたイスラム支配の名残があちこちに見られます。
この協会はモスクの跡地に、15世紀から16世紀にかけて建てられたもので、その鐘楼は13世紀(モスク時代)の鉄製アーチやムデハル様式の尖塔を改装したものです(上の写真)。
前菜は茶巾鮨のような形をしたパイ皮包。
中には野菜や木の実などが入っていました。
メインは柔らかく焼かれた子牛。
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