2012年9月5日水曜日

スペイン旅行振り返り(11):バルセロナ番外編(F.タレガ)

6月7日(木)午後モンセラットを見た後、バスで再びバルセロナに戻り、サンツ駅北500mほどの所にある宿泊していたホテルNH Numanciaに夕方6時頃到着しました。

ホテルNH Numancia@バルセロナ 2012年6月7日 by Poran111

夕食までに時間があったので、ホテルの周辺、ヌマンシア通りなどを歩いてみました。
この辺は新市街で、ゴシック地区などがある旧市街とは矢張り雰囲気が違っています。

バルセロナの新市街の通り 2012年6月7日18:21 by Poran111

ところで、カタルーニャの州都であるバルセロナは人口160万人で、スペイン第2の都市です。カタルーニャ人の気質は、一般的に言われるようなスペイン人のイメージとは違っていて、勤勉・質素だとのこと。そして、昔から自由で新しい文化を取り入れてきたバルセロナは数多くの芸術家達を生み出してきました。

バルセロナに関わるギター音楽家としては、まず第一にフランシスコ・タレガ(Francisco Tarrega)が挙げられます。現代クラシックギターの基礎を作り、「近代ギター音楽の父」と称されるタレガは名ギタリストであり、また数多くのクラシックギターの名曲を作曲しました。タレガは私の最も好きなクラシックギターの作曲家でもあります。

1903年のフランシスコ・タレガ by Poran111

フランシスコ・タレガは1852年にバレンシア州ビリャレアルに生まれ、若い時にはマドリッドに出て、マドリッド音楽院で学んだこともあります。しかし、結婚してしばらく後にはバルセロナに居を定め、1888年から亡くなる1909年(57歳)までバルセロナ市内の住所、234-1 Calle de Valenciaに住んでいました(エミリオ・プジョール著「タレガの生涯」<濱田滋郎訳、現代ギター社刊> P.107による)。
この住所をGoogle Mapで調べると、ここになります。→タレガの家
Google Mapでは「ストリート・ビュー」で現在の街並みの写真を見ることができますが、下の写真とあまり変わっていません。

F. タレガが亡くなった家(バルセロナ) by Poran111

この場所はアシャンプラ地区(拡張地区)にあり、グラシア通りにあるカサ・バトリョ(アントニ・ガウディが増改築した世界遺産の住宅)からは500m位しか離れていません。

さて、タレガはクラシックギターの数々の名曲を書きましたが、その中で私の最も好きな曲に「アラビア風奇想曲」(Capricho Arabe)があります。
             <フランシスコ・タレガ作曲「アラビア風奇想曲」、アンドレス・セゴビア演奏>

私がこの曲を最初に聴いたのは高校2年(16歳)の時です。高校2年の春から勉強がスランプになった、その反動もあり、私はカルカッシ教則本を買って、自己流でクラシックギターを練習し始めました。そんな時、郷里、静岡市内の楽器店でたまたまアンドレス・セゴビアが演奏する「アラビア風奇想曲」のレコードを試聴しました。甘く、美しい音色、それでいて俗っぽくならず気品がある演奏は私にとって衝撃的でした。高校2年の1年間は、いずれ自分もこの曲を演奏できるようになりたいと思い、又どうしたらセゴビアのようなあんなに美しい音色が出せるのだろうかと考えながら、ひたすら一人でギターを練習していました。
家でギターを弾く/高校2年 1963年 by Poran111

しかし、その時はこの曲のタイトル「アラビア風」の意味を特に考えもしませんでした。今回わずか10日間ではありましたが、スペイン各地を訪ね、イスラムがスペインの歴史を刻み、キリスト教文化と混じり合い、融合している姿を自分の目で見ると、タレガが「アラビア風」と言うタイトルの曲を書いた理由が今ようやく自分の実感として察せられるような気がします。
考えてみれば、高校2年の時にギターを通じてスペイン音楽に触れて以来、ほぼ半世紀経って、ようやく自分はスペインの地を踏んだことになります。

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