2016年2月29日月曜日

キューバ旅行振り返り(10)~ハバナ空港→帰国 &全体の印象

1月28日(木)午後1時過ぎにハバナのホセ・マルティ国際空港に着いた我々はアエロメヒコ航空AM452便に乗り、ほぼ予定通り午後3時半過ぎにハバナを出発しました。
約3時間20分のフライトで、メキシコシティの空港に現地時間午後6時少し前に到着。
メキシコシティの空港では7時間近い待ち時間があり、その日の夜中、29日(金)0時35分発のアエロメヒコ航空AM58便で成田に向け飛び立つ予定でした。

<ハバナを発つ/ハバナ近郊の町と大西洋 2016年1月28日16:01>

しかし、ここでトラブルが発生しました。このAM58便には夜中になっても搭乗できず、出発予定時間の直前になって、「機体に不具合が見つかり、この便はキャンセルになり、代替機による出発は朝になる」とのアナウンスがありました。代替機は米国にあるのを飛ばして、こちらに持って来るとの事です。

我々乗客には飛行機内で使う青いブランケット(毛布)が1枚ずつ支給されただけで、「アエロメヒコ航空のカウンターに並んで待ってください」という指示があるのみ。メキシコシティは緯度は南の方にあるものの、標高2,240mと高地のため、深夜は寒く、我々は皆、ブランケットを体に巻き付けて寒さに震えながら、明け方まで何時間も立ったまま待たされました。その間、アエロメヒコ航空側からは何の状況説明もなく、ただ並んで待てと言うだけ。我々は皆ほとんど徹夜状態で、疲労困憊しました。日本のビジネスだったら考えられない、航空会社として最悪の対応だったと言うしかありません。

ともかく代替機の搭乗券をカウンターでもらい、29日(金)朝10時半頃に我々を乗せた代替機はようやくメキシコシティを飛び立ちました。

<成田空港に着いたアエロメヒコ航空機 2016年1月30日17:06>

成田空港には1月30日(土)午前6:20に着く予定でしたが、結局成田に着いたのは10時間半も遅れて、同日の午後5時頃。それからでは、マイカーを駐車してある成田ビューホテルに寄って、マイカーを運転して蓼科高原の我が家に着くのは深夜になってしまいます。厳寒期の我が家に入るためには、雪掻きもしなければならないかもしれないし、水道の水通し作業も必要なため、この日に帰るのはあきらめました。中継地点の八王子市内のビジネスホテルにその晩は急遽泊まりました。

<中央高原道路から見る八ヶ岳連峰 2016年1月31日11:15>

翌朝、31日(日)はゆっくり八王子市内のホテルを出発。中央高速道を走っていて、山梨県に入り、八ヶ岳連峰が見えてくると、1週間しか離れていなかったのに、山々は何か懐かしいような、ホッとするような気持ちを与えてくれます。

小淵沢インターチェンジで降りて、インター近くのドッグホテル「asako-pan」に預けてあったランディを迎えに行きました。近づくとランディは我々の気配を察知して、もうフェンスの所に迎えに来てくれていました(下の写真)。ここは広々とした牧場のようになっていて、犬たちは一日中外で遊べます。ここだと安心して預けて、旅行ができるので、助かります。

<待っていたランディ 2016年1月31日11:32>

さて、帰国してからも、キューバについては「あれは何なんだろうか?」とか色々考えるところがあります。そういう点では、キューバは不思議なアンバランスのある、なにか魅力のある国だと思います。

キューバは経済的には相当貧しいようです。観光地は流石にきれいにメンテナンスされていますが、ちょっと横道に入ったり、はずれた所、普通の地方の町などでは古くなって、くたびれた建物、粗末な住居が多かったです。しかし、建物はくたびれていても、街や通りはゴミが散らかっていることはなく、基本的にこぎれいでした。また、キューバにはスリや置き引きなどはあっても、殺人や強盗などの凶悪犯罪は少ないそうです。実際、旅行中に危ない雰囲気や不安な雰囲気を感じたことは一度もありませんでした。キューバには陰湿な空気はなく、人々はおおらかな感じでした。

<キューバ全土/Googleマップより>

これを自分なりに考えてみると、次の理由が挙げられます。

①キューバでは医療費は子供から大人まで無償である。医療の技術レベルは高く、キューバの人口1万人当たりの医師数は67人と、世界で最も多いグループに属してる。

教育は大学まで全て無償である。中学校までが義務教育だが、国民の大半は高等学校を卒業している。

キューバの国民は、全員が配給手帳を所持していて、毎日配給を受ける。(ただし、配給と言っても無料ではなく、国家による生活物資の超低価格販売との事。) つまり、最低限のある程度の物資は支給されるようである。

④キューバには貧富の差が少ないと思われる。つまり、国家としては貧しいが、全員が同じように貧しいように見える。キューバには、中国にあるようなファミリー内で巨額な富を蓄えるような特権階級は存在しないようである。

キューバは革命後も、米国などに亡命しようとする人が後を絶たず続いていたことを考えれば、経済的に困窮していた時代が長かったことは確かでしょう。しかし、少なくとも現在は上記のように生きるための最低限のものは保障されており、人心はすさんではいないと思われます。それが治安の良さにつながっていると推察されます。

<我々のキューバ・ツアーの経路>

社会主義(及び共産主義)が失敗だったことは既に歴史が証明していると私は考えています。他の社会主義国には私は行ったことがないので、にわかには断言できませんが、もしかしたらキューバは歴史上最もましな社会主義国かもしれないという印象を受けました。


☆最後にキューバを代表するクラシック・ギタリストであり、作曲家、レオ・ブローウェル(Leo Brouwer)の作曲による名曲、『11月のある日』の動画をアップします。
演奏は日本の人気ギタリスト、大萩康司氏です。


大萩氏はキューバには既に10回位は訪れているそうです。


(追記:この「キューバ旅行振り返り」のシリーズ記事を書くにあたり、キューバ・ツアーでご一緒だったH.O.氏に提供していただいた写真を一部利用させていただいたこと、及び、ハバナのキャバレー・トロピカーナ・ショーについては同じくツアーでご一緒だったT.M.氏からご提供いただいた写真と動画を利用させていただいたことを申し添えます。お二人にはお礼申し上げます。)

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