これは自分としての振り返りの記録です。
<成田空港第1ターミナル第22番ゲート 2016年1月24日14:13>
1月23日(金)午前中に蓼科の家を出発、小淵沢インター近くの、いつものドッグホテル「asako-pan」にランディを預けて、夕方、成田ビューホテルに到着、一泊しました。
翌日、午後13:25に成田空港第1ターミナルで集合。ツアーの参加者は我々を含め、15人でした。ただ、夫婦での参加者は我々のみ、女性友達同士ペアが一組、あとは11人は全員一人参加というのには、ちょっと驚きました。
アエロメヒコ航空AM58便で15:25成田発、約12時間半乗って、メキシコシティ空港に同日 12:50着(現地時間)。
<メキシコシティ空港近くから見るポポカテペトル山 2016年1月24日11:47>
メキシコシティに近づくと、飛行機の中から、メキシコで2番目に高いポポカテペトル山(標高5,760m)が噴煙を吐いているのがよく見えました。
メキシコシティの空港では5時間半も待ち時間があり、再びアエロメヒコ航空機でメキシコシティ発18:23、約2時間40分乗って、ハバナ空港にはその日の22:05到着(現地時間)。成田を発ってから、ハバナに着くまでに約21時間かかっていますから、キューバは遠いです。
入国、通関を終えた後、空港の両替所でツアー参加者は全員が両替をしました。我々は夫婦二人分で日本円16,000円を兌換ペソ(CUC、クック)に両替しました。
そして、ようやくハバナ市内のホテル・メモリーズミラマール(Memories Miramar)に着いたのは深夜、12時頃でした。
<ハバナ市内をバスで走る 2016年1月25日>
そして、翌日25日(月)は早速、貸切り大型バスにてハバナ市内観光です。
<ラム酒ハバナクラブ博物館の前の通り 2016年1月25日>
最初にラム酒ハバナクラブ博物館に行きました。キューバを代表するラム酒”ハバナ・クラブ”の歴史と製造過程を展示しています。
<1930年のラム工場を再現したミニチュア 2016年1月25日>
サトウキビで作られるラム酒の行程を展示したり、1930年のラム工場を再現したミニチュアなどがありました。
<ラム酒ハバナクラブ博物館のバー 2016年1月25日>
ハバナクラブ博物館内のバーでラム酒のテイスティングができます(上の写真)。7年物のラム酒を飲みましたが、おいしかったです。
<ハバナ旧市街の通り 2016年1月25日>
ハバナ市街には1940~1950年代のクラシックカーが普通に走っています。
<ハバナ郊外の通り 2016年1月25日>
キューバではバイクが多いです(上の写真)。乗用車は簡単に手に入らないのでしょう。
<ヘミングウェイ博物館~フィンカ・ビビア邸 2016年1月25日>
<フィンカ・ビビア邸の室内 2016年1月25日>
彼の死後、遺言により家はキューバ政府に寄贈され、ヘミングウェイ博物館となっています。
<愛艇「ピラール号」 2016年1月25日>
庭にはヘミングウェイの愛艇「ピラール号」が保管されています。
<フィンカ・ビビア邸の塔屋 2016年1月25日>
フィンカ・ビビア邸の離れとして塔屋が建っています。この最上階からは大西洋が眺められます(下の写真)。当時、ピラール号は、大西洋岸の小さな漁村コヒマルに係留されていて、ヘミングウェイはコヒマルまで行き、釣りに出掛けていました。
<フィンカ・ビビア邸の塔屋から見た大西洋 2015年1月25日>
その後、我々は再び旧市街に戻りました。
<旧市街、カテドラル近くの通り 2016年1月25日>
旧市街、カテドラル近くのレストラン「ラ・ボデギータ・デル・メディオ」(La Bodeguita del Medio)で昼食を食べました。
<昼食を食べたレストラン「ラ・ボデギータ・デル・メディオ」 2016年1月25日>
ここはヘミングウェイが通った店として有名で、観光客に人気のようです。
名物のラム・カクテル、モヒート(Mojito)を飲みましたが、おいしかったです。
<「ラ・ボデギータ・デル・メディオ」のライブバンド 2016年1月25日>
狭い店内で、ライブバンドが演奏していましたが、上手で、レベルの高い演奏でした。こういう人たちも国家公務員だそうです。
(続く)
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