2020年10月11日日曜日

妻への最後のギター演奏


私の妻が他界して約1ヶ月半が過ぎました。
いろんな手続きや届け出などの内、急ぐものはだいたい終え、ちょっと一段落しました。

私の趣味のクラシックギターには、ここ4ヶ月位あまり触ることができていませんでした。
少し落ち着いてきたので、ギターを引っ張り出してきて、またぼちぼち練習を始めました。

家で一人でギターを練習していると、私の妻のために最後にギターを弾いた時のことを思い出します。

長く抗がん剤治療を続けていた私の妻は今年5月には抗がん剤が使えない末期の状態となり、6月末に東京都内の聖ヨハネホスピスに入院しました。ここは妻が最後の時間を過ごす場所として希望していた所でした。
小金井市の桜町病院構内に独立した施設としてある聖ヨハネホスピスは素晴らしい環境にあり、妻の病室からは色々な花が咲く、きれいな庭が眺められました。

<妻の病室から眺める庭@聖ヨハネホスピス 2020年8月6日>

このホスピスに入院してしばらくすると、妻は「ギターを聴きたいから、弾いて」と私に言いました。私が妻からギターを弾いて、とリクエストされたのは結婚41年目にして、これが初めてのことでした。
この頃、妻は体力が衰えて、ベッドの上で体を起こすことも大変な病状になっていました。

妻の体調が良さそうに見えた8月6日に私はギターを担いで妻の病室に行きました。そして、妻のベッド脇で次の曲を弾きました。この中で「ひまわり」は妻から特にリクエストのあった曲でした。

☆フランシスコ・タレガ作曲        「ラグリマ」
☆     〃              「アデリータ」
☆ヘンリー・マンシーニ作曲(江部賢一編曲)「ひまわり」
☆さだまさし作曲(蓮見昭夫編曲)     「秋桜」
☆作者不詳                「禁じられた遊び」

<妻の病室でギターを弾く 2020年8月6日>

弾き終えると、妻は「上手になったね」と言ってくれました。
しかし、この頃の私はほとんどギターの練習ができていなかったので、私の演奏技術は劣化していたはずです。ただ、妻と私、二人だけのことを純粋に想って私はギターを弾きました。そういう気持ちを妻が感じてくれて、そう言ってくれたのかもしれません。

ちょうどこの20日後。未明、ベッド脇の私が見守る中、妻は静かに天国に旅立ちました。68歳と11ヶ月でした。

<新婚時代の思い出の写真 ~静岡市の日本平にて 1979年11月11日>

亡くなる前、妻は「私は幸せだ」、「私は天寿を全うした」と言いました。

2年8カ月に及ぶ、辛いこと、苦しいことがいっぱいあった妻の闘病生活、それを二人で闘ってきたこと、そして、これまでの妻への私の感謝の気持ち、それらは私のつたない表現力では到底言い表すことができません。

言えることは、私にとって妻と過ごした41年間は私の人生そのものだということです。

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