2010年2月12日金曜日

ギタリスト渡辺範彦氏 ~経歴 (3/3)



ギタリスト渡辺範彦氏の経歴をたどります。私は渡辺氏と同年生まれで、同じ時代背景の中を生きてきましたので、特に興味をおぼえます。

*渡辺氏は1947年9月11日に宮崎県に生まれ、3歳の時に神戸に転居しました。
*8歳からギターを始め、11歳、小学校5年生になってギタリスト松田二郎氏に師事しました
・・・・・私の育った静岡では、地元の公立小学校で、当時習い事をしている男の子は殆どいませんでした。一般庶民はそんな余裕のない時代でした。ですから、渡辺氏は当時としては幼少時から英才教育を受けていたことになるでしょう。
*母親はラジオやテレビの番組で息子に力試しをさせたいと、応募をし1958年、11歳の時には「読売テレビ・仲良し日曜音楽会」で優秀賞を受賞しました。
*1965年(18歳)と1966年(19歳)に2年連続して、日本ギター連盟主催日本ギターコンクール(現在の東京国際ギターコンクール)2位に入賞しました。
*1967年6月(19歳)に初めてのレコーディングをし、LP第1号がリリースされました。
*1969年(22歳)に第11回パリ国際ギターコンクールに出場し、日本人として初めて優勝。しかも史上初の審査員12人満場一致でした。(その後、日本人としては1977年に山下和仁氏が、1981年には福田進一氏がパリ国際ギターコンクールで優勝しています。)
*その後10数年に渡って演奏活動を行いました。
*しかし、1980年代後半から、次第にコンサート活動の量を減らしてしまい、いつしか演奏会から忘れ去られる存在となってしまいました。
*2004年2月肺ガンのため死去されました。 


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上述の、1967年にレコーディングされたものは、2007年に復刻され、CD 「DEBUT! NORIHIKO  - The first recording 1967」として発売されました(上の写真)。私は早速このCDをAmazonを通じて購入し、聴いてみました。この当時、19歳で、音色の面、技術の面、音楽性の面で、これだけ完成度の高い演奏をしている人がいたとは驚きでした。今とは違って、子供の時から本格的にクラシックギターを学んでいる人は少ない時代でした。



Marieta Mazurka by F Tarraga live in 1976
 (F.タルレガ作曲「マリエッタ」 渡辺範彦氏1976年のライブ演奏)


ところで、平凡な、アマチュア・クラシックギター愛好者である(と自分では思っている)私は高校2年の時に初めてギターを練習し始めました。
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静岡の県立高校に通っていましたが、私は2年に上がった頃(16歳)から勉強がスランプになり、まったく勉強する気がなくなりました。その代り、カルカッシ・ギター教則本を買ってきて、自己流でクラシックギターの練習を始めました。練習し始めると、夢中になり、のめり込んで、毎日のようにギターを弾いていました。そのため、高校2年の間に学校の成績はガタガタに下がりました。この時は独学のため、右手は全てアルアイレ奏法で弾いていました。


高校3年に上がる時に、このままでは入る大学がなくなってしまうと思い、ギターを封印し、大学に受かるまでギターは弾くまい、と決心しました。


1年後なんとか大学に入ることができ、受験勉強から解放されて、早速クラシックギターを再開しました。
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入学すると私は直ぐにギター部に入部しました。ここでは、先輩からたちまちアポヤンド奏法を教えられ、右手の弾き方を直されました。


このギター部は2年間でやめました。しかし、部活をやめた後も、大学生の間はギターは趣味として、特に用のない時は毎日のように下宿で弾いていました。当時、貧乏学生だった私にとってはギターを弾くことは最もお金のかからない娯楽でした。


卒業して、会社に入ってからは、週末に自分の慰みとして、独身寮で一人でギターを弾いていました。
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それまでは、大学1年の夏休みにバイトで稼いだお金で買った12,000円の「信濃」の安物のギターを使っていました。一生使えるようなしっかりしたクラシックギターが欲しいと思っていました。


少しはお金が貯まってきた30歳の時(1977年)に中出阪蔵製作のクラシックギターNo.3000(定価30万円)を購入しました。このギターは今も使っています。


しかし、30歳代に入って結婚し、子供が生まれた頃からギターを弾かなくなりました。以後、ほとんど全く私はギターから離れていました。


ところで、話をギタリスト渡辺範彦氏に戻します。渡辺氏は1980年代後半(つまり40歳頃)から徐々に演奏活動から遠ざかっていき、コンサートを行わなくなったそうです。これほどの才能と演奏技術を持った人がどうしてコンサートもレコーディングも行わなくなったのか、私は疑問を感じ、不思議に思います。渡辺氏のホームページの中の【渡辺範彦プロフィール】 には、43歳(1990年)頃より体調を崩し、療養生活に入る、と述べられています。健康上の問題が理由だったのかもしれませんが、私には情報がないのでそれ以上のことは分かりません。


渡辺氏は2004年2月に死去されました。その頃まだ私はギターから離れたままになっていましたので、このニュースさえ知りませんでした。


渡辺氏は56歳で早世され、残されたレコーディングも多くはないようです。しかし、中身は濃く、功績、ギター界への影響は大きなものだろうと思います。一度渡辺氏の生の演奏を聴いてみたかったと思います。


Sonatina Meridional by Manuel Ponce
(M.ポンセ作曲「南のソナチネ」 渡辺範彦氏1979年9月15日ライブ演奏)

2 件のコメント:

  1. Nagoyaのギター弾き2019年8月13日 11:18

    ネットでたまたま見つけ、懐かしくなりメールしてます。
    貴殿も記載されているように、渡辺さんは、小さい時分から松田晃演先生にギターを教えていただいていました。ちなみに私は少し若く(といってももうすぐ還暦ですが)松田先生の(本格的に弟子といえる)最後の世代にあたります。松田先生や奥さまからは、渡辺さんのことは何度か聞いたことがあります。直接お会いしたことはないのですが・・・。渡辺さんの演奏は、まさに松田先生の演奏そのもので、渡辺さん初期のレパートリーも、松田一門のレッスン対象レパートリーそのものです。正直指は渡辺さんのほうが動くかも・・・。渡辺さんは軽い自閉症の傾向があり、当初は教えるのに相当苦労されたようです。
    興味がお有りでしたら松田先生のことも、調べてみてください。日本人唯一のセゴビアの愛弟子。まだまだお元気で活動されています。80歳を位だと思いますが、いまだにこの世のものとは思えない音色でトーレスを奏でられます。録音もユーチューブでも聞くことができます。若かりし頃のものは手に入らないかもしれませんが。

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    1. コメントをありがとうございます。渡辺氏に関する貴重な情報を興味深く拝読しました。
      この記事は10年近く前に書いたものだったため、私自身もう一度読み直しました。
      私が何十年振りにギターを再開して、渡辺氏のことを知った時は衝撃的でした。
      松田先生の演奏もユーチューブでよく聴いてみようと思います。
      また情報やコメントなどありましたらお知らせください。

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