2016年2月22日月曜日

キューバ旅行振り返り(7)~ トリニダー→サンタクララ

1月27日(水)は朝8時過ぎにトリニダーを発って、貸し切り観光バスに乗って88km南にあるサンタクララ(Santa Clara)に向かいました。

<トリニダーからサンタクララに行く途中の農家 2016年1月27日09:30>

道路沿いには牧場や畑の広がる景色が続きます。
途中の農家には馬が繋がれていたり(上の写真)、村には馬車が走っています(下の写真)。
キューバでは自動車の入手は難しいようで、いまだに馬が移動手段、動力として、普通の町でも田舎でも使われています。馬車の上に荷物や人々を運んだり、あるいは、カウボーイのように馬に人がまたがって移動しているのは、どこにでも見かけられました。

<トリニダーからサンタクララに行く途中の村 2016年1月27日09:44>

また、農村では牛に曳かせて畑を耕しているのがあちこちで見られました。トラクターも少しはありましたが、みな古くなっていて、数が足りないようで、いまだに農耕の動力として牛が普通に使われていました。これでは、キューバの農業の生産性は、日本と比べたら相当低いだろうなと推測されました。

<チェ・ゲバラ霊廟前の広場 2016年1月27日11:23>

2時間ちょっとでサンタクララ(Santa Clara)の町にあるチェ・ゲバラ霊廟に着きました。

ゲバラは1967年にボリビアでボリビア政府軍との戦闘で捕らえられ、翌日射殺されました。1987年に没後20年を記念して、ゲバラの銅像と、同じく戦闘で亡くなった38人の慰霊を込めて38の石を安置した霊廟が、革命戦争勝利の突破口となったこの地、サンタクララに建てられました。


          <チェ・ゲバラ霊廟@サンタクララ 2016年1月27日11:17>

エルネスト・チェ・ゲバラ(Ernest Che Guevara)は1928年にアルゼンチンの比較的裕福な家庭に生まれ、ブエノスアイレス大学医学部に入学後、オートバイで南アメリカ各国を旅行。医師免許取得後も南米各地を放浪し、1956年にメキシコで亡命中のフィデロ・カストロ、弟のラウル・カストロと出会い意気投合しました。キューバ反独裁闘争に賛同し、同年12月にヨット・グランマ号でキューバに上陸。以後25ヶ月間におよぶゲリラ戦に従軍し、1959年バティスタ政権を倒し、キューバ革命を成功させました

ゲバラは革命政権で要職を歴任した後、1965年にはカストロに別れを告げて、他の貧困国の革命闘争に向け旅立ちました。しかし、その2年後、上述のようにボリビアで逮捕、処刑され、39才の生涯を終えました

霊廟中央のゲバラの銅像は6mを超えるもので、その台座にはゲバラの名言、「Hasta la Victoria Siempre」(常に勝利に向かって)が書かれています(下の写真)。

<チェ・ゲバラの銅像@チェ・ゲバラ霊廟 2016年1月27日11:16>

歴史を振り返れば、革命前のキューバは、当時のバティスタ大統領による独裁で、腐敗、弾圧が続き、バティスタ政権とアメリカ政府、アメリカ企業、アメリカ・マフィアの4者がキューバの富を独占し、その富がアメリカ本土へ流れるような社会構造になっていました。キューバ国民は食べるものすらない差別社会だったとの事。このような歴史を知れば、キューバの革命は歴史の必然だったと私には思われます。

エルネスト・チェ・ゲバラ>

ところで、キューバ旅行中にゲバラの肖像や絵はあちこちで見かけ、ゲバラを描いたTシャツはキューバ各地で売られていました。しかし、キューバ革命を主導し、革命を成功させ、その後約50年にもわたって最高指導者の地位にあったフィデル・カストロについては肖像も絵も一切キューバでは目にしませんでした。
その理由は、カストロは 他の独裁国家の指導者とは違って、自分が美化されたり、賛美されることを嫌い、公共の場におけるプロパガンダは一切許さないからだそうです。キューバでは特定の政治的指導者を偶像化するのを避けるために、存命中の人物のモニュメントを公共の場所に飾ることを禁止する法律が制定されているそうです。フィデル・カストロには、権力を私物化しようとする傾向の強い他の社会主義国の権力者とは一線を画し、かなりクリーンな面があると思えます。


<若き日のフィデル・カストロ(右)とチェ・ゲバラ(左)>

数年前に、フィデロ・カストロが引退し、実弟のラウロ・カストロに政権を移譲するとの報道を聞いた時には、他の社会主義国にもよくある、「ファミリー内での権力の私物化か」と私は思いました。しかし、もう少し詳しく知ると、ラウルに委譲したのは、彼が血族であったからではなく、長年ともに戦ってきた同士であり、カストロの考え、政治信条を最も理解していたからで、また、過去の度重なる戦闘で中心的仲間の大半を失って、ラウル以外に人材がいなかった、と言うのが本当のようです。

実際、フィデロ・カストロには4男1女がいるとされますが、娘は米国に亡命し、4人の息子で政治的に高い地位に就いている人は誰もいないとの事です。

キューバを旅行していて、キューバには社会主義国や独裁国家にありがちな陰湿な面や、抑圧された面が感じられず、人々はおおらかな感じでした。これには、もちろんキューバの風土、気候の影響もあるとは思いますが、カストロのこのような私利私欲のない個性がある程度は影響しているのだろうと私には思われました。


<ホテル Los Cneyes の敷地内 2016年1月27日11:47>

さて、この日の昼食は、チェ・ゲバラ霊廟のすぐ近くのHotel Los Caneyes に行きました。このホテルの居住棟は原住民の住居を模したという、日本で言えば茅葺屋根のようなコテージで、施設内にはたくさんのコテージが点在していました。

<ホテル Los Caneyes 内のレストラン@サンタクララ 2016年1月27日11:47>

我々はホテル内のレストラン棟に入って、昼食をとりました。バイキング形式でしたが、なかなか美味しかったです。我々以外のレストランのお客は大部分がヨーロッパからと思われる団体ツアー客でした。

さて、昼食をとった後は、この日の宿泊地、キューバ最大のマリーン・リゾート、バラデロ(Varadero)に向かいます。

2 件のコメント:

  1. いつも楽しく観させて貰っています。自分の知らない色々な事に詳しく触れており興味深く勉強になります。

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    1. sbayonさん、お読みいただき、ありがとうございます。日本では、キューバについての情報はまだ非常に少ないようですね。行く前に、キューバについての旅行案内本を探しましたが、「地球の歩き方」シリーズで『キューバ&カリブの島々』と題する1冊があるだけで、この本でもキューバについて書かれているのはわずか80ページほどでした。今回はわずか7日間ツアーでしたが、この2倍くらいは滞在して、もっとよく見てみたいと思いましたね。

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